「次世代への教育」カテゴリーアーカイブ

一応、うちもソーラー発電所

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My house has become a tiny electric generation plant by solar with these tools mainly for electric stuffs like mobile products, PC and light for Butsudan in my rooms.

古い写真だけど、このセットで昼は発電、夜は蓄電された電気を使うようにしてる。

内容は、
・ソーラーパネル
・インバーター
・測定器
・蓄電器
で、確か8万円くらいだった。

ソーラーパネルは普段は固定してるけど、取り外して持ち運ぶことも可。

これで賄いたい電力は…
・iphone
・ipad
・macbook
・デジカメ
・電動シェーバー
・仏壇の電気
・自転車のライト
・ワイヤレスヘッドフォン
・練習用小型ギターアンプ
くらいかな。今は。

まぁ、これで電力を賄ったとしても良くて数百円の世界なんだけどね。
だけど、こういう不便を経験して電力を生み出すのがどれだけ大変かを体験しないと、省エネ以上に工夫して消費電力を減らす努力まで行き着かない気がするんだよね。

「オープン・ダイアローグ(開かれた対話)」が病んだ社会の処方箋になる

フィンランドの小さな都市から始まったという「オープンダイアローグ」。
直訳すると「開かれた対話」。
個人的な解釈では、例えどんなに病的な話でも思う存分語らせ、自己完結を補助する対話手法のこと。
この対話手法について、べてるの家のメールマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.049ではこう書かれていた。

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浦河のアプローチはこのオープンダイアローグと共通点が多いと言われるなか
で、エピソードとして思い出されるのが、山根耕平さんの「UFO事件」です。
今から10年くらい前のある日、山根さんはUFOに乗るためにえりも岬に行き
たいとみんなに訴えました。そこで多くのメンバーが集まってミーティングが
開かれ、本人も交えてその対応が話し合われました。

「宇宙船は何人乗り?」、「どうして乗りに行かなきゃならないの?」などな
ど、次々と質問や意見が飛び交います。
ちなみに「オープンダイアローグ」にはこんなルールがあります。

「Do not tell the truth(本当のことを言ってはいけない)」。

べてるのミーティングでもルールがないにも関わらず基本的にみんなこれを守っ
ています。つまり、「それは病気だ」とか「症状だ」といった一般論や正論の
ような野暮ったいことは誰も言いません。
それは「語り」を封じてしまう言葉だと斎藤先生は言います。

その山根さんのミーティングでは「UFOに乗るには免許証が必要だ」という話
になりました。かつて大和さんが無免許でUFOに乗ろうとして二階から転落し
て骨折したと言うのです。
すると山根さんは「免許は持っていない」と言います。
ならば、免許を取りに行こうという話になり、無免許では行かせられないとい
う意見にその場の全員が同意しました。
結果、山根さんはUFO の免許を取得するために「川村宇宙センター」に入院し
たのでした。
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この場合の「川村宇宙センター」とは、精神病院のこと。
みんなに説得された訳でもなく、とことんみんなで対話した結果、自然な流れの中で精神病院に行くこととなったということ。
語りを封じずに思う存分語らせることで、相手は結果的に自らあるべき道に進むようになる。
この自己完結のプロセスが重要であり、対話はそのための補助であり、環境という位置づけになる。

強制的にそうさせる訳でも、そうなるように誘導する訳でもない。
僕たちは、この自己完結のプロセスの途中で、どうしてもお節介だったり、アドバイスという名の余計な横やりを入れてしまいがちだ。
でも、そうではなくて、自分が相手に思う存分語らせるための環境になるということ。
そうすることで、相手は自分の力で自分の可能性を拓くということにつながる。

このオープンダイアローグが自然とできる人が多くなれば、社会の中の多くの問題が解決してしまうかもしれない。

5linksでの輪行旅の目的:本人は「遊んでいる」というより「働いている」という意識あり

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これまで、5linksの折り畳み自転車を電車に乗っけて、横浜や東京はもちろん、東北へ、四国へとそれなりに過酷な輪行旅をしてきた。

僕の旅の目的なんて知らないだろうし、その前に興味ないだろうけど、一応書いておこうと思う。

結論から言うと、研究者としてかなり体を張った社会実験の一環のつもり。

もちろん、こんな旅をするのは自己満足や武勇伝作りのためでもあるけど、それだけじゃない。遊んでるように見えるかもしれないけど、本人は「働いている」という意識がある。今している「食いふちの仕事」より働けているという意識がある。

