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第57話 平塚の居酒屋編

ニックスとはメールで連絡を取り続けていて、11月23日の勤労感謝の日の予定を具体的に話し始めていて、当日の時間を有効に使う為、前日の11月22日の夜に平塚駅の改札で待ち合わせをする事になっていた。

ニックスはそれまでの間に横浜や箱根、新幹線で京都にまで行く計画を立てて、見事にその計画を遂行していた。

日本に来たばかりの日本語の話せない外国人が、京都の金閣寺まで一人で行ってしまうのだから、彼のその行動力にはただ驚くばかりだった。そんなニックスだから、待ち合わせの日、時間通りに平塚まで一人で来る事など朝飯前だったようだ。

個人的に、初めて平塚に来る人をいつも誘っている「大好きや」という居酒屋があって、この日、ニックスも例外なくその居酒屋に連れて行ってみた。

大好きやは、飲み放題+食べ放題でトータル料金が2300円程という、平塚に何店舗かあるだけの破格の居酒屋チェーンだ。

それも、品揃え、サービス、味がそれ相応なのであれば分かるのだが、味に関しては文句なし、品揃えとサービスに関しても全く問題ないという平塚を代表する居酒屋だ。

平塚は、①海岸、②湘南平、③相模川で、海+山+川の3大自然要素がカバーされていて、七夕祭りも全国的に有名だし、かつてはサッカーのクラブチームとしてあの中田英寿のいたベルマーレが有名だった(今は見る影もないのだが・・・)。

だが、僕はそれらと同じレベルで、この大好きやを平塚のアピールポイントとして全国的に広めていきたいと思う。皆さんも是非平塚へ足を運んでみてください!!

という事で話が大分脱線してしまった訳だが、いつものように飲み放題+食べ放題のコースを選択し、食べ放題なので僕が適当に料理の注文をした。

酒のつまみには、個人的に、ナスの浅漬けとか、たこわさとか、冷奴とかが好きで、ニックスの国の食文化など一つも考慮せずに、生の冷たい料理ばかり注文してしまったのだが、ニックスは暫く興味深々になってその冷たい料理を少しずつ口に運んでいた。

特にほとんどの料理に振りかけてある鰹節に興味を持っていたようで、これを英語で説明しようとしたのだが、これがまた難関で結局何となく誤魔化してしまった・・・

これだけ生の冷たい料理ばかりテーブルに並んでいたので、どうやら日本人はそういうものばかり食べる人種という風にニックスには映ってしまったみたいだった。

今更ながらそういう雰囲気を感じ取った僕は、チャーハンやから揚げなど熱処理してある暖かい料理を注文し始めた。

 ニックス自体はお酒に強い訳でもなかったのだが、日本の居酒屋文化にたいそう興味を持っていたようだ。

 よく考えてみると、この居酒屋の文化は日本独特のものであって、色濃い日本文化の代表的存在で、会社帰りに居酒屋に寄って、毎日のように顔を真っ赤にしてふらふらになりながら電車中に酒の汚臭を残していくオヤジ達も立派な日本文化の象徴なのだ。

とは言っても、日本の酒好きなオヤジさん、日本文化の象徴だからと言ってやり過ぎはくれぐれも注意してください。

第56話 帰国後の時差ボケは超強力

アメリカから帰国して早速その翌日に出社が予定されていた訳だが、時差ぼけの為か、早朝の4時半頃目が覚めてしまい、それ以降二度寝も出来なそうだったので、仕方なく起き上がって旅行中に撮った写真データをPCに移して一通り眺めてみた。

確かにすべて僕が自ら現地で撮ってきた写真なのだが、今度はそれらが遠い昔、或いは夢の中の出来事のような気がしてしまった。

しかし、体はまだアメリカ滞在の延長線上にいると錯覚しているからか、僕の体はアメリカでサバイバルする為に必要な今日のミッションを教えるように盛んに僕に要求してきた。

もうそんなに緊張する必要はないのだよと返事をしてあげても、気の利かないコンピュータープログラムのように、機械的に同じ要求を送るだけだった。

仕方なく要求が来ても無視する事にして、大分早い時間に自宅を出て、旅行前のようにバイクで会社に出社し、仕事を再開する準備をした。

午前中はすこぶる快調だった。だが、午後に入ると謎の頭痛が僕を襲ってきた。

翌日も昼過ぎに同じような頭痛が僕を襲った。

その翌日も、その翌日も・・・

結局、そういった状態が1週間以上続いたのだ。

寝不足から来る頭痛なのではないかと思ったが、帰国後はそれなりに睡眠時間を確保していただけに、これは時差ぼけから来る超強力な弊害としか思えなかった。

海外旅行をして、体内時計を滞在先の時間に合わせるのはそれほど困難な事ではないが、逆に、滞在先の時間に合ってしまっている体内時計を、再び日本の時間に合わせるのは極めて困難な事なのだなと思った。

こればかりはなかなか対策が出来ないと思うので、海外出張の多い仕事をしている方を考えると、その苦労が身に染みて分かる気がした。

そんな状態で休暇中の作業が雪崩のように僕に押し寄せてきたので、暫くの間は本当に地獄のようだったのだ。

第55話 感覚的に1年振りの我が家

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ニックスへはすぐにメールする旨伝え、知人のお二人にはまた機会があればという事で別れの挨拶をして、高田馬場から電車に乗りこんだ。

