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上級アメリカクエスト ⑥乗り切れた理由は?

先にも書いた通り、僕は渡米していきなり3年レベルのクラスから取り始めた。最初のタームのあるクラスでは6冊もテキストを扱っていた。もちろん全部は読む必要はなかったけど、アメリカ人学生もびっくりな量だった。中間テストと期末テストで、それぞれ2冊づつについてのエッセーの課題が出された。それぞれ10枚分のペーパーの課題だった。

10枚分のペーパーといえば、馴染みの薄いテーマについて書くのであれば、日本でも大変な量のはず。当然、英語で書くのだから、それだけ時間がかかる。大体、1タームに3クラスくらいは取らないといけないので、これくらいの課題が3クラス分、中間と期末で出される。1年目のテスト期間中は悪夢でしかなかった。思い出すだけで尿が出そうだ。

最初のタームを比較的いい成績で乗り切れたのは、クラスメートのお陰だと感じている。同じ専攻で、既に3年以上滞在していた日本人の留学生がいて、彼女の存在がとても心強かった。日本人とつるんでばかりでは英語力は伸びないのはわかるけど、自分にプラスになる人とは誰でも積極的に頼っていってもいいと思う。

彼女の他にも、既にその道で活躍している社会人学生がいて、彼も巻き込んで小さな学習サークルを結成した。サークルとして、教授を訪問したこともあった。基本的には、アメリカ人学生の中にはとけ込め切れずに友達は少なかったけど、最初のタームを彼らと一緒に乗り切れたのは大きかった。

また、先にも書いた通り、教授が熱心で授業が面白かったこと。テキストや課題の質も含めて、将来のキャリアに直結すると信じられるものばかりだった。在学中は、軍隊にいるのかと思えるほどきつく、洗脳かと思えるほど考え方を変えられたけど、これだけ自分の将来にプラスになると信じられる洗脳なら大歓迎だった。教育とは、ある意味、洗脳の一部なんだと思う。

それから、後で詳しく書く予定だけど、大学のオープンで便利な環境も大きなプラスだった。僕が入学したポートランド州立大学は、ダウンタウンの中に位置する都市大学で、鉄道が2路線通っていたり、サイクリストや歩行者が安全に移動出来る環境もあり、治安のよい環境で遊ぶ環境にも事欠かなかった。

最後に、仏法の実践がもたらした効果は大きかった。学習サークルのように、仏法を実践し世界中に広がる創価学会インターナショナル(SGI)のコミュニティとしてのサポートにも助けられた。その中でも大きかったのは、組織の中でリーダーシップがとれたこと。

自分の個人的なことをクリアする最前の方法は、意識したり関心を持つ範囲を自分を超えて出来るだけ大きく持つことだと思う。自分のことだけしか関心を持たなければ、当然、それ以上の成長は望めない。だけど、自分を超えて他者へまで関心を広げ、進んで責任を持つことによって、結果的に自分の悩みや苦しみが取るに足らなくなる程に自分を向上させられる。

この場合は、アメリカ人のグループに対して積極的に責任と義務を持つことにより、いつの間にか、多くの個人的な課題はクリア出来ていたということ。SGIの組織の中では、人材育成の一環で積極的にリーダーシップを任せる伝統がある。必ずしも能力があるから任せるのではなく、能力をつけるために任せるのだ。

また、仏法の自力本願でどこまでも楽観主義の思想は、どんな苦境に立たされても諦めない自分を作りあげた。必ずしも仏法である必要はないけど、そういった何が起きても大きくは動じない自分をキープ出来る深い思想や哲学は必須だと思う。自分への動機付けや固い決意は、そういった思想から生まれてくるものだと思う。

上級アメリカクエスト ⑤ネタがあれば、ペーパーは書ける

卒業するまでに、テストのコツを掴むことは、結局、出来なかった。アメリカ人なら時間が余るくらいでも、日本人の僕にとっては時間制限がとても大きかった。問題を読むのも遅いし、質問の意図を正しく把握するまでにも時間がかかる。結局は、よく準備をして、当日、集中出来るように体調を整えるくらいしかないかもしれない。

だけど、ペーパーの課題であれば、時間さえかければいい点は取れる。僕の受けたクラスは、テストよりペーパーの課題の方が圧倒的に多く、ものすごく時間をかけた結果、好成績を収めることができた。専攻のクラスだけなら、平均GPAが3.72だった(4.00が最高)。

ペーパーの課題は得意な方だった。元々、日本語で文章を書くのが好きだったのもあるけど、一番大きかったのは、書きたいネタがあったということ。よく、日本語で文章が書けても英語で書けるとは限らないって聞くけど、日本語でいい文章が書けることは、むしろ大前提だと思う。

個人的には、2003年よりブログを書いていて(日本語で)、どうやったらもっと読者に伝わる文章が書けるのか、試行錯誤しながら続けてきた。その中で、テクニックだけでは乗り越えられない壁があると言うことに気づいた。テクニックばかりで中身の薄い文章は巷に溢れている。

