衆院選2012(14)腐敗した政治から自分を切り離すということ

政治が混迷を極めている中で迎える総選挙です。今だからこそ政治に関心を持つのか?それとも、むしろもう立ち直る見込みは無いとさらに距離を置いてしまうのか?

政治家が政治を語り、実行するのは当たり前ですが、日本では、僕たち一般国民は政治に介入しないようにする傾向があります。むしろ、腐敗した政治から距離を置くことで、自分のステータスを守るという動機もあるかもしれません。

僕自身は、総選挙に関する連載なんてしてるからといって、政治家を目指している訳ではありません。僕自身が政治とのかかわり方をまだ模索している段階ですが、一般市民の立場で、市民と政治との橋渡しをする役になりたいと思っています。議員になろうとする人はそれなりにいますが、市民の立場でそういう役を担おうとする人が、日本では決定的に少ないと感じるからです。

腐敗した政治から切り離された活動はクール?

さて、今の時代に、「時代を変えたい!」「社会を変えたい!」と思った時に、政治的になることを避けてそれを実現しようとする傾向もあると思います。

今では、経済が大きな影響力を持っているので、ビジネスでも社会を変えられます。音楽や芸術の分野でも社会に影響を与えられます。社会活動やNPO活動などでもクールに時代を変えられるかもしれません。国際協力などの面でも英雄視されながら世界を変えられるかもしれません。

腐敗してしまった政治を避けて、自分のステータスを汚さずにことを進めようとする気持ちも分かります。しかし、政治を避けている限り、必ず乗り越えられない壁にぶつかります。誰もが政治から自分を切り離すことは出来ません。

「政治」は、経済や社会、環境などよりも上位に位置するものです。どんなに優れたビジネスマンでも、どんなに優れた芸術家でも、共産主義体制下では能力を発揮しきれません。政治の欠陥がある限り、どんなに市民活動でそのロスを補おうとしても、限界があります。

政治から切り離された活動はむしろダサい?

海外では、ミュージシャンやアーティストの中でも、政治的な意思を明確にして活動しているグループや個人はけっこういるそうです。僕が3年半住んだアメリカのオレゴン州でも、一般市民の政治への働きかけが活発なのに加え、アーティストやミュージシャンが社会的、政治的な意思を持った上で活動していました。

経済活動でも芸術活動でもそうですが、その分野でどんなに優れた能力を発揮しても、自分の活動が政治に守られる前提で行われる限り、結果的に脆弱なものになります。ビジネスマンだろうとアーティストだろうと市民であることには変わりなく、政治的な意思を示すことはごく自然のことだと思います。

もちろん、現時点で日本で投票に値する政党は無いかもしれませんが、支持対象を明確にして自分が責任を持って育てて行くという意思を示すことは出来ます。むしろ、現時点でめぼしい政党が無いということは、僕たち国民がそういった努力をしてこなかったという裏返しでしかないと思います。

海外で政治的意思を明確に出来る人が多いのは、ミーハーにならずに、長年、主体的にサポートし続けてきたという自負があるのだと思います。ちょうど、地元のプロのスポーツチームを、サポーターとして一丸となって応援するようなイメージかもしれません。そういう市民総出のお祭り的な盛り上がりが、政治の世界にあったら面白いことになりそうな気がします。

積極的に支持出来る政党の出現は、僕たち国民の当事者性にかかっている

日本の政治が長年不安定なままなのは、そういった国民のミーハーな面がそのまま反映されているからなのかもしれません。国民の多くが政治的なリスクを恐れていたら、政治はいつまで経っても変わりません。

未熟だったり、欠陥があったり、不純さが含まれている政党だとしても、一度支持すると決めたら、責任を持って主体的にサポートをしていくべきだと思います。そうしてはじめて、それぞれの政党も育ち、消極的ではなく、積極的に支持出来る政党も出てくるのではないでしょうか。

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