「ボランティア」カテゴリーアーカイブ

平塚市民プレス(仮)立ち上げ作戦会議

ローカル市民メディアの立ち上げ勉強会が開催されました。「平塚市民プレス」という仮タイトルで、β版として、早速サイトを立ち上げることになりました。仮コンセプトは「完全市民目線、つまりあなたが書くんだべ」ということで。まだまだ計画段階なので、是非次回の勉強会にご参加ください!

勉強会の書殴り議事録です。汚いです。 ow.ly/i/Mxal

参加者:@yossy_morisaki@masanari_iida @p0p0ji

平塚市民プレス(仮)立ち上げ勉強会でその他話されたこと→サイトが荒らされたり、炎上して収拾がつかなくなった場合のコントロールは難しい。規約でガチガチに固めて管理側がコントロールするのもありだけど、出来れば記者同士、市民同士で話し合って解決する流れを作りたい。

一番の対処法は、「平塚をより良くしたい」という意識を共有すること。そのために何が出来るかをこれから考えていく。実名やその他のプロフィール情報を必須にすることも、不用意な中傷などを防ぐのも効果があると思われる。出来るだけ参加の敷居を下げたいけど、その辺はしっかりやる

子どもたちの参加も募りたい。だけど、実名で参加させることに問題が発生する可能性もある。今後、子どもたちの安全で十分な参加の確保についても検討を進める。また、個人としてではなく、数人(グループ)での取材・記事投稿なども自由にやってもらう。

サイトの管理側がどこまでコントロールするかの考え方について。あまり思わしくない記事やコメントを書く市民も出てくることが予想される。悪人と言えるような人が出てきたら、排除して隠す?その必要がある場合もあるけど、基本的には、「悪人がいる平塚」もありのまま示したい。

現状のローカルメディアの問題点について→他のローカルメディア(タウンニュースや湘南ジャーナル)は、記者が固定されて必ずしも市民目線とは言えず、型にはまってしまっている。また、市民による平塚情報は確かにあるけど、バラバラに散らばってしまって埋もれてしまっている。

その点、平塚市民プレス(仮)は、このプラットフォームを介して市民が自由に平塚に関する情報を発信でき、平塚市内の地区や近所レベルの情報までも蓄積出来る。facebookなどより記事、記者という意識が高く、タウンニュースなどより自由度が高く市民目線のメディアになる。

「人力エネルギー」によるインパクト

「エネルギー効率を上げる」っていうことは、最終的に行きつく先は「人間の稼働率を上げる」ってことなんだと思う。

エネルギー効率が高いコミュニティって、個人とか家庭の規模で、消費より生産が盛んに行われているはず。「「生産と消費」についての連続ツイート」bokudeki.me/essay/mainessay/876

この番組はなかなか面白かった。僕だったら、「人力エネルギー党」で立候補するな。人間の稼働率を上げて電力不足を補う。最も人気ないと思うけど…「たかじんNOマネー2012.6.16」 –dai.ly/Lj4FZ9 @DailymotionUSAさんから

この場合の「人力エネルギー党」のような指向性が多くの人に支持されるようにならないと、脱原発なんて到底無理だと思ってしまう。あらゆる面で自分が行動して電力需要をカバーするという覚悟を決めれる人が必要。

僕が言ってる「人力エネルギー」って、例えばこういうこと。「エネルギー危機の打開策は、人間の可能性の開発にしかない」bokudeki.me/essay/mainessay/48979

身近な人が不慮の事故に遭って亡くなったり、いじめられて自殺したり、理不尽に殺されたりして、目覚めて、全国を講演しながら回ったり、予防を呼びかける会を作ったり、すごい活動家になる場合がある。

そういうきっかけがなくても、眠っている個々の潜在能力を引き出せれば、全体としてもの凄いエネルギー量になる。これも人力エネルギー。

人力エネルギーによって、個々の人たちが社会における役割を果たし合えれば、その他の外部からのエネルギー需要は劇的に減るはず。それが出来た時には、原発を使ってるときよりずっと経済も発展しているはず。