不思議と別れ特有の切なさは感じなかった。またすぐ会える確信があったからかな。

その後、新宿駅で小田急線に乗り換えたのだが、普段は電車の中では寝たくても寝られない僕でも、さすがにこの日は電車内でぐっすり眠れて、危うく乗り過ごして終点まで行ってしまいそうだった。

日本はやはり落ち着く。パスポートを常備しておく必要がないし、ある程度油断していても荷物を取られる心配はないし、それだけでも日本は本当に安全な国なんだなぁと思った。常に神経研ぎ澄まして荷物を肌身離さず持っていたアメリカ滞在中の事が、一体何だったのだろうと思うくらい。

だが、どちらが普通の治安状態なのかというと、どちらでもないのだと思う。

その「普通の治安状態」というのが「本来あるべき治安状態」を意味するのであれば、それを実現できている国は未だに存在しない。世界中の人々が協力し合い、その姿をデザインしていくしかないのだと思う。

今の日本は安全だと言っても、それでも一昔前までの治安レベルに比べると危険度は高くなっていて、この今の治安レベルでさえいつまで続くとも限らない。

日本が本格的に世界レベルの治安状態になってしまった場合、僕を含めた平和ボケしてしまっている多くの日本人が、その治安レベルに適応できずに路頭に迷ってしまう事が予想される。

そんな事にならないように、僕達日本人全員が当事者なのだという意識を持ち、自ら働きかけて世界の国々に模範を示し、常にそのモデル国となる事が日本の使命だと僕は考える。

大和駅に着くと、大和駅周辺の町並みがすごく懐かしく感じられて、感極まって涙が出そうになってしまった。

駅に隣接するスーパーも、駅前の広場も、バスのロータリーも、駅近くの薬局や牛丼屋も、いつも見ていたはずなのに、何ヶ月も見ていなかったような感覚に襲われていた。

自宅に帰ると、たった9日ぶりの我が家なのだが、まるで1年ぶりに帰ってきたような感覚があった。ここまで書いてきたように、たった9日間の間に、こんなにページ数を割いてしまう程の数々の出来事が僕の身の回りで起こった。これまでののほほんとした僕の人生で換算すると、それは1年間に匹敵してもおかしくないくらいだったのだ。

そんな環境でどっぷりアメリカに浸かって来た僕は、帰国後も日本にいるという事が暫く信じられなかった。感覚が完全に麻痺していた僕は、部屋中の物を手に取ったりして、暫くその懐かしい感触などを確かめていた。

そんなこんなでメルヘンチックな感覚に陥っていた僕だったが、八ッと突然我に返ると、翌日は早速会社への出社が控えているという事にとうとう気づいてしまった。

これこそ一番信じられない事実だった。

取り急ぎ、アメリカ滞在中にお世話になった方々に無事帰国のメールを送り、ベッドに入った後も暫く目が冴えていたが、そのうち寝ていたようだ。

第54話 高田馬場での出会い

成田空港から京成線に乗り、日暮里で山手線に乗り換え、19時過ぎに高田馬場駅に到着した。

ニックスに再度携帯電話を貸して知人に電話してもらったのだが、ニックスは日本語が読めないので、待ち合わせ場所を決めるのにうまく会話が出来ていないようだったので、途中で僕が代わって待ち合わせ場所など聞いた。

ニックスの知人は、ヒデヒトさんとアツコさんの2人のカップルで、どちらもワシントン大学への留学経験があり、その繋がりでニックスがコンタクトを取っていたらしかった。

ヒデヒトさんのマンションに向かう間、アツコさんにニックスとの出会いのいきさつや僕の無謀な旅行の軌跡を話した。

日本語で通じるという事が嬉しかったのか、旅行中に溜まりに溜まったストレスが一気に開放されたからか、僕はとにかく喋りまくった。そんな僕の話を、アツコさんは興味深く聞いてくれた。

ヒデヒトさんのマンションに荷物を置いた後、すぐに帰ろうと思ったが、お二人に軽く食事に誘われてしまい、4人で近くのシェーキーズに行き、賑やかな早稲田大生の活気に囲まれて軽く飲んでいく事となった。

ヒデヒトさんもアツコさんも英語がとても流暢で、会話は一気にスムーズになり、僕は会話についていくのがやっとで、僕が口を挟める余地は全くなかった。

改めてニックスの話を聞くと、彼はとことんエリートのようだった。

シンガポール人の国民性なのか、しっかりした哲学を持ってその上で伸び伸びと人生を楽しんでいるという風に感じた。

特に、ニックスは日本のテクノロジーに興味を持っていて、例えば鉄道関係のシステムでどんなテクノロジーが発達しているか?という問いを僕等日本人サイドに投げかけてきた。

僕等はしばらく考えてしまった訳だが、僕が咄嗟に「タッチ&ゴーのスイカはどうですか!?」と提案し、ヒデヒトさん経由でニックスに英語で説明してもらったところ、何やら、シンガポールなら、電車のみならずバスでも同じカードでタッチ&ゴーが出来るらしく、逆にシンガポールのテクノロジーを見せ付けられる結果となってしまった。

