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第7話 初日にして早速の危機到来

スタンフォード大学を後にして、ミヤタさんと待ち合わせ場所のパウウェル駅に向かう為、ミルブレー方面のカルトレインをホームで待ち、無事カルトレインに乗車して何とか待ち合わせに間に合うとほっとしたところで、初日にして早速の危機が到来した。

ちょっとの油断からカルトレインの中でいつの間にか居眠りしていたらしく、起きた時にはバートに乗り換え予定だったミルブレー駅を過ぎたところだった。それも、たまたま、ミルブレー駅を過ぎると終点までまっしぐらな電車に乗ってしまっていたらしく、今から折り返したとしても絶対待ち合わせ時間に合わない状況だったのだ。

「やべぇ、こりゃやべぇよ、マサルさん・・・」、などと口走りながら動揺を隠せないまま、その時は何故か待ち合わせに遅れてしまうという事より、カルトレインの乗務員さんがチケットのチェックに来たら事情を説明して無事清算してもらえるかなという事をびくびくしながら考えていた。

それだけ目の前の事を何とかするのに精一杯な状況だったのだ。

寝たふりしてごまかしちゃおうかなとも思ったが、その時は心臓が物凄くドキドキしていて、実際のところその鼓動で乗務員に感づかれてしまいそうな状況だった。だが、そんな僕の焦りとは裏腹に、結局、電車内でのチケットのチェックはなしで、清算なしで終点までいけてしまった。何てルーズな電車なのだろう!!日本では全く考えられない!!

カルトレインを終点のサンフランシスコ駅で下車し、最悪、禁断のタクシーという手段もやむをえない状況下で、現在地を確認する為に駅に備え付けてある周辺地図を覗いてみたところ、偶然にもパウウェル駅は地図の範囲内にあるではないですか!それも歩いていけそうな距離だ!

この時点では、一人でバスに乗る勇気はまだなかったので、とりあえず歩いていく事にした。

くはぁ、「ぼぼぼ、僕は、ア、アメリカにいるんだなぁ」と、とんでもないとこに来ちゃったなと今更ながら思いつつ、パウウェル駅を目指して歩き始めた。

その後歩く事30分、何とか時間前にパウウェル駅に到着出来て、何とか最初の危機は回避出来たのだった。

第6話 スタンフォード大学訪問

パロアルト駅で下車し、僕のイメージでは、ここからスタンフォード大学まで歩いていけるものだと踏んでいたが、とんでもなかった。どこの情報か忘れたが、ユニバーシティ通り沿いを歩いていけば行けるという漠然とした考えだけあったのだが、結局ユニバーシティ通り自体どの道かよく分からなかった。

という事で、早速、ガイドブックを片手に、旅行初心者丸出しのいでたちでうろちょろする事になるのであった。ガイドブックを良く見ると、パロアルト駅からは「大学行きの無料のシャトルバスに乗る」としっかり書いてあり、早速前準備不足が露呈され始めた。

とりあえず、無料のシャトルバスと思われるバスに乗り込み、スタンフォード大学へ出発。大学っぽくもあり住宅みたいでもありっていう判断が難しいエリアに近づいてきたところで、バスに乗っていた学生と思われる人たちは徐々に降り始め、多分こ の辺一体が大学なのだろうなという事に気付き始めた。

僕も降りるタイミングをずっと狙っていた訳だが、なかなか勇気が出なくて降りられなかった。だからと行って、一周してまたパロアルト駅まで逆戻りするのも情けないので、勇気を出して適当なところでバスを降りた。何しろ、話しかけられるのが恐くて、行動を起こすのが億劫になっていたのだ。

この時点で時計を見ると正午近く、到着と同時にスタンフォード大学の広大な敷地内を散策し始めた訳だが、12時30分から13時40分という時間限定で 夕方会う予定のミヤタさんに電話する事になっていて、その事が気になってしまって実際はあまりゆっくり見て回る事が出来なかった。

また電話でトラぶって取り乱すのは嫌だったので、12時30分には公衆電話のある場所を探して電話を試みたのだが、ここの電話機はまた事情が違って、カードを差し込むところがない事に気づいた。この時点では、コーリングカードの正しい使い方を知らなかっただけに、「え????コーリングカード使えない公衆電話もあるの!?」とびっくり仰天してしまった。

後で判明したのだが、コーリングカードのメカニズムとしては、
1.まず、AT&Tの指定の電話番号に電話をかける
2.自動アナウンスに従って、コーリングカードの裏に明記されているPIN番号を入力する
3.相手先の電話番号を入力する
という、3つ分の電話番号を入力して初めて相手先に電話がかかるというものだった。逆に、この3つの番号を控えておけば、もうカード自体は必要ないという事だ。AT&Tの方で、相手先に電話がかかる度に残り通話可能回数のカウントをする仕組みなのだろう。

