僕の30代は、アメリカ留学から始まった。会社とか国とかの後ろ盾や将来の保証があった訳ではなかった。むしろ、会社も辞めて、それまでのキャリアを捨てて心機一転での崖っぷち再スタートだった。
こういう行動を勇敢だと取ってくれる人もいたけど、やはりほとんどの人は無謀とか無責任だと取ったんだろうと思う。目に見える結果が示せるまでは、そういう白い目で見られることを覚悟しなきゃいけなかった。留学期間を終えた今現在も状況は変わってなくて、僕は(勝手に?)そういうプレッシャーの中で生きてる。
留学期間中は、何もかもが守備範囲外で自分のキャパシティを軽く超えるのことの連続だった。言語や文化の壁はもちろん、僕にとっては大学での「世代の壁」も大きく立ちはだかった。大して英語も話せないのに、英会話クラスもろくに受けずに渡米後すぐに学部の3年生からクラスを受け始めたばかりに、想像を絶するほど苦しい思いをすることになった。思い出すだけで尿が出そうで、これは誰にも勧められない…
正真正銘の「ガリ勉」だった。毎日、朝から晩まで勉強してた。それでも時間が足りないくらいだった。アメリカ人学生でもヒーヒー言ってるのに、留学生の大変さはその3倍以上になるはず。留学一年目は、時間があればずっと図書館で勉強していた。テストが近かったってこともあって、結局、ハロウィンパーティらしいハロウィンパーティには参加することなく帰国することになった。
それだけ努力した甲斐あって、最終的な専門科目だけの成績はAが多く、GPAは3.72とアメリカ人学生の中でも優秀な方だった。
専攻した「コミュニティ開発」はそれまでの専門分野の情報科学のキャリアを捨ててまで学ぼうと思った分野だけあって、どの科目ももの凄く興味深く面白く感じた。それと、20代後半で独学で得た知識や経験が、特にエッセーのネタとして生きたのも大きかったと思う。エッセーのネタは尽きることが無かった。
大学が絶対という訳ではもちろんないけど、一つの尺度として、ポートランド州立大学は僕のアイデアや考え方を認めたということだと思う。僕はこれを誇りに思っているし、ただ自慢をしたいだけじゃなくて、アメリカで培ってきたこの知識や経験を、本気で地域のため、日本のために使いたい。その為に、留学まで決行したという背景がある。
(次回に続く)