「癒し」としての地域のお祭りを考える

神輿を担ぐような地域のお祭りって、運営側になると意味が分からないような大変さで、おまけに怪我のリスクがあり、合理的に考えようとするとやる意味が見いだせなくなる。

例えば、現代社会は短時間でより遠くに安全に行くことに価値を置く傾向があるけど、何であんな重たいものを担いで危険を冒してちょぼちょぼ進んでるのか、理解出来る人の方が少なそう。

だけど、ある意味これは「癒し」の一種なんだと思った。

以前、脳科学者の茂木健一郎さんは、「癒し」とは「普段は使わない経路を用いてあげることで、生きることのバランスが回復する」ことだと語っていた。当然、自然やアロマなどのセラピー的なものやペットなどの癒しも含まれるけど、茂木さん的な解釈だと「癒し」とはそれだけに留まらないということになる。

このお祭りの例で言うと、ご近所さんとの触れ合いだったり、アナログな運営方法による不便さであったり、ゆっくり歩くくらいの速度で捉える近所の景色であったり、気を抜くと大怪我をするという一種のサバイバルだったり、非合理的に思える行動から得られる価値との出会いだったり。

恐らく、これらは日常生活の中では使わない経路だと思うけど、生きることのバランスを維持するためにはいくつかは必要なことかもしれない。だとすると、それらは列記とした「癒し」であり、猫をなでなでしたりする癒しと同等に語られてもいいのかもしれない。

そう考えると、「癒し」としてのお祭りの価値を研究してみるのも面白いかもしれない。

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