実際、これが便利なのか不便なのか良く分からないのだが、僕は日本のテレフォンカードに慣れてしまっているのでえらい不便に感じてしまった。

その一連の仕組みを知らなかった僕は、わざわざ食堂で買い物をして?25コイン数枚をゲットし、そのコインを使ってミヤタさんとコンタクトを取ったのだった。

電話の結果、待ち合わせは、15時40分にダウンタウンのパウウェル駅近くのGAPでという事に決まったのだが、パウウェル駅なんぞ聞いた事さえなかっただけに、本当にその駅まで辿り着けるのか微妙だった。

待ち合わせ方法が決まってしまうと、今度はここを出発するタイミングが気になってしまい、あまり余裕をもって大学観光を楽しむ事ができなくて、結局、ベストな出発時間は計算不能だったので、とりあえずスタンフォード大学を縦断するだけにした。

異国の地で、時間的にマストな事をこなすのはかなり難しい事だ。こうやって時間に敏感になるのは日本人特有の文化から生まれるものかもしれない。もちろん、日本人の中でも千差万別だろうが、少なくとも僕は待ち合わせの時間に間に合うように正確に自分のスケジュールを組む方だ。だけど、それが出来るのも使い慣れたツールがある日本での話であって、初めて訪れた国で同じようにスケジュールを組むのは至難の業だという事を今回思い知った。

せっかく、アメリカでトップクラスの大学を訪れた訳だけど、この大学に対する僕の印象は、「とにかく広い」、という事と「とにかく自転車が多い」という事だけで、再びシャトルバスに乗り、颯爽とパロアルト駅に戻らなければならなかった。

パロアルト駅にて帰りのカルトレインのチケットを買おうとしたら、今度は男性に話しかけられた。「電話をかけたいから$1を?25に崩してくれないか」というお願いだったはずだが、僕もコインは持ってなかったのでその旨伝えた。だが、その直後にカルトレインの発券機でチケットを$10で買ってしまったので、そのおつりで僕の財布はコインだらけになってしまうのであった。

早いもので、アメリカに到着してから話しかけられたのは既に3回目だ。

第5話 アメリカ社会からの早速の洗礼

公衆電話での通話が結局成功せず、仕方ないので空港を脱出して先に進もうと、空港内のトイレで薄着へ着替えてからバート(地下鉄)の乗り場へ向かった。

さて、この日の予定は、
1.午前中にスタンフォード大学を訪問
2.夕方にサンフランシスコのダウンタウンにて、ミヤタさんと合流
3.ミヤタさんとダウンタウンを観光
4.夜はバークレーのホテルに宿泊
という、初日からハードスケジュールだった。

まず、バートでミルブレーへ向かうため、$1.5分のチケットを買おうとしたが、券売機で、ちょうど$1.5分のチケットの買い方が分からなかった。持ち越し式なのかな?と思って、とりあえず$2分のチケットを買った。

さて、「これからどんな旅が始まるのだろう?」とドキドキワクワクしながら、ミルブレー方面の電車に乗り込んだところ、次の駅で一緒の車両にいた人が、「ハ?ン!?ファ○ク!!」と叫びながら電車を降りていってしまった。その車両には僕と彼しかいなかったので、アメリカに来て、早速殺されてしまうのかと思ってしまった。

何が起こっているのか知らずにその後も電車に乗り続けていた訳だが、デイリーシティという駅まで来て、やっと僕の乗っていた電車が逆方向に向かっている事に気付いた。単に、僕が方向を間違えたと思いきや、実は電車のダイヤが混乱していただけらしく、一緒の車両に乗っていた人も、それに気付いて怒って一足先に降りていってしまったようだ。

仕方がないので、デイリーシティで降りて、逆方向のホームに行って電車を待ったが、いつまで経っても電車が来なくて、挙句の果てに「逆のホームから電車が出るから移動するように」と駅員さんが誘導を行い始めた。結局、元のホームに戻ってやっとミルブレー方面の電車に乗れたのだった。

アメリカに着いて、早速、アメリカ社会のルーズさの洗礼を受けた形だ。

アメリカ社会はルーズだという事は聞いていたが、こんなにも早くリアルな体験が出来るとは思わなかった。始めてだからそこまでストレスはなかったが、さすがにこれがしょっちゅう起こるとなるとストレス溜まりそうだなと思った。これも、世界に類を見ないほどダイヤにシビアな日本で育った日本人の定めなのだろうか。

ホームで電車を待っている間に、現地に住んでいると思われるおばあちゃんに電車の行き先を尋ねられた。僕は明らかに日本人で、いかにも英語を話せなそうに見えそうだが、やはり、アメリカ西海岸にはアジア人が多く居住していて、スーツケースをゴロゴロと転がしていない限り、現地住民と見られてもおかしくないのかもしれない。

バートに乗ってミルブレー駅で下車し、今度はカルトレインに乗り換えようとチケットを購入するタイミングで、またもハプニングが起こった・・・発券機にお金を入れようとするが、いくら$1札を入れても受け付けてくれない。やり方が悪いのかな?と思い何度も試みるが、それでもダメ。途方にくれている間に、工具を持った人が近づいてきて、僕より一回りも二回りも体の大きいアフリカンアメリカンの方だったので何となく後ずさりしてしまった訳だが、その人は問題の発券機に向き合っていろいろな工具を使って作業をし始めた。

何と、発券機が故障していたのだ。

アメリカに着いて早速多数のハプニングに見舞われ、僕にとっては結果的にラッキーだった訳だが、バートのダイヤの乱れで大いに振り回され、発券機故障で途方に暮れていた時間も長かった為に、もう予定が乱れまくりだ!僕の時間を返してくれ給え!!