政治で大事なのは、多数決で決めることより、合意に持ち込むことだと思う。僕たち国民が、時間と労力をどれだけ積極的に注ぎ込んで、視点を出し合い、審議出来るかにかかっている。この点でも、人力エネルギーによる果てしない影響力が分かる。

「面倒くさい」だとか、「自分には出来ない(能力がない)」だとか言って、自分の可能性の出し惜しみをしてるようじゃ、脱原発なんて到底出来ないと思う。例え、火力や再生可能エネルギーに置き換えたとしても、結局はうまくいかない。

相変わらず、「人力エネルギー」についてのつぶやきに対して反応なしか。お金もかからず、環境へのインパクトも最小限で、しかも、エネルギー効率をどこまでも高められるものだと思うんだけどな。

 

 

 

 

進和学園創設者の出縄明さんという人

生前に、進和学園の創設者の出縄明さんに会っておきたかった。以前、出縄さんのこの記事を読んで、ひどく感動したのを覚えている。「ひかりの轍(わだち)」scn-net.ne.jp/~journal/kono%

一市民が福祉を作る。そんな偉業を成し遂げた進和学園創設者の出縄明さんは、「そうせざるを得なかった」と語った。自殺未遂をする程追い詰められていた。「夢」は目標を果たす原動力になるけど、人間の能力を発揮させ切ることは出来ない。「使命感」こそ、人間の可能性を拓き切るものだと思う。

出縄明さんは、85歳で亡くなる当日も、Yシャツ姿で、熱心に取り組んでいた七夕飾りを見に来ていたという。トルストイは言った。「人間は病気のときも健康なときも変わりなく、自分の使命を遂行できる」 使命の人は、死ぬ瞬間まで使命の活動を続ける人なんだと思う。

地元にこんなに素晴らしい人がいたことを誇らしく思います。出縄さんは、祖父と同級生で親交が深く、僕は出縄さんの設立した保育園に行ってました。僕が小さい頃は、知的障がいを抱える人たちを抱える進和学園は、あからさまに差別の対象でした。でも、そんな逆風を乗り越えて、尊敬を勝ち取るまで血のにじむような努力を重ねた出縄さんは、まさに偉人だと思います。

「出縄明さんをここまで駆り立 てた原因は、小学校3年生の時、吃音でいじめられたことにあった。 5年生 の時、猛毒と聞いた緑青を集めて飲み、死のうとしたが死ねなかった。 意識 を取り戻したあと、「弱いもののために生きよう」と決心した。 教室で笑われ、 泣き伏した時、一緒に泣いてくれた先生がいた。 自分の手に落ちたその先生 の熱い涙を、一生忘れないという。」kbaba.asablo.jp/blog/2010/09/21/5358934

これが本当の教育だと思う。役立たずとしか思われなかった人間が、福祉を作り上げてしまう程の人材になった。スティービー・ワンダーも、盲目で役立たず扱いしかされなかった小さいころ、学校で実験用のマウスが逃げたとき、先生にその優れた聴覚を買われて探すようにお願いされなかったら、今日の彼はいなかったかもしれない。

出縄さんとは直接面識はなかったけど、彼の生き様から多くのことを学び、意志を受け継いでいきたいと思う。

応募の動機と事業仕分けに対する考え

平塚市で、この夏に行われる事業仕分け作業に向けて、市民からも事業仕分け人を募集しています。(募集期間は6/15(金)まで)www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/gyoukaku/jigyousiwake.htm

僕は、応募するためにしっかりエッセーも書いたのだけど、応募条件に反する点があったので、応募を取り消すことにしました。それは、「市民仕分け人を委嘱する日(平成24年7月13日)に市内に1年以上在住している方」という項目。

まぁ、うまくやればバレないとは思ったのですが、そもそも、確かに、僕がまだ平塚に帰ってきて3か月しか経ってないということは、僕はベストではないということだということです。かなり僕の中で葛藤がありましたが、他の市民の可能性を信じる意味でも、応募は辞退することにしました。

なので、平塚市民のみなさん、いいエッセーを書いてふるってご応募ください!