シンガポールは東京の23区くらいの大きさらしく、国を挙げてのシステム変更でも割と小回りが利いてスムーズに事が運ぶのだろうなと思った。

話が一段落したところで、ヒデヒトさんとアツコさんに、「ニックスのリクエストを聞きながら今後のニックスの日本観光を出来るだけサポートしてあげて欲しい」とお願いし、飲み会は夜10時頃お開きになった。

第53話 旅行最終日 行きは一人、帰りは二人

2005年11月11日(金)、ついにこのアメリカ旅行最後の朝を迎えた。

実感がない。何も感じない。今は目的を遂行するだけの機械だ。

思えば、この旅でいろいろな都市を訪れた訳だが、どの都市にも思い入れが薄い気がする。

何しろ忙しすぎた。めまぐるしく変わる風景に、僕の頭は付いていけなかった。でも、僕が今ここにいるという事は偶然という訳ではなく、間違いなく僕が歩いてきた軌跡があったという事だ。

心には刻まれているはず。後になってしみじみと実感するのだろう。そう思うと、早く日本に帰ってこの軌跡を辿って行ってみたいなと思った。

さて、この日の予定は次の通りだ。

 1.#356のバスで空港まで直通の#194の乗り換え地点まで行く

 2.#194のバスに乗り換え、空港まで行く

 3.昼過ぎに、ニックスと共に同じ成田行きユナイテッド航空の航空機に乗り込む

 4.成田到着後は、日本人のニックスの知人宅のある高田馬場まで行く

 5.無事ニックスを送り届けた後、帰宅

ニックスと僕は、8時30分頃にはホテルをチェックアウトし、まずホテルの近くから#358のバスに乗り、予定通り乗り換え地点で#194のバスに乗り換え、午前10時には空港に到着した。

チケッティングの際には、ニックスが進んでカウンターの係員に働きかけてくれて、ニックスの隣の席で一緒に帰れる事になり、さらに、ニックスは僕のマイレージの登録などもサポートしてくれた。

チケッティングの後は、セキュリティチェックや出国審査などを済ませ、あっという間に出発ゲート前まで辿りつけてしまった。

ニックスに任せっきりで助かった反面、安心しちゃって緊張感がなくなってしまい、最後に来て自主的に旅をしているという感覚が置き去りになってしまったかもしれない。

出発時刻までは、ニックスが買ってきてくれたバーガーキングのポテトなどを食べたり、空港のワイヤレスLANサービスを使ってインターネットアクセスしたりして時間を潰した。

いよいよ出発の時刻になり、僕達は日本へ向かうユナイテッド航空の航空機に乗り込んだ。

 航空機の中ではニックスといろいろと話をした。

成田到着後、気力があれば僕は地元の友達との飲み会に参加しようと考えていて、試しにニックスをその飲み会に誘ってみたところ、すごく乗り気だったので、ニックスの知人のいる高田馬場の宿泊予定場所に荷物を置いた後、すぐに飲み会に向かおうという事になった。

次に、日本滞在中にしたい事をニックスに聞いてみたところ、彼はほとんど無計画だったようなので、僕なりに、「ほとんどの日本人は英語がしゃべれないので、言語が通じるアメリカ滞在中のようには物事がスムーズに進まないかもしれない」という事を忠告しておいたのだが、ニックスからはそういった不安は全く感じられず、「新幹線に乗ってみたい」とか「京都に行ってみたい」などの超前向きなオーラだけが感じられた。

また、ニックスの日本滞在中の11月23日の勤労感謝の日は会社が休みなので、この日を利用して、ニックスを僕のホームタウンの平塚に招待して、湘南平や僕の母校の神奈川大学を案内してあげる計画も話した。

すると、ニックスは、クリスマスシーズンか翌年のチャイニーズニューイヤーの時期に、ニックスの母国のシンガポールの旅行を僕に勧めてくれて、2人のアジア人の間でかなり濃い国際交流が始まった。

こんな事態は全く想定してなくて、海外旅行の醍醐味を十分に感じられたのと同時に、僕みたいな何でもない一般人にでも、こんなドラマティックな出来事が起こるのだから、一旦旅にハマってしまった人は、一種の中毒に侵されたように旅をし続けるのだろうなと思った。

そのうち、成田到着後にすぐ動き回れるように、体力回復の為にしばし仮眠をする事になった。

やがて、僕等を乗せたユナイテッド航空の航空機は成田空港の滑走路に降り立ち、携帯電話の電源を入れてみたところ何通かメールが入っていて、その中の一通が飲み会の中止の連絡だった。

仕方なく、ニックスにその旨説明して、ニックスは全然気にしていないようだったのだが、期待させちゃって悪かったなと思った。

航空機から降りて空港のゲートを潜り、動く歩道に乗って出口を目指した。

入国審査は別々で、審査員の人には「おかえりなさい」と言われただけで通してもらえた。

ニックスと再度合流して税関を一緒に通ろうとしたところ、税関の係員に「どういう関係なのか?」と聞かれたので、「旅先で出会ってたまたま帰りのフライトが一緒だったから一緒に帰ってきた」と、そのまま説明した。

