衆院選2012(16) 身の回りの身近な政治から始めよう

今回の総選挙は目前に迫っていますが、恐らく、僕たち国民の民主主義の成熟度は十分ではありません。選挙後のことも考えて、僕たち国民自身の政治的な能力や民主主義の成熟度を鍛える方法についても考えていきたいと思います。

「政治」の位置づけとは?

「政治」とは、「政府」とか「議会」とか、一般市民には手が届きにくいところで起こっているものなのでしょうか?広い意味で考えれば、「政治」とは、実は、僕たちの身の回りのあらゆるところで起こっています。僕たちが複数人で集まり、グループやコミュニティが構築されれば、否が応でも政治的なやり取りは発生します。

友達と遊んでいるだけでも、「何をするか?」「どこに行くか?」などを、何らかの基準によって決めます。「家族」もコミュニティの一形態であり、簡単に家族をやめられない分、普段でも政治的なやりとりが濃密にされているはずです。住宅地に住むだけでも、近所の騒音やゴミ問題など、我慢にも限度がある問題が発生するかもしれません。

政治を避け続けて引き起こされること

僕たち日本国民の政治アレルギーは、日常生活にも現れていると思います。それは、前の段落で説明した「自分の日常的な身の回りの政治」からも自分を切り離そうとしていることです。

他人との衝突やトラブルを出来るだけ回避するために、ライフスタイルも街の構造をも変えてしまいました。「プライバシー」や「迷惑」という見えない壁を使って、他人との干渉を遮断するようにもなってしまいました。例えば、居酒屋の席を漫画喫茶のようなブースで仕切るところも出てきて、そういう傾向がいよいよ顕著になってきたなと感じたのを覚えています。

日本全体の政治的な能力の低下は、日常生活で自然に発生する他人との衝突やトラブルを避け続けた結果でもあると、個人的には感じています。政治に、議論や審議、合意形成は欠かせませんが、他人との交流が減れば、当然、そういった能力を伸ばす機会も失われてしまいます。

身の回りの身近な政治から始めよう

BLOGOSで、最近、「“今こそ、民主主義の練習をしよう”−Change.orgのハリス鈴木絵美さんに聞く−」という記事が投稿されました。この記事でインタビューに応じたハリス鈴木絵美さんは以下のように語っています。

ビッグ・ピクチャーのポリティクスじゃなくて、もっとリトル・ピクチャーのポリティクスから始めて、民主主義の”練習”をしていかないと。だっていきなり デモに行くなんて、普通の感覚からしたらまだまだすごく難しいじゃないですか?だからそういう小さい所から始めないと駄目なんじゃないかなって思います ね。たとえば自分の家の近くにある木が伐採されてしまうことになってすごくかわいそうだから、30人の賛同者を集めてそれを食い止めたとか、そういう話で す。

まさに、日本の政治を立て直すために、僕ら国民自身が身の回りの身近な政治から、民主主義を練習していかないといけないと感じます。

僕自身も、こういったことを勉強中で、日常の中で試行錯誤している段階ですが、もし、そういった勉強も実践もまだ始めていない人は、ぜひこの機に始めて欲しいです。例えば、「家族」という最小のコミュニティででも、何かを提案してみたり、何かを決定する時に、みんなで議論、審議、合意までのプロセスを経てみたり…そういうほんと身近なところからいいんです。

個人的には、我が家では、地震などに備え、耐震の工事を近々やろうとしています。そこで、せっかくそんな大掛かりな工事をやるなら、内装のリフォームも出来る限りセットでやってしまおうと思い、家族のメンバーそれぞれからいろいろアイデアを集めるキャンペーンを始めました。

普段は、親の一存ですべてが決まってしまい、不満が残る場合もあるのですが、今回は、みんなが納得して工事を始めることとなりました。こんな些細なことでも、我が家ではとても大きなブレークスルーだったと感じています。逆に、こんなに些細なことでも、その影響力を過小評価してはいけないと思うんです。

うまく行っていない家族ほど民主主義の練習にはもってこいなのかもしれません。今回の総選挙は目前に迫っていますが、それと平行して、この「身の回りの身近な民主主義の練習」も進めていきたいですね。

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