せっかくなので、僕が下書きしたエッセーをここに載せておきます。

 

応募の動機

応募の一番の動機は、自分が市民という立場で具体的に市制に関わって、どのように感じ、どのように行動が変わるのか、その体験を他の市民に語り、鼓舞したいと思ったこと。一市民という立場で、政治の分野でどのような影響力を持ち、どこまで達成できる可能性があるのかを見極めたい。また、専門家ではない立場で参加することが、どのように危ういか、逆に、他の参加者のやり取りを観察し、専門家任せにすることがどんなに危険なのかも客観的に判断し、積極的に発信していきたい。

事業仕分けに対する考え

アメリカのポートランドでコミュニティ開発を学んだ。平塚では20年かかっても実現出来ないようなことが、3年くらいの刻みでスピーディに進んでいく。市民の参加が盛んで、行政と市民との間で、事業の優先度がよく合意されているから、迷いがないのだと思った。

数年前に民主党が行った事業仕分けは、良い部分もあったが課題も多く残った。まず良かったのは、事業仕分けを実際に断行したこと。逆に、課題は、コスト削減を意識するあまり、必要なものまで削減してしまった事業があったこと。例えば、学校の耐震強化の予算削減。自然災害が起こらなければ必要ないが、実際に起こった。去年の大震災の時に、この耐震強化が生命線となった地域はたくさんあったはず。

事業仕訳は、コスト削減のためではなく、あくまで、行政改革のために行われるべき。コストの議論は単に一要素。必要なことであれば、コストがかかってもやる。つまり、必要な事業を見極め、優先順位を決めること。そのシンプルで地味なことが、まさに行政改革だと認識している。先に紹介したポートランドは、この行政改革が常時行われており、そのために、アメリカ一般の都市とは一線を画した発展を遂げている。

個人的には、平塚とポートランドを比べて、平塚の方が環境的に劣っているとは、必ずしも思わない。むしろ、自然環境や人口密度の高さなどで、ポテンシャルは高いと思っている。劣っているのは、市民の参加と行政改革のスピードだ。私は、平塚を愛する一市民として、これらの点を促進する人生でありたいと思っている。

ドイツのシェーナウでの電力革命から学べること

「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」という本が好きなのだけど、ドイツのシェーナウで起こったことも、まさにこの本のメッセージのままだと思った。

シェーナウでの電力革命の事例ですごいと思ったこと

①自分たちを超えて意識を拡大させ、リスクを恐れず大きな権力に立ち向かったこと。チェルノブイリ原発事故をきっかけに、ドイツの小さな山間の町で、無関心な町民がほとんどで独占電力会社の牙城が堅固な中、たった10人の親たちが立ち上がり、行動し続けた。

②反対するだけでなく、政治的にも状況を引っくり返すような行動をしたこと。彼らでも最初は反対活動をした。でもそれだけでなく、節電、情報提供、提案をしつつ、それでも不十分だと悟ると、電力会社を立ち上げ、住民投票の結果で自分たちが市との契約を結ぶまでに。

③妥協せずにビジネスを成り立たせていること。彼らが扱う電力は、再生可能エネルギーとコージェネ発電のみ。原発や環境に悪い化石燃料で少しでも発電している電力会社やそれと結びついている会社とは関わらない。それでも、ドイツ全土に10万もの顧客がいる。

④地域を二分するような政治論争を市民の力で巻き起こしたこと。日本の郵政選挙でも国家が二分されたけど、あれは国民が機転ではなかった。シェーナウの事例は、市民が巻き起こしたことにすごさがある。リスクをもろともせず、ライオンのように勇敢な行動だった。

⑤個人的な仕事より、政治活動を優先したこと。このムーブメントの中心人物ウルズラ・スラーデックさんの旦那さんは医者だったが、患者が減ってでも、時には住民投票など政治活動を優先し行動した。経済活動などより政治活動を優先するべき局面は必ずあるということ。