その後、出口までの長い通路を通って、出口付近の外貨両替所でそれぞれ必要な分の両替を行った後、ニックスに僕の携帯電話を貸してあげて、高田馬場の知人に電話をかけてもらった。

到着まで一時間くらいと言ってしまったが、実際は、成田空港から特急料金のかからない通常の京成線で向かったので、1時間30分以上はかかってしまった。

京成線に乗り込み、車内に貼ってある都内の路線図など見て、早速、ニックスは日本の鉄道事情に混乱し始めているようだった。

僕でも都内の鉄道事情は全部把握できていないのに、初めて来日する外国人にすぐに理解できるはずが無かった。

だが、ニックスは頭が良いから、2週間も日本に滞在すれば、僕なんかすぐに追い越してあっという間にマスターしてしまうに違いない。

第52話 シアトルでの再会、賑やかな晩餐会となる

シアトルのダウンタウンでお土産を購入した後、ホテルでニックスと待ち合わせる為、この日は徒歩でホテルへ戻る事にした。

ホテルに着いて部屋に荷物を置き、ロビーで日記を付けながらニックスを待つことにしたのだが、時間になってもニックスは現れず、ホテルの外に出て分かりやすいように大きな通り沿いで待つが、それでもニックスは現れなかった。

「やはり冷やかし半分だったのかな」とがっくりしつつも、ロビーで暫く日記を付けて待っていたのだが、待ち合わせ時間より20分程遅れてニックスは突然到着した。

どうやら、このホテルの姉妹店が近くにもう一つあるらしく、そちらに行ってしまっていたようだ。

この時、僕の中の彼への疑いの心は、やがて彼への信頼の確信へと変わった。

何事でも物事は表裏一体であり、疑って疑って疑い抜いてこそ、本当の意味で相手を信頼する事が出来るようになるのかもしれない。

部屋に荷物を置いて、今晩食事をする予定のハジメさんの家族とコンタクトを取り、ニックスの事も軽く紹介してみたところ、彼もその晩餐会に参加する事を快く承諾してくれた。

晩餐会の集合時間まで1時間30分程あったので、キャピトル・ヒルというところに行ってみる事にした。

バスを待つこと10分、バスに乗ってからは30分ほどかかり、やっとキャピトル・ヒルに着いた。

キャピトル・ヒルにはブティック、古着屋、カフェなどが立ち並び、地元の学生がカフェで勉強している姿のほか、パンク、ロッカー、ゲイ、レズビアンなどいろいろな人たちが集まってくるエリアらしく、そういった雰囲気が少しでも感じられればと思っていたのだが、既に辺りは暗く、人通りもなくて、そういった強烈な印象は残らなかったのが残念だった。

 その後、バスでダウンタウンに戻り、軽くウィンドウショッピングをした後、バスでホテルに戻り、ハジメさんの家族を待った。

待ち合わせ時間より少し遅れて、まずハジメさんのお姉さんのリエさんの旦那さんのゲンタさんが到着した。

リエさんは、急遽手が離せない用事が出来てしまい、参加できなくなってしまったのがとても残念だった。

という事で、ゲンタさんとはこんなにも遠い繋がりで当然初対面だった訳だが、すごく爽やかな人でとても話し易く、面倒見の良いお兄ちゃんという第一印象だったので、あまり初対面という気がしなかった。

ニックスとの出会いについて簡単に説明してみたところ、ゲンタさんはニックスの事をすぐに信用してくれたようだった。

お世話になりっぱなしのヒデオさんもすぐ後に到着したのだが、到着するや否や、

「おぉ、あんたがニックスか!後でゆっくり話し聞かせてよ!それにしても、おれは便所に行きたいんだが、便所はどっちだ?何だ、フロントもいないんじゃどうしようもねぇじゃんか。おぉ、そうだ!お前の部屋借りるか!それ案内しろ!」

と、口を挟む暇が全くないままホテルの部屋に案内する事になってしまったのだった。

 計画段階で、ヒデオさんとメールで会話していた時の丁寧な印象と、この実際の荒っぽい言動とのギャップがとてもおかしくて思わず噴き出してしまいそうだった。

出発準備が出来ると、早速、オールドスパゲッティファクトリーという日本でも展開されているというパスタ専門店に向かった。

オールドスパゲッティファクトリーの店内は、60年代アメリカを意識したアンティーク調の内装となっており、このオールドアメリカンスタイルの懐かしさ漂う雰囲気で、絶品のパスタと濃厚なスープを食し、お腹いっぱい食べて家族や仲間達とくつろぐというアメリカンディナースタイルを存分に味わう事ができたのだった。

ヒデオさんとゲンタさんとニックスの英語での会話は、僕を意識してくれていたからか、僕にも分り易い内容だった。

話をするうちに、ニックスの事を知って、ヒデオさんもゲンタさんも、ニックスの事を完全に信用してくれたみたいだった。

ヒデオさんからは、「この出会いは日本に帰った後も大切にした方が良い」とのアドバイスももらえた。また、僕の旅の軌跡を話している間、しきりに「いやぁ、大したもんだよ」とも言ってくれた。

