「自分にしか出来ないことを探す」より「みんなが出来ることを探す」

自分で変わってるなと思うのは、例えば、「自分だけが出来そうなことを探すより、みんなが出来ることを探そうとする」ところ。だから、僕の行動の動機や考え方は、ホームレスとか弱い立場にある人が基準になってたりする。 

Playing The Hero

「自分にしか出来ないことを探す」ってのは、どこかスーパーマン思考のような気がする。現実的には、「みんなが出来ることを探す」方が、社会変革には近道なはず。 

僕がこれからのビジネスの形を考える場合、家庭だったり個人のスケールだったり、そういった極小のスケールのビジネスを捻り出そうとする傾向がある。「社会で一番弱い立場にいる人が始められるビジネス」というのが基準になっているんだと思う。 

大きなことをやろうとしない人が、結果的には大きなことを成したりすることもあるだろうね。例えば、「日本の総理大臣になる」って言ってなったところで、それだけでは日本は変わらない。自分の足元から始め、国民レベルでの地道な変革運動が必要不可欠のはず。 

留学すると決めた時、実は何を学ぶかは後付けだった。「国際関係学を学び華やかな国際社会で活躍」なんてかっこいいなと思ってたけど、あまりにもスケールの大きなこと過ぎて、結局、将来の進路が具体的に思い描けなかった。 

結局、アメリカでは「コミュニティ開発」を学び、将来は、ローカルの規模で自分でも具体的に結果を残せそうな地味な活動をすることになった。でも、今ではこの選択が出来て本当に良かったと思ってる。 

国際社会の中で一握りの人たちによるトップダウンの社会変革を狙うより、ローカルの規模でみんなが出来ることを見つけてじわじわとボトムアップの社会変革を狙う方が、実は近道だと思う。 

「オシャレ」だとか「クール」だとかを基準にカリスマ性を発揮するための運動じゃなくて、より多くの人が参加出来るような普遍的な運動がしたい。だから、震災復興チャリティ路上ライブをやった時も、好みのクールなオリジナル曲より、音楽の教科書に乗るような誰でも知っている曲をコピーで演奏した。 

もう18年も前のことだけど、僕はX JAPANとか激しい音楽が好きな中学生だった。不良だった訳じゃないけど。高校から洋楽を聞き始めて、プログレから始まり、メタル→スラッシュメタル→デスメタル→メロディック•デスメタル→ブラックメタルとメタル道を極めていった。 

大学一年の時に、オリジナルのミクスチャーバンドに加入し、横浜ベイホールで1500人を動員したという(?)ハードコア企画に一番下っ端として出演。その後、ニュースクール•ハードコアの音楽シーンで自作曲のバンドで活動し、無謀にもイタリアのバンドを日本に招待して手作り全国ツアーを決行。 

でも、今は、自分を売り込む音楽活動にはあまり興味がなくて、演奏者と聴衆の垣根を無くして誰でも参加可能な場を作ることに興味がある。震災復興チャリティ路上ライブで音楽の教科書に乗るような誰でも知っている曲をコピーで演奏したのは、そういった意図があった。

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