「ネタ」というレベルでも、実体験や人間性というものは文章に滲み出てきてしまう。この域のことは、学術論文レベルのテクニックがあってもどうしようもない。逆に、僕の場合は、テクニックは乏しいけど、ネタやアイデアが豊富だったから評価されたのだと思う。教授が欲しいのは、むしろ後者なのだ。

上級アメリカクエスト ④アメリカの大学の授業は面白い

僕は、日本の大学、アメリカの大学、それぞれ卒業した。もちろん、一概には言えないけど、僕の体験からは、面白さのギャップが歴然とあったように感じられた。教授は熱心でユーモアがあるし、課題の質もとても実践的で、テキストの選び方も絶妙だった。

アメリカと日本の大学教授の決定的な違いは、「学生から学ぼうとする姿勢」だと思った。日本だと、教授と学生の間に大きな隔たりがあり、「教える側」と「学ぶ側」という立場がはっきりし過ぎている。一方、アメリカでは、教授も、ディスカッションや課題による、学生たちのクリエイティブなアイデアから、アグレッシブに学ぼうとしている。

課題の質も、とても意義深いものが多かった。例えば、自分の住所のゾーニングがどのようにされているかをオンラインの情報から調べるものや、グループプロジェクトとして、ポートランド市内でネイバーフッドを選んで、グループとして訪れてどんな特徴があるかをレポートにまとめるなど。大変だけど、実践的に身に付く課題ばかりだった。

テキストの選び方も絶妙だった。アメリカで買ったテキストで、買って損したと感じたものはない。日本の大学で買ったテキストで残っているものは皆無だけど、アメリカで買ったものは財産だと思えるほど貴重な本が多かった。高いお金を払ってでも日本に持って帰る予定。

振り返れば、軍隊かと思えるような過酷な状況の中何とか卒業までこぎ着けられたのは、単純に授業が面白かったからだと思う。そういった面白さがなかったら、きっと乗り切れなかった。もちろん、一概には言えないけど、アメリカの大学の授業の面白さは保障出来る。

上級アメリカクエスト ③アメリカの大学と日本の大学

僕が入学したのはポートランド州立大学。日本の大学を一度卒業してたので、主に3年生以降の専攻の科目だけ単位を取っただけで卒業が出来た。なので、通常は4年間のところを、2年と1学期分で卒業出来たことになる。アメリカの大学は、必ずしも4年間いる必要はなく、必要な単位が取得出来た時点で、いつでも卒業出来る。

僕の大学では、クオーター制で、一学期に12単位(3〜4クラス)以上取る必要があった。早く卒業したければ、7クラス以上取る学生もいた。ただ、それは留学生には現実的ではないかもしれない。アメリカの大学の授業は、日本のとは比べ物にならないくらい忙しく、難しい。

僕は、無謀にも、渡米後、英語のESLクラスを受ける前に、すぐに3年レベルの専攻のクラスを取り始めた。その中で、一クラスで6冊のテキストを扱うクラスもあった。中間テストでは、ペーパー10枚分の課題が出た。幸い、平行してライティングのクラスを取っていたので、見よう見まねで、睡眠時間も切り詰めて仕上げた。

アメリカの大学は日本の大学と違い、入学するのは比較的簡単だけど、卒業するのは難しいというのは本当。入学しても半分くらいの学生が中退する。1、2年次はともかく、3年からは、アメリカ人生徒でも身動きが取れなくなるほど忙しくなる。パーティーばかりやっている生徒は卒業出来ない。

リーディング、テスト、課題の嵐。クオーター制だと、3ヶ月の間に中間テストと期末テストがあるので、1ヶ月ちょっとすると試験がやってくる。その間にもクイズがあったりエッセーの課題が出されたりして、しょっちゅうテストをやっている感覚があった。

アメリカ人の生徒でもヒーヒー言っているくらいなので、少なくとも言語の壁がある僕には、3クラスだけでも悪夢なくらい大変だった。最初の1年は、一日平均で確実に12時間は勉強していた。土曜も日曜もなく。ハロウィーンもサンクスギビングも返上だった。それでも追いついていけないくらい大変だった。

上級アメリカクエスト -30過ぎてからの留学-

日本の大学では、情報科学を学んだ。卒業後も、中小のIT企業に入社し、7年ほど働いた。この学歴・キャリアを選んだ理由は、就職のためでしかなかった。ちょうど就職氷河期の真っ直中で、友達の「就職にはITが一番有利」という言葉を信じて選択した。短期的な目標としては間違ってなかったかもしれない。

だけど、その時の自分は、日本の既存のシステムの中でしか生き残る方法を考えていなかった。生活するには就職するしか手段は考えられなかったし、どんなに不公正な政治、社会、経済システムがあっても、変えてやろうなんて恐れ多いことは考えたこともなかった。