次のカルトレインが来るまで30分程時間が空いてしまい、ミルブレー駅周辺を散策などしていたが、このタイミングで公衆電話から再び通話のトライをしてみたところ、何とか繋がった!だが、挨拶をして本題に入ろうというところで、何故か勝手に電話が切れてしまった。サンフランシスコ-ロサンゼルスというカリフォルニア内の通話でも立派に長距離電話になるらしく、?50ごときではすぐ切れてしまうようで、コーリングカードや携帯電話を持たない者にとって、公衆電話からの長距離電話をするには、?25コインを大量に持っているという事が条件のようだった。

まぁ、とりあえず無事に到着したという事は伝えられたし、PIN番号の意味がカードの裏面にあるコインで削って出てくる番号だったという事も理解出来て、今後はコーリングカードでの通話も可能となった事だし、まぁ良しとした。

ミルブレー駅のカルトレインのホームは、そのまま外部との仕切りがなく、そのままホームに入れてしまうので、何だかとっても違和感があった。チケットを通す改札もなく、乗務員さんが列車内を巡回して、乗客個々にチケットを持っているかを確認するというスタイルだったので、やろうと思えば切符を買わずにカルトレインに乗り込み、見つからないようにどこかに隠れていれば切符を買わずに済んでしまうようだった。

やはり、車社会のアメリカと道路の狭い日本とでは、電車の存在の重さが全く違うという事が良く分かった。

ここの駅のホームでも女性に電車の行き先について話しかけられた。片言の英語でだけど答えてあげて、日本から今日来たという事を話したところ、その女性は若い頃に大阪に行った事があるという事を話してくれた。

やがてカルトレインが地響きと伴に到着した。

カルトレインは、サンフランシスコ?サンノゼ間を結ぶ2階建ての列車で、その重厚な造りから僕に連想出来たのは、これに轢かれたら一たまりもないだろうという事だけだった。

車内は非常に空いており、一人のアフリカンアメリカンの男性が携帯電話で通話している声がやけに気になった。こんなに多くの席があるのにこんなに好いていたら採算が取れないのではないかと思ったが、ラッシュ時には一転して賑やかな車内に変わるらしい。

目的のパロアルト駅まで40分くらいあるので、このタイミングで寝とかなきゃまずいと思っていたが、到着駅の車内アナウンスが聞き取り辛く、乗り過ごす危険があって逆に神経を使う羽目になってしまった。

何とか乗り過ごす事もなく目的地の最寄り駅のパロアルト駅まで無事到着した。

第4話 アメリカの公衆電話事情

僕を乗せた航空機がサンフランシスコ国際空港へ向けて高度を下げて迂回を始めている途中、ふと窓から外を覗くと、鮮やかな青色の背景に何か白く長いものが垂直に伸びていた。周りが海だという事は何となく分かり、海の上に重なるものといえば、「橋」なのかなというところまで連想出来た。「こ、これが、かの有名なゴールデンゲートブリッジか!」と興奮を抑え切れなかった訳だが、後でそれがサンフランシスコのもう一つの有名な橋ベイブリッジだったという事に気づくのであった。ゴールデンゲートブリッジはインター ナショナルオレンジという鮮やかな朱色なのだ。

航空機は墜落する事もなく、無事、サンフランシスコ国際空港に到着。
この時、現地時間で11月3日の朝の8時30分頃。自宅を出発した時刻にほぼ舞い戻った形だ。何て恐るべき事なのだろう!!

噂で、入国審査は1時間くらい列に並ぶような噂を聞いていたのだが、ほとんど並ばずに済んでしまった。噂を信じちゃいけないよ、ほんと!