ヒデオさんと話していると、ヒデオさんの何気ない仕草がハジメさんにそっくりだった。

やっぱり親子なのだなと思った。

同時に親子ってやっぱりいいなと思った。

だって、親というのは、常に子供の心の中にいて、子供の事を誰よりも愛していて、いつも話し相手になってくれ、子供の将来の事を自分の身になって考えてくれる存在なのだ。

そんな風に自分の事を想ってくれている親や兄弟と楽しく話しながら晩飯が食べられるというのは、何にも変えられない究極の幸せの一時なのではないだろうか。

偉そうに言えるほど家族との時間に幸せが感じられずにいる僕ではあるが、この時はその究極の幸せを一瞬垣間見る事が出来た気がしたのだった。

またもやヒデオさん持ちで会計をしてもらってしまった後、車でホテルまで送ってもらい、心からの感謝の意を伝えてヒデオさんとゲンタさんと別れた。

その後、ニックスと僕は部屋に戻り、翌日の日本へのフライトへ向けて準備を進めた。

お土産が加わった事により、さすがに荷物を分散させないと持って帰れない予感がしていたが、リュックの中を一度整理してみたところ、無理矢理押し込んで、パンパンになりながらもなんとか収まった。

テレビを付けてCNNのニュースを見てみると、ヨルダンのアンマンでの同時多発テロのニュースが流れていた。

ヨルダンを英語で書くとスペルは「JORDAN」となるのだが、ニックスに「この国知っている?」と聞かれた時に、この国名をそのまま「ジョーダン」と読んでいた僕は、「そんな国知らない」と答えてしまった。

帰国後に、実はこの国名は「ヨルダン」だという事を知った訳だが、結局、ヨルダンの事を大して知っている訳ではないので、結局、ヨルダンの事は知らないという事だった。

このテロ事件に限らず、相変わらず僕の知らないところでいろいろな事件が起きているのだなと思った。

同時に、外国に滞在していると日本で起こっている事でさえ情報が届かなくなってしまうので、母国で起こっている事でさえ見えなくなってしまうという事になり、そう考えると、世界中で起こっている事で、僕が知っている事なんて鼻くそみたいなものなのだろうなという無力感を感じずにはいられなかった。

疲れすぎていた為か、ベッドに横になると、いつの間にか寝ていたようで、アメリカ旅行最後の夜はこうして何気なく過ぎていってしまった。

第51話 アメリカの地で買い物恐怖症を患う

ワシントン大学の広大なキャンパスを散策した後、ニックスに薦められたユニバーシティ・ビレッジというショッピングセンターまで言ってみる事にした。

ユニバーシティ・ビレッジまではかなりの距離があって、普通だったらバスで行く距離だという事も知らずに、バカみたいにまた徒歩で向かってしまった。

さすがにへとへとになって充電が必要だと思い、到着後、まずアメリカ最安といわれるスーパーマーケットのセーフウェイに寄った。

結局水しか買わなかったのだが、レジで品物を出した時にレジの店員に何かを尋ねられたのだが、「カードを持っているか?」と聞かれたと思い、咄嗟に「ノー」と答えてしまった。そうしたところ、何故かお釣りを返してくれなかった。

もしかしたら、こういう小額商品一点の購入だけだと、チップの意味でお釣りは不要という習慣がアメリカにはあるのかもしれない。

実際、アメリカ人の買い物の習慣と日本人の買い物の習慣は全く違うらしいので、他にも何かあるのかもしれないという考えが頭の中に住みつき始めて、この買い物の後あたりから一種の軽い買い物恐怖症に陥ってしまった。

続いて、エディーバウアーという日本でも展開されている洋服屋では、カバンを見ている時に店員が近寄ってきて、商品の機能の説明やカードを持っている場合の特典の話をしてもらったのだが、彼はかなり容赦のない速さの英語で説明をして去っていった。その時は店員さんの説明のし方がうまかったからか、だいたいどういった内容かは聞き取れた。

その後、バーンズ&ノーブル・ブックセラーズというかなり大きな本屋に立ち寄った。

この本屋に限らず、アメリカの本屋の多くは店内に座って本を読めるように至る所にソファーが用意されていて、暫くアメリカで売られている様々な本に目を通してみた。

中でも、一昔前の「るろうに剣心」や「幽★遊★白書」などの日本の漫画が英訳されてアメリカ版の少年ジャンプとして販売されていたのが印象的で、是非とも買って帰りたいと思い、レジへ持っていった。

先ほどのセーフウェイでの一件もあり、軽い買い物恐怖症に陥っていて、この時も商品を購入する時に店員さんが何気なく言う挨拶が聞き取れず、聞きなおすような雰囲気でもないし、分かった振りも中途半端になってしまい、さらに買い物恐怖症が加速してしまったようだった。

日常的で多用されるこういった何気ない挨拶とか、フレンドリーな話し言葉的な抽象的な表現は、恐らく日本で英語を学習しても身に着くものではなく、現地である程度生活しないと身につかないものなのかもしれない。

次にユニバーシティ・ディストリクトという学生街に行く為、またワシントン大学方面に戻らなければならなかったのだが、さすがに徒歩で戻る元気はなかったので、バスで行く事にした。