5linksの折り畳み自転車で輪行旅をするのは、単に自転車を電車に乗せるのが目的でもなく、遠くの地で自転車に乗るのが目的なだけでもないし、素晴らしい景色を撮影してみんなに見せるのが目的なだけでもない。

もっと言ってしまえば、電車+自転車て広がった行動範囲で出来ること(釣りなど)を楽しむのが目的なだけでもないし、自分にしか出来ない前人未到のことを増やして「どうだすごいだろう!」と自慢する為にやってる訳でもない。

目的はさらにその先にある。

資源やエネルギーに依存しない新しい移動の選択肢を、体を張って試行錯誤しながら実現可能性を検証し、提示すること。もちろん、やろうと思えば誰でも十分に出来る形で。

願わくば、未来の世代に、「公共交通+自転車」という移動の選択肢を具体的な形で残したい。

15秒くらいで折り畳めてスーツケース一個分くらいの面積におさめられる5linksの折り畳み自転車の登場は、その実現にかなり現実味を与えてくれた。

それに、14インチギヤなしでありながら、相馬の決して整備されているとは言えない道路を30km以上を走りきり、四国へのしまなみ海道の約70kmの道のりを走破できたことから、その耐久性と、想像を超えた走行性能は十分に証明されたと言っていいと思う。

自動車依存社会で育った今の現役世代の人には受け入れ難いライフスタイルかもしれないけど、未来を生きる世代には絶対に必要になってくるはずだし、今のうちにその選択肢を明確にしておきたい。

善いことをするのに、ものすごくハードルの高い日本

オレゴンにいた時は、どうしてあんなに生き生きとしてられるんだろうってずっと不思議に思ってたけど、何となくその訳が分かってきた。

日本に限らずだとは思うけど、日本って、善いことをするのに、ものすごくハードルの高い国なんだ。
自分にはどうしようも出来ない空気が充満していて、僕はそういった空気にモチベーションを奪われてしまう。
もちろん、そんなに弱い自分なのがまずは問題なんだけど、それを自己責任で済ませることはとてもできないと思う。

まだまだ不十分だとは思うけど、その空気がどういうものなのかをまとめてみた。

Confederate Monument - E frieze and Minerva - Arlington National Cemetery - 2011

■善いことをするのに、犠牲的精神を求められる

僕はこの空気がたまらなく嫌だし、僕を含めた多くの日本人の無気力感や無関心を助長していると思う。
元々善いことをするんだから、自分たちの利益も追求したっていいじゃないか。

NPOでさえ、未だに、従業員が給料をもらうことに疑問を持つ人がいる。
お金や名誉など、何も見返りを求めずにNPOのような事業を興せと言ったって、明らかに無理があるでしょ。
仮にあなたが出来ても、他の大部分の人には出来ない。

善いことをしていても、けっこうな確立で偽善のレッテルを貼られる。
どんなに善いことをしていても、個人的な利益が見え隠れしただけで、人は離れて行く。
何で、善いことをするのに、そんなにハードルを上げるのか、僕には理解出来ない。

そもそも、犠牲的精神は、美しく見えるだけで、ベストでは全くない。
まず、自分が犠牲になる時点でマイナスになる。
自分も他者も十分に利益が得られてこそ、ベストの結果になる。

その為には、「個人的な利益」も外しちゃいけない。
それをも持たせないように圧力をかける「空気」は、社会にものすごく有害になる。

■どんなに善いことをしている人でも、気に入らなければ潰される

日本は、多くの人が認める通り、「出る杭は打たれる」社会。
どんなに善いことをしていても、「出る杭」である限り、打たれるリスクがある。

驚くのは、同じ日本人が世界的に活躍してても、日本国内で気に入らなければ、タブーにしてでも潰そうとするところ。
自爆もいいところだけど、自爆してでも自分の気分を晴らそうとするパワーはものすごい。
それは、物理的な暴力ではなくて、それ以上に恐ろしい「空気」という暴力で起こされる。

フロイトはかつてこう言ったらしい。

「無知は、知の怠慢ではなく、知ることを拒絶する膨大なエネルギーの結果」

僕も例外無く、その空気の一部になっているときは、この場合の膨大なエネルギーの一部かもしれない。
ただ、そういう空気を放置していると、生きたまま心が窒息死してしまうかもしれないという危機感は感じてる。