初の入国審査では、滞在予定の場所やその目的など基本的な事を聞かれただけで難なく乗り切れそうだったが、最後に聞かれた質問が良く分からなくて分かったふりし「イエス」とだけ答えたのだが、それだけでは当然許してもらえなかった。どうやら、パスポートの写真と見比べる為に「メガネを外せ」と言っていたらしく、言う事を聞かない僕に対して審査員もどこかうんざりしているようだった。
入国審査のゲートを出て出口に向かって歩いて空港ロビーに行き着いたところで、まず、無事到着した旨を現地で会う予定の数人に電話して伝える為、公衆電話を探した。

公衆電話はそこら中にあったので、適当な公衆電話から早速電話をかけようとしたのだが、事前に教えてもらっていた電話番号は、番号の頭に「1」が付いたりつかなかったりになっていて勝手が全く分からず、1を付けてみたり外してみたりするが、英語で同じ自動音声が流れるだけで、その自動音声さえも全然聞き取れないという何とも情けない状態だった。

一旦、落ち着いて作戦会議(僕の脳内会議)をする為、ロビーに戻り、ガイドブックを開いてみた。どうやら、お金が足りない時に音声が流れる場合があるとの事で、どうやら公衆電話から電話をかけるには最低?50が必要なようだった。という事で、今度は?25、2枚を挿入してリトライしてみるが、それでもうまく電話がかからなくて、ついには$10のAT&Tのコーリングカードに手を出すまでに至ってしまった。 

コーリングカードの案内に従い、まず、AT&Tの指定の番号に電話してみたところ、「PIN番号を入力してください。」という自動アナウンスが流れるだけで、今度はこのPIN番号というものが何を指すのか分からず、電話がかけられなかったのはアメリカの仕組みのせいにして、ここの公衆電話機でこれ以上悩むのはやめた。

という事で、アメリカの公衆電話の事情は、僕の結論としては、僕のような初めて利用する観光客を途中で諦めさせてしまうほど使いにくいという事だった。それとは裏腹に、買ったばかりのボーダフォンの新携帯を使っての姉とハジメさんへの生存確認ワンコールはすぐに成功した。

電話で悩んでいて途方に暮れている間に、何やら、アジア系のお偉いさんのお通りがあり、ロビーが一部、ボディーガードみたいな人によって通行止めになった。ロビー内に一瞬緊張が走ったが、あっという間の出来事で、やはりプロの仕事は違うなと思った。

第3話 眠らせてくれ@機内

何とか無事に航空機に乗り込む事が出来た訳だが、機内は何しろ狭く、エコノミークラス症候群に陥る人が多いという事がなるほど納得出来た。客室乗務員の人は多少日本語が話せるようだったが、どこか発音が変ちくりんで、しかも見た目は外国人そのものなので、既にこの空間はほぼアメリカなのだという事を意識しなければならない時期にきていた。

僕が席を見つけた時には荷物置場が既に一杯で、「聞いてないよー!」と航空機の中心で不満を叫ぼうとしていたところを、一人の客室乗務員さんが「ここが空いているよ」という事をジェスチャーで示してくれて、何とか難を逃れた。

一方、僕よりももっと後に乗ってきた外国人(恐らくアメリカ人)は、同じようなシチュエーションで、人の荷物をかなり強引に扱いながら自分のスペースを作ろうと何度もトライしていた。かなりガタイの良い人だったので、その筋肉はその為にもあるようだった。

いよいよ航空機がバックで動き出し、滑走路にスタンバって加速を始め、すぐに飛び発った。この瞬間に、もう後戻りは出来ないという事を覚悟した。多分、僕の性格的に計画したルートを忠実に進むより、アメリカに着いてすぐに帰る為のフライトの手続きをする方が難しいだろうと思わせるくらい、この時の僕は異国での言語の壁の厚さを感じていた。機内放送が全く聞き取れなかったという事は、余計に僕にそう思わせた。

機内食は思ったよりもまともだった。確かに美味しくはないがそこまでまずくもなく、量は十分だったのでこれで一食分は浮いたと思った。

飲み物注文の際には何が注文可能なのかが分からなかったので、とにかく無難と思われるオレンジジュースを注文してみたのだが、意外に「オレンジ」の発音が難しく、50%くらいの確立でしか一発で通じなかった。カタカナで表現すると、「オーウェンジ」と発音した方が通じるかもしれない。

さすがにこのフライトの間に寝ておかなかったら、アメリカの地のどこかで力尽きて気付いた時には一文無しで着るものもなしという事態も想定され、危機感を持って何度も寝ようと試みたが、ちょこちょこ客室乗務員さんが来るのでなかなか眠りにつけないまま到着1時間前の機内放送が流れてしまった。

時計を見ると日本時間で夜中の0時30分。だが、カリフォルニアは朝の7時30分。昨夜は3時間しか寝ていなくて、それからほぼ丸一日起きているというのに、これからまた一日が始まるらしかった。

異国の地で、それも一人で・・・

第2話 出発当日 搭乗までの道のり

怒涛の出発当日準備も終わり、時計を見ると朝の8時30分頃だった。

近くの食料品店で1.5倍おにぎりを二つ買い、さらに一週間くらい前に調理して冷蔵庫に眠っていたマカロニ入りのカレーを一緒に食べた後は、何をするにでも出発の時間が気になってしまい、そわそわしながら時計ばかり見ていた。未だに「今からアメリカに行く」という実感が全くなくて、これから嵐のような日々が訪れる事などこの時の僕には知る由もなかった。