ユニバーシティ・ディストリクトの本屋では、ワシントン大学で使用されている教科書が売られていて、中古のものも取り扱っていた。

アメリカの大学の教科書の価格は高いらしく、アメリカの学生は中古で安く教科書を仕入れ、使い終わったらまた売りに出すという、お金の節約に加えて環境に優しい事をしているらしい。

興味がある分野の教科書があれば記念に買って行こうかと思ったが、時期が悪かったのか、ほとんどの教科書は売り切れていて、全体的に品薄なようだった。

ユニバーシティ・ディストリクト内にタワーレコードがあったので、どんなものか寄ってみたのだが、いくつか欲しいCDがあったのにも拘わらず、僕の中の買い物恐怖症が祟ってしまい、結局、購入するまでには至らなかった。

その後、軽く腹ごしらえする為、ジャック・イン・ザ・ボックスというハンバーガー屋に寄って、日本のマクドナルドでマックチキンを一つ買うノリで、この時新作だった$1.5のベーコン・チキン・サンドイッチをテイクアウトで頼んだのだが、こういった小まめな買い方もアメリカではあまり一般的ではないからなのか、店員さんにちょっと嫌な顔をされた気がした。

 実際に、日本人とアメリカ人とでは買い物の仕方の習慣が全く違うらしい。

僕の知る限りでは、半月から一ヶ月くらいスーパーで一気に買い溜めするアメリカ人に対し、週に何度もスーパーに通う日本人の違いがある。

この習慣の違いにより、売る側の戦略も全く変わってきて、アメリカのスーパーでは年中常に商品の価格を安く固定するのに対し、日本のスーパーはほぼ日替わりで物凄く安い目玉商品を用意するという形になっている。

アメリカ人と日本人の双方で、こうした習慣の違いがなかなか理解し合えないらしく、実際に、アメリカ大手の某スーパーが日本へ進出した時に、その企業はこの日本の習慣をよく理解していなかった為に、日本の消費者の心を掴む事が出来ずに失敗に終わったという例が過去にあったそうだ。

そういう僕も、生れたときから日本の習慣にどっぷり浸かってきてしまったので、このアメリカ人の買い物に関する習慣だけみても、なかなか理解できない。逆に、僕が週に何度もスーパーに通うという事も、アメリカ人からはなかなか理解されないだろう。

細かい事を言ったらこういった習慣の違いなど無数にあるはずで、今回はそれが障害となって買い物をするのが億劫になってしまったところがある。だけど、そんな事をいちいち気にしていたら外国人が宇宙人のようにも見えてきてしまいそうなので、あまり細かい事は気にせずに、自然体で外国の文化に溶け込むのが一番なのかなと思った。

ワシントン大学周辺で軽い買い物恐怖症を患った後、シアトルのダウンタウン行きのバスに乗り、ダウンタウン中心部のパイク通りまで行き、地球の歩き方にも載っている「メイド・イン・ワシントン」というお土産屋を探す事にした。

ガイドブックに載っている住所を頼りにその住所の辺りをくまなく歩いたが、何故か全く見つからず、ウォーター・フロントというピュージェット湾に面したとても景色の良い場所で、地図を広げて作戦会議(僕の脳内会議)をする事にした。

僕の脳内の議員たちが論戦を繰り広げている間、女の子2人組みが僕に声をかけてきた。

彼女達:「写真を撮ってもらっても良いですか?」

僕:「いいですよ。ここを押すだけでよいですか?」

彼女達:「そうです!」

僕:「準備は良いですか?」

カメラ:「パシャッ」

彼女達:「もう一枚いいですか?」

僕:「もちろんです、いきまーす。」

カメラ:「パシャッ」

彼女達:「有難う御座いました!」

と、ここまですごく自然でほとんど違和感はなかったはずだが、「どう致しまして」という言葉が咄嗟にうまく出てこなくてそこで思考がストップしてしまい、最後の最後で自然に振舞えなかったのが悔しかった。

「ユーアー・ウェルカム」とか「ノー・プロブレム」とか「マイ・プレジャー」とか答えれば良いのだろうが、知っていてもやはり咄嗟に出てこないものなのだなと思った。

その後、またメイド・イン・ワシントンを探し始めて、時にはスラム街のような怪しく人通りのない道に入ってしまったりしつつ、歩道に備え付けてあったショッピングの案内板を見てみると、その店は総合ショッピングビルの中の店の一つのようだった。

やっと辿り着けそうだと思ってそのショッピングビルに入ってみたが、その中でもかなり分かりにくい場所にあり、建物内でも多少うろつく事になってしまった。

メイド・イン・ワシントンに入って暫く店内の商品を見ていた訳だが、ポッケに突っ込んでいた水の入っているペットボトルを落として大きな音を立ててしまい、店員さんに商品を破壊されたのかと心配させてしまったようで、ここでは違う意味で商品をレジへ持っていくのが恐怖に感じてしまったのだった・・・

