集団的自衛権③:「戦争しない政府」を選んでいけるという自信と権利意識

今回の集団的自衛権の一部容認の閣議決定で「戦争が起こる」と言う抗議の声が多く聞かれる。確かに、現体制が長く続くのであればその可能性は高い。そうでなくても、何をやらかすか分からない政権が他に台頭しきても同じ。

その上で、「戦争が起こる」と言うのは、自分たちがこれからも「信用出来ない政権を選び続ける」という宣言でしかないと思う。それは、無力感を通りこして自分たちの無能さを積極的に示しているに過ぎないのではないだろうか?

元々、憲法9条改正を目指す安部政権が衆参両院で圧勝した時点で、日本は平和とは言えないのではないか。本当の平和とは、例えば、戦争が出来る状況にあろうが、戦争という手段を選択しないことのはず。だとすれば、憲法9条があるだけで平和だとするのには無理がある。

何らかの危険が差し迫った時に戦争をするかどうかを判断するのは誰か?もちろん、時の政府が決断する。憲法解釈の範囲内で。

だけど、その前段階で、実は僕たち国民次第で、その時々の政府を選ぶことが出来るということを忘れてはならない。「選択に値する政治家や政党がない」というなら、選択肢を自分たちで作る必要がある。戦争をしない(戦争を未然に防ぐための十分な行動が出来る)政治勢力の選択肢を。

僕たち国民には、選挙という手段でその選択をする権利がある。もちろん、日本の有権者数は1億人以上いて、自分ひとりが投票したからと言って大きな変化は起こりえない。だけど、横のつながりの国民に働きかけて影響力を高めることは出来る。

「権利」があるのは前提条件で、あと必要なのはこの「自信」だけ。権利があるのに絶望的な未来を予見してしまうのは、間違いなく自信がない証拠。自民党をあれだけ圧勝させてしまったことで現政府を変えられる自信は僕はないけど、少なくとも、未来の政府をよりよいものにしていけるという微かな自信はある。

すでに享受している「権利」とともに、この「自信」を自他ともに増幅させていきたい。

―連載終わり―

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