⑥もっと先にある偉大な目標の為の「手段」として成し遂げたということ。彼らにとって、自分たちの町で電力革命を起こすことはステップに過ぎなかった。最終的なゴールはもっと先にあった。だからこそ、短期間で偉大なことを成し遂げられたのだと思う。

 

環境ジャーナリストの小澤祥司さんによれば、ドイツでは、シェーナウ電力などの再生可能エネルギーからの電力のみを提供する電力会社の電力料金は、ドイツの電力会社全体の平均の電力料金より安いらしい。

原子力や火力などで発電する施設を電力会社が持つとすると、施設の維持管理で莫大なコストがかかり、結局それが何らかの形で電力料金や税金に上乗せされて、国民の負担になる。そういう施設を持たずに小刻みに電力を売買するだけだから、結果的に電力を安く提供出来る。

シェーナウ電力のやってることは、自分たちで発電して電力を売るというよりは、家庭規模も含めた無数の顧客から、再生可能エネルギーとして発電した電気を買い取り、適正な値段で売るということだと思う。従来の独占電力会社だけに発電させビジネスをさせるのではなく、無数の市民にも起業家として発電させ儲けられる自由を促進している。

結果的に、ドイツ全土で、太陽光だけで、瞬間的に最大で原発20基分の電力を発電してしまうほどになっている。

ドイツのシェーナウでの電力革命は、「素人」だったから成し得たのだと思う。専門家には到底出来なかったこと。「いい加減な常識」に囚われた人には、行動が起こせない。「良く知らない」からこそ切り込める。突破口を開ける。

ガンジーは言った。「立派な運動はいずれも、無関心・嘲笑・非難・抑圧・尊敬という五つの段階を経るものである」と。ドイツのシェーナウでの電力革命は、この5つの段階をしっかりと経ていると思う。

他人のちっちゃなブレークスルーを後押しすること

人前で話すのが極端に苦手な人に、人前で話す機会を作り、責任を持って指導し準備を手伝い、後押しすること。どんなに人前で話すのが苦手な人でも、一度だけでも「うまく話せた」という感覚を体感すれば、うまくなる軌道に乗れるものだと思う。

その一度目の体験を、どのように後押ししてあげるかなんだと思う。これは他人事のようで、その人が苦手意識を克服して人前で話せるようになっていくという影響力は、自分にとっても無視出来ないものになっていく可能性は十分にある。

そんなことまで考えながら、今日は2時間以上もかけて近所の友達の発表の準備を手伝った。想像以上にうまく発表してくれて、とても嬉しかったし、何より本人が大分自信をつけたんじゃないかと思う。こういうちっちゃなブレークスルーでも、その人に及ぼす影響力は計り知れない。

僕は、このサポートを犠牲的精神でした訳ではない。しっかり、自分の利益も計算している。正確に言うと、その人にブレークスルーさせないことによる自分への悪影響を計算している。その人が自律した成長の軌道に乗れれば、社会への悪影響から好影響へと2倍の効果を発揮することになる。

だから、他人のちっちゃなブレークスルーを後押しすることは、その人のためであり、自分のためでもあるということ。

フードカート・ビジネス計画

今日はポートランド美術館が入場料無料の日で、友達ととても楽しい時間を過ごしたんだけど、その前にバイトをして実はものすごく疲れてた。他のこともしながら、焼きそばを18食作るのって、結構重労働。 

でも、フードカート(屋台)ビジネスは、日本に帰ってからも地元で是非やりたい。 

家の近くのスーパーの駐車場の一角を借りて、揚げ物専門のフードカートなんて面白いかなと思ってる。「地元の素材」と「オーガニック」、「揚げたて」、「安全(放射線検査など)」、「旬の素材」などに拘って。 

普通にネタばらしちゃったけど、むしろ、やりたい人は、それぞれの地元で始めて見て欲しい! 