第50話 旅行8日目 ワシントン大学訪問

11月10日(木)、この旅行もあと2日を残すところとなった。

この日も早朝6時過ぎに起床し、国内、国外問わず、早起きは僕の得意技となった。

さて、この日の予定は次の通りだ。

1.バスでワシントン大学まで行く

2.ワシントン大学を訪問し、その後は大学周辺を散策

3.バスでダウンタウンに戻り、お土産を購入

4.ホテルにてニックスと再開

5.ハジメさんの家族と合流して皆で晩餐会

6.前日と同じホテルでニックスとルームシェア

まず、フロントにて朝食の激甘パンをまたごっそりと頂き、シャワーを浴びてから8時過ぎにはホテルを後にした。

今回のホテルは初の連泊予約をしていたので、この日はリュックをホテルに置いていける喜びと共に出発が出来た。

まず、ワシントン大学方面に向かう為、#70のバス停を根気良く探すが、結局その番号のバス停が見つからず、試しに観光パンフレットを頼りにワシントン大学まで歩いていってみる事にした。

シアトルのダウンタウンからワシントン大学までの距離がどのくらいあるのかを全く知らなかった僕は、最初は冒険気分で、途中にあったセスナの飛ぶサウス・ユニオン・パークというポート・バンクーバーの小規模版のような湖のある公園に立ち寄って、その美しい景色を堪能したりしていた訳だが、イーストレイク通りという通りに差し掛かった辺りからいよいよ苦痛に感じてきたのだった。

イーストレイク通りはワシントン大学まで一直線で行ける通りなのだが、この通りが物凄く長くて、地元のワシントン大学生でもこんなに長い距離を歩く人はいないだろうなと思った。(現に、帰国後にこの話をすると、事情を知っている人は「バカじゃないの」的な視線を僕に向けたのだった・・・)

ひーひー言いながらも、ワシントン大学に入る直前にあるユニバーシティブリッジを渡りきると、いよいよ大学らしい雰囲気になってきた。

ニックスに貰った大学周辺の地図を見てワシントン大学の方向へ歩いていくと、徐々に、整った道と歴史を感じさせる大きな建物の大学らしい風景になってきた。

ワシントン大学は、アメリカ西海岸で2番目に設立された歴史のある大学であり、北西部では最も規模が大きく、北西部屈指の名門校とされ、主な建物が128棟もあり、学生約3万4千人を抱えるマンモス大学だ。

校内を適当に歩き出すと、早速、大きな図書館が3つ密集しているセントラル・プラザ・ガーベイジという広場に出くわして、「おぉ!さすが名門校!図書館が3つもある!」と驚いてしまったのだが、どうやらその他にも専門図書館も合わせると全部で18程あるらしい。さすがにこれだけあれば適当に歩いていればどこかの図書館に行き当たるものなのかと思いきや、その分キャンパスも広大な為、そうも簡単にはいかないようだった。

試しにその中の1つの図書館に入ってみると、3階建ての広々としたスペースが広がっており、学生気分を味わってみようと内部に潜入して机に座り、今後の予定を具体的に決めた。

まず、校内マップが必要だと思い、学生課を目指すために図書館内に膨大に備え付けてあるPCを使おうと思ったところ、ログイン名とパスワードを要求されて使えなかった。

仕方なく図書館を出ようとしたところ、図書館の片隅に僕のような来訪者向けに、ワシントン大学の情報にのみアクセスできるよう制限が施されているPCがあったので、それで学生課の場所を確かめた。

ついでにメールを確認しちゃおうかなと思って試しにホットメールにアクセスしてみようとすると、見られない事もないのだが、「アクセスが許されていません」という警告が画面上に常に付きまとってしまい、そのうち怒られそうなので諦める事にした。

学生課でパンフレット類が置いてある場所でいろいろパンフレットを漁るが、うまい具合に校内の詳細地図が載っているものがなく、周りを見渡すと、学生課のカウンターの上にそれらしきものがあった。

カウンターの向こうには人がいたので、何か声をかけてからにしないと明らかに不自然なので、何て声をかけようか考えているうちに、そのカウンターの人と一瞬目があってしまい、思わず目を逸らしてそのまま外へ出てきてしまった。

 こういった意気地のない性格を今すぐ変えろというのは極めて無理な注文なので、仕方がないので適当に校内を歩いてみる事にした。

少し歩くと巨大な噴水のある部分に行き当たり、暫くその噴水の周辺のベンチに座って休憩する事にした。

 この噴水は約30mもの高さを誇っており、大学の中心から噴水を見るとレーニエ山が見えるように設計されているらしい。僕はレーニエ山なんぞ当然知らない訳だが、とにかく壮大な設計がされているみたいな事は僕にも分かった。

 こんな感じでその後も行き当たりばったりでワシントン大学の巨大なキャンパスを散策したのだった。

第49話 シアトルのダウンタウンを散策

アムトラックバスの運転手の荒い運転あってか、予定よりかなり早くシアトルに到着した。

時計を見ると15時50分で、まず、ダウンタウン内のバスの無料ゾーンを利用してダウンタウン中心部のパイク通りまでバスで行った。

サンタモニカでも立ち寄ったアバクロンビー&フィッチ(アバクロ)という洋服屋や、ノードストロム・ラックというノードストロムという高級デパートの型落ち品やアウトレット品を激安価格で扱っている店などに立ち寄って、18時頃にはホテルへ向かう事にした。

