「暇つぶしの親切」の価値

昔、何となく連続ツイートしたけど、ブログに載せ忘れてた記事です。

アメリカに来て受けたカルチャーショックの中に、普通の人が「暇つぶしに親切する労力を惜しまない」があった。全然知らない人に対して、何も見返りを求めずに、道を聞かれたら何も迷惑そうな素振りを見せずに答えるし、困ってそうな人がいたら何のためらいもなく話しかける。

この「暇つぶしの親切」ってすごく重要だと思う。日本の都会では、街中で知らない人同士だと、自然に何かしらの交流が起きることは少ない。その分、「暇つぶしの親切」の機会が失われているってこと。物理的に多数の人が同じ場所にいても、ソーシャル•キャピタルが乏しい状態には変わりない。

ソーシャル•キャピタルが豊富な社会では、こういった「暇つぶしの親切」が街中のあちらこちらで自然発生し、コネクションをフル活用して、モノやサービス、情報などを、もらったりあげたり交換したり出来る。

「暇つぶしの親切」って、何も「人助け」という気高いものではない。その人にとってはただの「暇つぶし」なんだ。それで、ついでに助かる人がいれば最高だと思う。

日本とアメリカで、人々が「迷惑」だと感じるレベルが大分違うと感じる。日本人は恐らく極端に「迷惑」だと感じる度合いが大きい。他人へのちょっとした交流や親切がトラブルの元だとしか思えないと、有用な機会さえも逃してしまう。

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