時計を見ると9時30分頃、いよいよ出発の時がやって来た。成田空港までは、成田エクスプレスは使わず、大和駅(バス)→横浜駅(相鉄線)→高砂(京急線)→成田第一ビル(京成線)というルートで向かった。

途中、京成線の車内にて、隣に座っていた酔っ払いにビールをこぼされてズボンにかかるというハプニングが早速起こり、「ズボンはこれから9日間ほど穿く予定なのに何てことするんだ、訴えてやる!!」と言ってやろうと思ったが、この時は帽子を被っていなかったので止しておいた。因みに僕はダチョウ倶楽部の竜ちゃんの大ファンだ。

「成田空港の両替所はいつでも混んでいて1時間待ちくらいになる可能性もある」という噂を耳にしていたので、成田空港に着くと、すぐに外貨両替所を探したのだが、どこの両替所も並んでいる人は皆無で、速攻で両替が出来そうな雰囲気だった。

暇だったので、両替所巡りをして外貨両替所事情のリサーチに乗り出したのだが、両替所によってトラベラーズチェックが$100単位でしか両替できないなど、事情が異なる事が分かった。だが、両替レートはどこもそれほど変わらなかったので、僕は、トラベラーズチェックが$50単位で両替できる両替所にて、トラベラーズチェック$200分($50分4枚)を両替し、現金は$100分すべて紙幣で両替してもらった。

この時は勝手が分からずに現金を全部お札で両替してしまった訳だが、アメリカ到着後に電話する時など?25が重宝したので、予めコインも両替しておくべきだったと後になって後悔する結果となった。

ネックだと思っていた両替作業がすぐに片付いてしまったので、集合時間まで空港のロビーで1時間以上暇を潰さなければならなくなってしまった。そもそも、フライトの時間が17時なのに、集合時間が14時30分というのはいくらなんでも早すぎるのではないかと思ったが、聞くところによると、アメリカの同時多発テロ以降はセキュリティチェックが厳しくなっているらしく、余裕を持って臨まないと搭乗時間に間に合わなくなる恐れがあるそうだ。

やがて集合時間になり、航空券の引き換え手続きをした後、案内があるまで待っていれば良いのかと勘違いしていて暫くその場で待っていたが、誰も何もしてくれなかった。そんな事くらい、誰か係りの人に聞けといった感じなのだが、わざわざ100円のインターネットマシンを使って調べてみて、セキュリティチェック、出国審査など、どんどん先に進まなければならないという事を初めて知った。

この時の僕の心境としては、「こんなんで果たしてアメリカで生活できるのだろうか・・・助けを呼べばスーパーマンが来てくれるかといえばそうではない。あれはハリウッドの映画の世界の話だ。現地では誰も助けてくれない。そうだ、自分の力で歩みを進めないといけないんだ!・・・マジでー・・・。」と、どうしても最後の最後で「やってやるぞー!」といった前向きな気分になれなかった。

セキュリティチェックは他の人の動きを観察して見よう見真似でそれっぽく振舞って何とかクリアし、出国審査では30分くらい並んだが特に問題なくクリア。

空港内の免税店でウィンドウショッピングをした後、ユナイテッド航空専用のラウンジがあり、面白そうだから入ろうとしたら、「ここはビジネスクラス以上の方しか入れません」とすっかり門前払いを食ってしまい、結果的にはかなり赤っ恥をかくという結果となってしまったのだが、僕のこの『何でもやってみよう精神』は自分でもすごいなと思った。

そんなこんなで大分遠回りしながら搭乗ゲートに着いた訳だが、結局早く着きすぎて搭乗まで搭乗ゲート前のロビーでさらに長時間待つことを余儀なくされた。
この時点で、周りの半分くらいは外国人だったので、話しかけられないようなるべく目を合わせないようにしていたのだった。

第1話 アメリカでサバイバルする為の準備

会社の有給休暇
出発日の11月3日は祝日だったが、8泊9日の旅を遂行するには、翌日から6労働日分もの休みを取得しなければならなかった。サラリーマンの身分で、自分の好きな時期に6日分も休みを取るのはなかなか難しく、特別暇な時期でもなかっただけに、お客さんに、こうこうこうやってここまで終わらすと宣言して納得させなければならなかった。すべて宣言通りに出来たとは言い難いのだが、チームメイトの協力などもあり、半ば強行突破的ではあったが、何とか決行出来る運びとなった。

パスポート取得
休みは取れた。さあ、準備を始めよう!と意気込んでみたものの、はて、何から始めればよいのだろう・・・と、今まで姉に任せっきりのハワイ旅行しか海外旅行経験のない人間にとっては、右も左も分からない状態で、早速、大きな壁にぶち当たった。
パスポートなんてその場で発行してもらえるものだと思っていたくらいで、パスポート発行には1週間以上かかると聞いて、会社の午前半休を取って、これまた強行突破的に横浜までパスポートを取得しに行かなければならなかった。資金的な事をあまり気にしてなかった僕には、10年用のパスポートが僕の予想に反して一万五千円もした事実はとても痛く、このアメリカ旅行を、こんなに大袈裟で金のかかるものにするつもりはなかった僕には一つ一つが痛い出費だった。