そういった現状のシステムの中でしか生きられないなら、ITはまだ良い選択肢かもしれない。だけど、ITはあったら便利かもしれないけど必要不可欠なものではない。むしろ、僕の学んだ「コミュニティ開発」は、現在の社会の中では軽視される傾向があるけど、いつの時代でも実は不可欠なものだと気づいた。

政治、社会、経済などのシステムは、変えようと思えば変えられるものだし、自分が何もしなくてもどんどん変わっていくもの。その変化に翻弄されて生きるより、変化を起こす側に回った方がいい。「コミュニティ開発」は、現状のシステムの枠に囚われない、根本から変化を起こす側のキャリアの一つだと言える。

個人的には、どんなにリスクがあり割に合わないことでも、自分がやりたいことはもちろん、自分が責任を持って果たすべき使命であれば、喜んで遂行したい。30過ぎてからのキャリア転換はとても勇気のいることだけど、使命感と決意があれば、いくつになっても遅過ぎることはないと思う。

円高の影響で多くの大企業が大赤字になり、大規模なリストラが行われ、公務員もが減給の対象となり、人材が流動的になって、安定性の神話が崩れ始めた。何をやっても将来の保障はない時代に突入しているので、枠に囚われることなく、将来のキャリアの選択肢を広く持った方がいいと思う。

上級アメリカクエスト -はじめに-

初級アメリカクエスト2005でも書いた通り、初めてのアメリカ大陸旅行をしたとき、僕は一介のサラリーマンに過ぎなかった。

英語はほとんど話せなかったが、無謀にも一人で、メキシコからカナダまでアメリカを縦断した。そして、2008年、4年制大学への留学に踏み切った。昔の自分だったら考えもしなかったことだ。

僕の滞在中のアメリカは、歴史的に重要な期間だったと思う。リーマンショックで世界的な金融危機が始まり、最悪の状態を残してブッシュ政権が終わり、初のアメリカの黒人大統領のオバマ政権が始まった。

しかし、数年経過した後も雇用も景気も体感出来るほど改善されず、歴史的なウォール街発のオキュパイ運動(経済格差に反対する若者たち中心のデモ)が全国で起こった。

こんな世界的恐慌の時代に学生をやってられたのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。だけど、恐ろしくドル安になったり学費が高騰するなどの形で、激動の時代の余波を食らった。ガソリン価格も高騰し、家を追われる人も続出、失業保険は何度も延長されてそれに甘んじる人も多く見かけた。

このアメリカ滞在でのメジャーな達成は、2年と1学期分でポートランド州立大学をコミュニティ開発専攻で卒業、研修先で「傑出したボランティア賞」を受賞、創価学会インターナショナル(SGI)で3つのメジャーなリーダーシップをとった。毎月のアートフェアのボランティアガイドを2年ほどやり通した。などかな。

逆に、未達成のことも数知れず。元々志望していた大学院には受からず、対等に議論出来るほど英語力が伸びず、学校でもアメリカ人の友達がほとんど出来ず、彼女も出来なかった。「言語の壁」や「文化の壁」に加えて、30で留学した僕にとっては「世代の壁」も大きく立ちはだかった。

自分でも思い切ったなと思える点は、それまでのキャリアを捨てて新しいことを学ぶために、全財産を投じて留学をしたこと。

もちろん、家族からのいざと言う時の後ろ盾があったことが、アクセルを踏み込めた大きな理由だと思う。実際に、自分の貯金では足りず、足りない分を借りることになった。その点、両親にはとても感謝している。こういった何かしらのバックアップ環境が無いと、留学なんてとても出来るものではない。その点、僕は幸運だった。

だけど、最低限の環境があれば、やる気次第で誰にでも留学を成功させられるものだと、自分の体験から確信出来た。

留学は、一握りの才能のある人だけが出来るものではない。昔の僕が「留学するのはエリートだけだ」と思ってて諦めていたくちだ。そんな僕が、留学を成功させられた。奨学金やその他の環境はないことはない。一番重要なのは、自分にもやり遂げられる可能性があると信じられること。

僕には、間違いなく、突出した才能はなかった。進学校ぎりぎりの高校を卒業、かろうじて3流大学も卒業し、中小企業に就職出来たはいいけど、同期の中ではダントツで「一番出来ない社員」だった。「どうして自分はこんなにダメなんだ」と悩んだ。うつ気味になって自殺も考えたことがある。

もちろん、そんな僕が留学生活を乗り切るのに、並々ならぬ苦難があった。ただでは乗り切れないということ。相当の気力と体力、根気、いい意味での楽観主義が必要。

でも、留学とは、決して雲の上にあるようなことではない。無理だと思う前に、少なくとも、自分の進路の選択肢に加えるだけ加えるべきだ。

最後に、この文章では、留学の手続きや斡旋業者など、そういったテクニックについてはあまり触れていない。そういう部分は他のサイトに任せるとして、主に、発想の転換や心構えが必要な点など、僕の経験から言える部分を中心に書いた。すべての人に当てはまるかどうかは分からないけど、みなさんにとって人生に何らかの形で役に立つことを願っている。