ホテルまで行くには、①バスで近くまで行く、②徒歩で行く、③モノレールでスペースニードルの辺りまで行く、という3通りの方法があった。

まず、①のバスだと、どのバスに乗れば良いのか分からなそうだったので却下し、②の徒歩と③のモノレールを比べた時に、ダウンタウン中心部からスペースニードルのあるシアトル・センターまでの約2キロを90秒で走りぬけるというモノレールに乗った方が思い出になるかなと思い、③のモノレールでホテルまで行く事にした。

モノレールの車内は、両窓方向に席の向きが設定されていて、外の景色を楽しみながら乗車出来る一種の観光アトラクションだった訳だが、「おーーーっ!!」と心の中で歓喜の声を上げているうちに、あっという間にサイエンスセンターに到着してしまった。速さを売りにするのも良いけど、これでは感動する暇もないのではないかと思ってしまった。

因みに、このモノレールは僕の乗車した2005年11月中に接触事故を起こしており、2006年3月現在も、未だに再運行の目処がついていないらしい。

レアな体験が出来た事は間違いないが、もし僕がその事故を起こした車両に乗っていたらと思うと恐ろしくなった・・・

ホテルにチェックインして部屋に荷物を置いた後、この日は朝から何も食べてなかったので、近くのマクドナルドで腹ごしらえする事にした。

カウンターにて、日本のマクドナルドで注文するようにビッグマックの「セット」と注文してみたが、それでは通じず、「コンビ」といったら通じた。本当は「ミール」と言わなければいけなかったらしい。

腹が減っていたからか、あっという間にたいらげた。やはり、みんなが言う程ドデカイものではないなと思った。

ここのマクドナルドは珍しくドリンクバーのシステムだったので、翌日の予定を決めつつゆっくりしてこうと思い、「さぁトイレに行ってからやるべか!」、と張り切ってトイレで用を足して席に戻ってきたところ、僕の座っていたテーブルは既にキレイに片付けられていた。どうやら店員さんにもう帰ったのだと思われたらしい・・・

こういう時にも店員に事情説明して、ドリンクバーのカップを再度貰うくらいの英語力が必要だなという事を痛感した。

現時点ではそんな英語力も勇気もないので、仕方なくとぼとぼとホテルに戻るしかなかった。

 ホテルの部屋に戻ると、簡単に翌日の予定だけ確認して早めに寝てしまった。

第48話 バスでのアメリカ入国審査

(初級アメリカクエスト2005も「第八章 もう寂しくなんかないやいやいシアトル滞在記」に突入です

パシフィック・セントラル駅に戻り、グレイハウンドの長距離バスが並ぶバス乗り場にてアムトラックのバスを探すが見当たらず、またこの駅の構内でうろうろする羽目になってしまった。

時間前に到着しているのに乗り遅れても格好悪いので、仕方なく、アムトラックのカウンターで係員に聞いてみると、「アムトラックのバスは普通の乗車用が通るロータリーに到着する」と言われて、こりゃわかんねぇやと思った。勇気を出してカウンターの人に聞かなかったら間違いなくバスに乗り遅れていた・・・

何とかシアトルに戻れそうだとほっとして運転手にチケットを渡したのだが、運転手は、「ん?こういうのがアムトラックのチケットなんだけどな・・・」というような事を言って通常のアムトラックのチケットを見せてくれた。

「????」と、戸惑って何かを言いたいがうまく言えないという雰囲気を醸し出している僕を見て、その運転手はまぁいいや的に僕をバスに乗せた。

僕が持っていたチケットはインターネットで事前に取ったチケットだった為、どうやら形や書いてある内容が違っていたようで、運転手はそれを見たのが初めてだったのだと思われる。

「いやいや、僕は何も不正はしてないしちゃんとお金払ってサービスを利用するのに、何か後味悪いなぁ」

と思ったが、それをきちんと証明できない自分に逆に無力感を感じてしまった・・・

アムトラックのバスは、行きのアムトラックの電車に比べて、席は狭いし、バスの運転は荒くて居心地は悪いし、とても同じ料金のサービスとは思えなかった。バス内でしばらく日記を書いていたのだが、バスの振動で気持ち悪くなったので中断せざるを得なかった。

突然、国境のあたりでバスが停車し、僕を含めた乗客は貴重品を持って入国審査の建物に案内された。

入国審査の係員はかなり適当で、繰り広げられた会話はこれだけだった。

 審査員:どこへ行くの?

 僕:シアトル

 審査員:何しに?

 僕:観光

 審査員:さいなら(日本語で)

バカにされていると思うほど適当だった気がする・・・カナダ入国の時の方が確実にしっかりしていた。

入国審査を受けた乗客は、先回りをしていたバスに乗り込んで、乗客全員が乗り込んだ事が確認されると、再びアメリカへ向けてバスが動き出した。

飛行機での入国、歩きでの入国、電車での入国、バスでの入国と、この旅の間でいろんな入国パターンが経験できている事に自分でも驚いた。

知らない事を次々と経験するというのは時として苦痛を伴うが、経験しちゃえば結果的に同じなので、事前に調べる時間も手間も省けるし、すごく効率がいいのかなと思った。