航空券の取得
当時、航空券の取得手段はHISくらいしか知らなかったので、航空券はHISに手配してもらった。当初、ロサンゼルス入り計画で考えていたが、その計画だと安いユナイテッド航空のフライトが満席で、別の航空会社だとそれより一万円ちょっと高くなるそうなので、ユナイテッド航空で空席に余裕のあるサンフランシスコ入りで計画し直した。
フライトの順序としては、成田→サンフランシスコ→ロサンゼルス→シアトル→成田というアメリカ南部から攻める形でフィックスさせた。とりあえずその計画で見積もりをしてもらったところ、当初はトータルで九万三千円と出ていて、これだけのアメリカ国内移動を含めてこの価格だったら格安だなと思ってはいたが、アメリカ国内便の時間変更をこまめにしているうちに、最終的に何故か八万八千円とさらにお買い求めしやすい価格となっていた。多分、HISの人の手違いで、休日の空港使用料五千円を料金に含み忘れたのだと思われるが、その分不安だったので五千円で旅行の保険(AIU)に入る事にした。

現地での具体的な計画
大変なのは、実は航空券を購入してからだった。アメリカに行きたいとは言ってもアメリカの事を漠然と知っていただけで、具体的な都市とか観光地とか全然知らなかった為に、どこに行きたいか?というのは完全に後付だった。しかし、その代わりに「何がしたいか?」というのはあって、それは人が集まるようなテーマパークに行きたいというものではなく、アメリカ人が普通に生活している場所に行ってその場所に溶け込みたいというものだった。特に、僕は将来的に留学を考えているので、アメリカの学生が通う大学に潜入して、アメリカ留学プチ体験がしたいと思い、僕でも知っているような有名なアメリカの大学に出来る限り足を運んでみようと積極的にスケジュールに組み込んだ。

大学訪問計画
訪問を計画していた大学は、スタンフォード大学、UCバークレー、UCLA、ブリティッシュ・コロンビア大学、ワシントン大学の5校。何れも名門大学で、僕が足を踏み入れるだけでも恐れ多いのかもしれないが、事前に下見に行って実際の大学の雰囲気を味わっておくかどうかで間違いなくモチベーションが違ってくる。下見をしてみて「ここに行きたい!」という大学が見つかりさえすれば、「その大学に入るには何が必要なのか」という次のステージに進める事になるのだ。仮に、今回の旅で「ここだ!」という大学が見つからなくても、それを見つける為の何かしらのヒントが隠されているという事は確信出来た。

外貨両替
外貨両替については、当日に空港で行うとすると混んでいて時間がかかる場合があるという噂を耳にしていたので、仕事の昼休み中に抜け出して近くのみずほ銀行で事前に両替しようと試みた訳だが、そこの両替所では5万円とか10万円とかある程度のまとまった両替でないと良いレートで両替が出来ないようだったので、ここでは両替はせず、当日早めに家を出て成田空港で両替する事にした。

クレジットカード
友人から、アメリカ旅行中はクレジットカードがあると便利との情報をもらっていたので、クレジットカードの取得に乗り出した。国内でもほとんど使ったことのないJCBのカードであれば既に持っていたが、そのカードはどうやらアメリカでは使えないカードだったようだ。将来的にも、世界的に使えるカードを作っておこうと思い、UCカードのクレジットカードを作る事にした。
UCカードと言っても、どこかの企業と提携しているカードなどあり、細かく言えばかなりの選択肢があったので、A型で優柔不断な僕をとことん迷わせた訳だが、最終的には、利用予定のユナイテッド航空のマイルが貯まるクレジットカードを作った。

海外でローミング可能な携帯電話&デジカメ
出発の数日前に、急遽思い立って海外でローミング出来るボーダフォンの携帯電話を購入した。僕の購入した携帯は本体価格5000円で、海外でローミングが出来るのに加えて320万画素というデジカメ顔負けのカメラが付いていた。
急遽この携帯電話を買おうと思い立った背景には、もちろんカメラ機能が使えるという事もあったのだが、主な目的は、海外ローミング機能を利用して家族に毎日この携帯を使ってワンコールだけして、家族の携帯電話に着信履歴を残し生存確認を知らせるということ。家族も心配するだろうし、ワンコールだけならお金はかからないし、ケチではあるけど相当にプログレッシブなことをしているなと自分では思った。

