「ボランティア」についての連続ツイート

奉仕(1)ボランティアは、実はどんな行動の中にもあり得ると思う。有償の行為の中にも。責任と義務を超えて更なる貢献をすれば、それは立派なボランティア。コミュニティがどれだけ発展するかは、人々のボランティアの積み重ねがどれだけ集まるかにかかっている。

奉仕(2)ボランティアは自己犠牲的な活動ではありません。間接的だとしても、自分も得するからやるんです。例えば、民主政治を実現する為の活動をボランティアでやれば、無駄な出費が無くなって税金が安くなるばかりか、みんなが本当に欲しい機能を社会に付加出来る可能性があります。

奉仕(3)「ボランティア」は、他人のためだけではなく、自分が本当の意味で「生きる」ために必要。そして、それに気付き行動し始めるには、場合によっては、「余命の宣告」くらいの強烈なきっかけが必要。黒澤映画「生きる」のメッセージはこんな感じかな。

奉仕(4)「命をかけてするボランティア」ってあってもおかしくないと思う。歴史的に見ても、腐敗した社会に変革をもたらしたのは、命をかけた市民のボランティアだったと思う。「お金がもらえないからしない」という選択肢はありだけど、「変革が起せない代償」は決して小さくないはず。

奉仕(5)ボランティアがどれだけ高貴なものなのかを感じたのは、アメリカの公民権運動の一部として起こったこの「フリーダム・サマー」を知った時だった。

奉仕(6)フリーダムサマー・プロジェクトは、公民権運動の一環として起こった。アメリカ南部の黒人たちの権利の為に北部から集結した1000人を超えるボランティアの白人学生たちは、黒人と同じように暴力を振るわれ、逮捕され、殺された学生もいる。社会変革には、それ相応のリスクが必要になる。

奉仕(7)組織の発展は、「幹部が、責任は重大でありながら、メンバーが活動し易いように、あらゆる地道で目立たなくて誉められもしない活動を、陰でどれだけ率先して続けられるか」で決まると思う。この場合、「責任」と「割に合わない度合い」のヒエラルキーは、逆ピラミッドになる。

奉仕(8)「ボランティアの立場で、ボランティアを募り、思うように動いてもらう」ということは、相当難易度が高いことだということを痛感している。

奉仕(9)ボランティアの世界は、猫の手でも借りたいくらいなので、人を選ばず参加してくれる人を感謝する世界。一方、ビジネスの世界は、探さなくても優秀な人材が群がってきて、選択肢が持てるばかりか、気に入らなければ切り捨てることのできる世界。お金が発生するから当然ってこと?

奉仕(10)行政からの一元的なサービスが行き届かなくて、採算が合わなくて企業がやりたがらない分野をどうやるか?日本には、ボランティアも乏しく、元気なNPOも経営力のある社会起業家もまだ少なくて、その部分がぽっかり抜け落ちた状態が何十年も続いているのかもしれない。

奉仕(11)コミュニティのサービスを充実させ、それらを維持すること。そしてコミュニティのメンバーをそのサービスに導くこと。多様性のあるコミュニティは、ソーシャルキャピタルの宝庫だ。後は、その価値に気づき、ボランティアで行動する活動家がどれくらいいるかどうかが問題。

奉仕(12)ポートランドの様々なアートを楽しむ機会を利用して、年齢、性別、人種、民族性、職種、収入を問わず人を巻き込んで、芸術を通して多様性のある交流を推進する活動を行っている。これは立派なボランティアだと思う。間違いなく自分が得するから自発的にやっている。

奉仕(13)片手間に催していたポートランド美術館の入場料無料の日のボランティアツアーを代わりにやってくれる人が現れた!主体者が他に現れ、自分がサポートの側になれればしめたもの。活動を持続可能にするには、強力な主体者より強力なサポーターの方が重要だと思うから。

奉仕(14)父親が失職してから家庭内暴力を受け一時うつ病になったけど、ボランティア活動に参加するようになってから良くなったという人に出会った。

奉仕(15)映画「アバター」と「降りてゆく生き方」をいろんな面で比較する。アバターは、派手でとにかく目立つ活動を行ったけど、あくまで巨大で気まぐれな経済の一部に過ぎなかった。対照的に、降りてゆく生き方は、地味で目立たないけど、未だに各地のボランティアにより上映会が続いている。

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