うちの畑もフル活用して、フードカートで売る天ぷらや揚げものに使う旬の野菜を栽培したい。 

フードカートをやったとして、ものすごく儲かる訳じゃないんだけど、地元の人たちとコミュニケーションをとってコネクションを作るにはもってこいだと思う。 

ポートランドでお世話になった人がいろいろアドバイスをくれた。一つは、NPOとしてカート(屋台)を運営し、自分の給料を除いた利益を、災害時の非常食を用意し保存しておく資金に充てること。災害時にカートが生き残るかわからないけど、災害後の炊き出しとしても使えるようにする。 

もう一つは一つ目と関連することで、僕のまちづくり事務所の活動とも絡めること。全体のまちづくりの活動の一環として考えるということ。そういうことを考えると、いろいろ可能性が広がってきて面白い。やっぱり、自分だけの想像力だけじゃ不十分で、いろんな人からアドバイスやアイデアを積極的にもらっていかなきゃと思う。

陰の努力や行動は割に合わない?

陰の努力は苦にならない方だと自分で思う。誰かに言われてするもんじゃないことも分かってるし、名誉のためにやっても自分の成長に結びつかない場合が多いことも知っている。

陰の努力とか行動って、自発的にやらないと続かない。誰かに言われたからとか、漠然とした動機だと、やっぱり割に合わなく感じてきてしまう。

名誉のために行動すると、自分でしたポジティブな行動はすべて知って人に知ってもらえるようにアピールするようになってしまう。そういう調子のいい人は、一見面白そうに見えても、結局「陰の努力」という奥行きがない。

まぁ、僕の場合は、努力や行動をしてもそんなにアピールしないから、賞賛されもしないし、知られもしないことが多くて、社会的には損をしていることは多いと思う。だけど、それでも十分幸せ感じてるんだよね。

社会運動にもユーモアが欲しいところ

昔はユーモアのある日記を書いてたんだなぁ。本当はこういう日記がまた書きたかったりする。「飲み伝説 “05」bokudeki.me/personal/experience/843 

どんな活動にもユーモアは必要だと思う。社会運動などの真剣な活動でも例外無く。オキュパイ運動の活動家もそれをとても意識していた。 

僕の場合、20代前半までとそれ以降で、ブログ記事の内容のトーンが大分違う。前者は、何でもない私生活をユーモアで飾った日記が多かったので、反応してくれる人が多かった。でも、後者は、社会問題を真剣に語った日記が多くて、反応してくれる人は少ない。 

今の自分にはユーモアがない訳じゃないと思うんだけど、どこかで自制して出さないようにしている自分がいる。本当は、そんな制限からは解放されたいと思ってる。深刻な問題を扱う活動をするからといって、常に真剣でいなくちゃいけない理由は実はないだ。 

「常に真剣でふざけちゃいけない」という雰囲気や暗黙の了解のある活動は、大きくはならないし長続きしない。まず、一部の本当に関心のある人しか加わらない。それに、楽しくないから続かない。 

僕にはいろいろ理想も大きくあり、巻き起こしたい社会運動などもある。個人的な課題は、「社会運動には真剣な態度で撮りくまなければならない」という固定観念や自制を捨てて、ユーモアと笑いを取り戻すことだと思う。 

「マジメなんだけど面白い」ってのがいいね。

インターン第二弾がほぼ完了

  

インターンのメインイベントが無事終わった。成功と言えるかな。そんなにすごいことをした訳じゃないけど、プロジェクトの狙いはとてもいいと思った。

そんなに大きな集いではなかったけど、東ポートランドのネイバーフッド・アソシエーション(連合自治会のようなもの)の役員が32人集まって、情報を共有し、知り合い、学び合い、モチベーションを高め合う集いとなった。専門家を呼ばず、基本的には役員自らが作り上げるところがポイント。 

僕は最後の締めの部分のファシリテーションを任されたけど、意外とステージフライトなくうまく出来た。SGIの活動で大勢の前でスピーチする訓練をしてきたのはでかいな。