四方八方から飛んでくるアメリカに纏わる噂
旅行前に知り合いに旅行の話をすると、皆それぞれに自分の経験とか知り合いから聞いた噂など、「?した方が良い」とか「?しちゃダメ」とか、皆、口々にいろんな事をアドバイスしてくれる訳だが、出発直前になっていろいろ言われても対策を立てている時間はないし、そんな事をいちいち気にしていたら何も出来なくなってしまいそうだったので、なるべく気にしないようにした。皆、悪気があったわけでない事は分かっていただけに、終始、皆に申し訳ない心持だったの訳だが・・・

宿泊場所と移動手段など一貫した計画計画の策定には、一貫して僕の通っている英会話スクールの先生のハジメさんに加えて、シアトル在住のハジメさんのお父さんのヒデオさんやお姉さんのリエさんともメールで会話していて、ホテルの予約やアムトラック(長距離列車)の手配などほとんど面倒を見てもらっていた。9日間でアメリカを縦断するにはほとんどの時間が移動時間に費やされ、ホテルもほぼ毎日変わることになり、ヒデオさんが僕の計画に合わせて最適と思われるホテルを選んでくれた。
また、シアトル-バンクーバー間の移動にはアムトラックを使用したのだが、この時期ちょうど円安が進んでいて、それによってチケットの価格も高騰し始めていた関係で、事前にヒデオさんが安いうちのチケットを取ってくれていた。

現地で待ち受けてくれているサポーター
ロサンゼルスで会う予定で既にメールで会話済みのハジメさんの知人のヤトミさんに加え、出発直前になって、急遽、サンフランシスコとサンディエゴでもハジメさんの友達のミヤタさんとレドナに会えることになった。これで、サンフランシスコではミヤタさん、サンディエゴではレドナ、ロサンゼルスではヤトミさん、シアトルではハジメさんの家族に会える事になり、ほぼ行った先で誰かしらハジメさんの知り合いに会える事になった。ただし、いつどこで待ち合わせするかなど、余裕を持って詰められないまま出発を迎えてしまったので、実際会えるのかはこの時点では全く未知数だった。

出発数日前の様子
出発前の数日間は、溜まっている仕事を終わらせる為に夜中まで仕事があったし、出発前の2日間は、準備をする為にかなり早起きしたりしていたので、3時間くらいしか寝られない日々が続いていて、大分顔色も悪かったし体も弱っていたと思う。この時点では、この旅の途中でのたれ死ぬという可能性が常に僕の頭にあったのだが、今更後戻りも出来ないし、ただ、無事で日本に帰ってこられる事を祈る事しか出来なかった。
僕と同じように会社の有給休暇を取得してアメリカに渡った人も過去にいたのかもしれないが、僕はその人達のことを知らないので、結局、僕はパイオニアに近い感覚で、その半端のないプレッシャーと戦いながら出発を待つ事しか出来なかった。アメリカで何が待ち受けているのか全く未知数だし、無事日本に帰国できても日本の社会に復帰できるのかも未知数・・・この数日でさらに白髪は増えただろうな。

出発当日の怒涛の荷造り
現地ではほぼ毎日ホテルが変わるので、その移動でスーツケースをガラガラさせていくのは嫌だったので、次に紹介する荷物をすべて、ウッズのでかいリュックとエディーバウアーのウェストポーチに詰め込んで持って行く事にした。

パスポート/パスポートのコピーを何枚か/地球の歩き方(アメリカ西海岸編)/旅の指差し会話帳、ひとり歩きの英語自由自在(同僚から借りた実戦で役立つ英会話本)/AIU保険証/航空券引き換え券/日本円5000円程/300ドル分だけ両替する為の日本円/知り合いからもらったUSコイン数枚/アイポッドと充電用アダプター/携帯電話と充電用アダプター/財布2つ(被害を分散させる為、直前に500円の財布を事前に購入した)/ユナイテッド航空マイレージクレジットカード/システム手帳(現地で会う人の連絡先や、メモはこれにすべて載せておいた)/日記用の小さなノート/大事な物を入れておくジッパー付きの袋(ユニクロの下着を買った時の袋)/見開き型のクリアファイル(滞在中のタイムテーブルをまとめた一覧表などをまとめたもの)/基本下着4セット/現地で捨てる用の下着、何セットか/ジーンズ(基本的に滞在中はずっとこれをはいていた)/薄手のウインドブレーカー/短パン、トレーナー、薄手の長袖、タンクトップ(何れもユニクロ)/エアモック/サンダル/タオル/メガネ/帽子/携帯用歯ブラシ/寝癖直し用WAX/ビニール袋何枚か/雑誌2冊(ハジメさんのお姉さんのリエさんにお届け用)/ハンカチ、ちり紙

これだけの荷物量を、リュックとウェストポーチに収める為にはいくつか条件があり、僕の考え付くところでは、「下着は現地で洗濯」、「長ズボンは着替えなし」、「アメリカ北部に向かう直前にジャケット購入」は最低限の必要条件で、あとは荷物の入れる順番を変えるなどして気合で乗り切った。試しに背負ってみて「あっ、いけるじゃん!」と思ったのだが、そう思ったのは出発前だけだったかもしれない・・・

