地元の愛宕神社の例大祭に、今年は花車の運転手として参加。
花車といってもいろいろあるんだろうけど、今回運転したのほ、軽トラの荷台に板を被せて、中は座敷で ご祝儀を頂いた方の名前と金額を書いて、外面に貼って地域中低速で走り周ってみんなに見てもらう。
この改造車の後ろにはこんな入り口があって、中は座敷になっている。
これが意外と難しい。周りでは人が道を縦横無尽に歩いてるし、後ろでは人が書道の姿勢でものを書いてるし、ご祝儀を後ろの人と受け渡ししてる場合もるし、道順がわからない中、慣れないマニュアル車で超低速で走らなきゃいけない。
普段は車に乗るのも稀で、最近、やっと自分の車を持ったくらいなんだけど、そんなのはお構いなしに前日に頼まれた。それも、まだ人生で3回くらいしか運転したことがなかったマニュアル車。。
道中、かなり急な坂を駆け上がるコースもある。さすがに坂道発進が出来ずにヘルプしてもらいもした。
基本的に、お祭りって、激重な神輿を担ぐとかどでかい登りを打ち立てるとか、常に危険と隣り合わせ。以前、その辺りの非効率さや非合理性の中に、むしろ現代人への癒しが含まれているという仮説を立ててみたこともあった。
http://bokudeki.me/autonomy/volunteer/101282
そんな中、車の運転の経験が浅い人間にこんな特異な環境で運転を任せるなんて無茶だとは思ったけど、「出来る人」「経験がある人」が担うだけでは人材は育たないというのはある。「出来ない人」を出来るようにするには多少のリスクは犯させないといけない。
地元のお祭りの会がそこまで考えて花車の運転を任せてくれたのかは分からないけど、地域内、コミュニティ内で「出来ないからこそ出来るようになるように任せる」っていう取り組みがあると人も育ち、地域、コミュニティーも活性化するものだと思う。
今回は100件を超えるご祝儀を頂き、前日の夜宮の売り上げと合わせて3桁万円を達成したとか。こういったお祭りを継続するにはこういった地域のサポーターも必要。
宗教の儀式というよりは、地域コミュニティーの復興という意味で、地域のお祭りは地域の財産なんだと思う。長く受け継がれてきた歴史や伝統は活かさない手はない。