僕の本当の人生は20代後半から始まったように思う。それまで、英語もアメリカも、自分には関係のないものだと思っていた。海外旅行なんて姉に付いていったハワイ旅行だけだったし。そんな僕が、半ば会社を無理矢理休んで、アメリカ西海岸縦断の一人旅に出かけた。
9 日間で、サンフランシスコ→ロサンゼルス→ティファナ(メキシコ)→サンディエゴ→シアトル→ バンクーバー(カナダ)を回った。当時、英語はほとんど話せなかった。ハプニングの連続で辛いことばかりだったけど、一人旅ならではの出会いや多くの気づ きがあった。その旅を通して、アメリカ留学を決断した。
大きな目標が出来ると、同じような生活スタイルでも、不思議とマンネリではなくなる。同じ仕事でも、向き合い方が変わる。何かを少しでも吸収しようという緊張感が芽生える。仕事以外でも、少しでも目標に近づけるように活動が増える。フットワークが軽くなる。
そのアメリカ旅行の後も、シンガポール、オーストラリア、香港など、国内だけでなく、海外に積極的に出かけていった。僕の旅はとても過酷でとてもリスクがあり、基本的には一人旅だけど、オーストラリア旅行だけは同行者がいた。ケアンズ→ゴールドコースト→シドニー→パースの4都市を8日間で周るという、ハプニング満載のとても過酷な旅行だった。
そのオーストラリア旅行で、案の定、その同行者から旅の随所でもの凄く文句を言われた。旅が終わってからも、その人を連れていくべきではなかったっていう自責の念をしばらく持ち続けていた。リスクを冒すなら一人でやるべきだったと…
数年後にその人に会った時も、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、思いがけない言葉が返ってきた。「今ではあの旅に連れていってもらえたことを本当に感謝している」と。その人は、エジプトを含め海外のいろんなところに行ったけど、そのオーストラリア旅行ほど思い出に残っている旅はないと言っていた。
人生ってそういうもんなのかもしれない。人生は旅であり、リスクはつきもの。その時は文句たらたらで「迷惑だ」と感じていても、後で振り返ってみると、それが何にも代え難い価値だったと思えることもある。大事なのは、死ぬ直前に自分がどう感じるのかだと思う。
もしそこまで想像力が及ばなければ、ただ「迷惑だ」とかで門前払いをするだけで、未知の体験や価値に出会うことも無くなってしまう。それって、とても勿体ないことだと思う。個人的には、勿体ないどころか、自分にとっても脅威になるかもと感じている。多くの人が固定観念に縛られて本来の能力を発揮出来ないなら、社会はそれだけ正常に回らなくなるから。
20代後半は、こうして自分の守備範囲を飛び越えて、おまけに当時の自分のキャパシティも飛び越えて様々なことにチャレンジする中で、生活スタイルやパターンの劇的な変化があった。
(次回へ続く)