初級アメリカクエスト -アメリカ西海岸縦断編- 前書き

この本は、僕が2005年11月3日より9日間(+α)かけて体験したアメリカ西海岸縦断の一人旅の記録です。

9日間という短い期間ではありましたが、縦断ルートとしてはサンフランシスコ→ロサンゼルス→ティファナ(メキシコ)→サンディエゴ→シアトル→ バンクーバー(カナダ)と、アメリカ西海岸の主要都市をほぼ制覇するというものでした。これだけの都市を9日間で回る人と聞けば、皆さんは海外一人旅に慣れている人を思い浮かべるかもしれませんが、僕はこの時、仕事をしながら英語を勉強中の26歳の一介のサラリーマンに過ぎませんでした。

海外旅行経験はと言えば、これまで姉に任せっきりのハワイ旅行しかありませんでした。英語力はと言えば、知り合いが自営業で運営している英会話スクールに2年程通ってはいましたが、この時の僕のTOEICのスコアは550点と、とても微妙なラインでした。実際、TOEICで550点と言えば下から数えた方が早いのです。

そんな何をするにでも中途半端な僕をアメリカ一人旅に駆り立てたものは、近い将来に計画している「アメリカ留学」への想いでした。アメリカ留学を決意した理由は、日本の大学生活を無駄にしてしまったという個人的な後悔からでした。日本の大学を責めるつもりはありませんが、僕は貴重な大学の4年間をだらだらと過ごしてほとんど何も得られないまま卒業を迎えてしまい、今となってはこの事実が僕にとっては一生の後悔に繋がってしまいそうで、やり直すなら今しかないと思い立ったのです。

何故にアメリカなのかと言うと、そんなに明確な根拠があった訳ではないのですが、単に留学するなら教育の国と呼ばれるアメリカにしようと決意したまでです。

今回の旅は単にその下見という程度で考えていたのですが、僕はこの旅で考えられない程多くの障害に直面し、その都度試行錯誤しながら全力で乗り切って来ました。下見に過ぎないと生ぬるく考えていた僕にとっては、全く想像に及ばなかった程です。

しかし、僕の経験した一つ一つの障害は、一般的に見たらそんなに言うほどたいしたことはなく、海外旅行経験が豊富な方にとっては、何もなかったかのようにそのまま通り過ぎてしまうくらいの障害だと思います。ですので、最初に言っておきたいのですが、この世に数多く存在する壮絶な自伝本と比べてしまえば、この本にはそんなに大それた事は書かれていません。僕が描きたかったのは、僕の立場、僕の目線で実際に体験して感じたアメリカ一人旅です。出来ない人がやるからこそ、些細な事でいちいち壁にぶつかり、その壁を乗り越えようと試行錯誤する過程でこそドラマが生まれると僕は思うのです。

ほとんどの日本人は僕と同じように海外旅行経験に乏しく、英語も国内でかじった程度だと僕は思っているのですが、僕はその大多数の日本人の目線で見る事が出来ます。そんな中から僕は一歩踏み出してアメリカへ一人で旅立ちました。何もその事を「すごいだろう!」と鼻高々に語るつもりはありません。う?む、ちょびっとはあるのかもしれませんが、皆さんに一番感じてもらいたいのは「僕に出来ることは、皆さんにも出来るということ」です。

この本を読んでみて、「自分もやってみたい」と感じる人もいれば、漠然と「面白そうだ」とだけ感じる人もいるだろうと思います。中には、「こんな経験は絶対にするもんか」と決意を新たにする人もいるかもしれません。皆さんにとって感じ方は違うと思いますが、この本を読んだ事によって、皆さんがアメリカという存在にぐっと近づくきっかけを得る事を、僕は願って止みません。

僕達日本人にとって、アメリカは決して遠い存在ではありません。アメリカでは、たった今も日本と同じように現地の人々による「現実の世界」が進行中です。何もアメリカに限った話ではありませんが、日本という島国にいると外国で起こっている様々な出来事が、テレビの中の映像の世界の話だと錯覚してしまいがちです。実際僕がそうだったのですが、それはとんでもありません。世界は日本とリアルに繋がっているのです。

この旅を通して、就職活動時にSPI試験で大苦戦して面接を勝ち取る事も出来ないような常識知らずの僕が、こんな風にいろいろな事を考えるようになりました。僕は、その一連の過程を僕の視点で余す事無くこの本に書いたつもりです。元々理系人間で文才もないのでうまく表現できているかはいささか疑問ではありますが・・・

最後に、僕にとってこんなにも長いストーリーを文章で表現するのは全く初めての経験で、分かり難い表現や日本語的に間違っている部分も多々あるかと思いますが、この本を読み終わった皆さんの心に、新たなアメリカ観と、世界へ踏み出す第一歩への布石が培われているという事を心から願っています。