■一度上り詰めたとしても、一瞬で地に落ちる

「建設は死闘、破壊は一瞬」
まさにその通りだと思う。

ただ、自業自得の部分があったとしても、外的な圧力であっという間に壊滅させられる例は少なくない。
そういう時は、決まって、ポジティブな側面は封印され、徹底的に全否定される。

いろんなことに尽力して、尊敬され、有名になった人でも、空気が風となって吹けば、裏を返したように批判を浴び、叩きのめされて名声は地に落ちることがある。
最近のみのもんたさんの騒動がいい例だと思う。

BLOGOSで掲載されたこの記事を読んだ時、僕も鳥肌が立った。

みのもんた問題にみる日本の特殊性
blogos.com/article/72546/

そして、とどめは、こういう空気で抑圧されている人がいても、日本ではリスクを冒してまで声を上げる人が少ないこと。
大部分の人が、事態が好転するまで様子見をする。

僕も、正直、こんな状況じゃ怖くて怖くて、善いことをする気にも声を上げる気にもなれない。
だから、僕も例外無くその破壊的な空気に迎合してしまっている一人と言える。
そもそも、善いことをするのにリスクが付きまとうのってどうなのか…

はっきり言って、オレゴンに住んでいた時は、こんな空気を感じたことは無かった。

みんなそれぞれ勝手なことをやっていて、いちいち人のやってることを気にしない。
キリスト教の国とはいえ、日本のように善いことをするのに犠牲的精神を求められることもなかった。
アメリカの大統領でさえ、市民の身勝手な空気の圧力によって潰されることなく、任期を全うしているでしょ。

アメリカは見習うべき国とはとても言えないけど、そういう空気のあるなしでこうも違うのかと痛感した。
これから日本に住み続けるなら、避けては通れない障害なのは間違いない。

この空気に逆らうのは自殺行為かもしれない。
だけど、自分はこの空気に飲まれず、この魔物のような空気で苦しんでいる人たちのために行動していきたい。

 

【衆院選2012連載】 バックナンバー

2012年12月の総選挙が決まった日の翌日から衆院選の連載を続けています。ブログは2003年から続けており、アメリカ留学中にエッセー執筆力はかなり鍛えられた(専門科目だけならGPAは3.75でした)ので、今回の連載にも自分なりに自信を持っています。執筆しながらも様々なことを勉強しました。

筆者自身、明確な支持政党があるだけに偏った見方が出てくることは否めませんが、出来る限りフェアな視点で、有権者のみなさまそれぞれがベストな選択をして、日本をみんなが望む方向へ変えていけるように、という願いを込めて連載を進めています。

投票日まで残り1週間を切っていますが、この連載が、みなさんのベストな投票へ近づけるための助けになることを願っています。

 

衆院選2012連載 バックナンバー(随時更新)

(37)来年の参院選に向け、政治へのフォローの質を高めよう!

(36)新政権はもう動き始めている

(35)政治家も国民も「リセット癖」から抜け出せてない

(34)一部で騒がれている「不正選挙疑惑」についてモノ申す

(33)争点が違った?「反対」だけでは受け入れられなかった?

(32)選挙後でも参加する手段は沢山ある!

(31)これからが本当のスタート!

(30)「投票に行ってきました」投票行動をSNSにアップしよう!

(29)「投票に行こう!」有名人や識者たちの声

(28)「参加して育てる育政」が機能している数少ないケース:公明党

(27)【地方分権】隠れた争点「地域主権型道州制」について

(26)【憲法改正】積極的な非武装平和主義:コスタリカの例

(25)【憲法改正】日本の憲法が国民を縛るものに変わる!?

(24)「単独政権or連立政権」という視点

(23)【消費税】賛成-反対と言っても、中身はそれぞれ違う

(22)春香クリスティーンさんの政治に対する姿勢と行動から学ぼう!

(21)「ネット選挙」に関する橋下徹さんの体を張った問題提起について

(20)全国紙からツイッターまで、総選挙お役立ちページ

(19)各政党の公式情報へのリンクまとめ

(18)公示日を迎え、公職選挙法が適用されています

(17)各党で温度差のある原発政策、実現度をどう見極める?

(16) 身の回りの身近な政治から始めよう

(15)都合の悪いことも伝える

(14)腐敗した政治から自分を切り離すということ

(13)「期待する」だけでは機能しない

(12)地方から国会へつながる「ネットワーク性」という財産

(11)【TPP】自由貿易が国を崩壊させた例(ハイチの例から)

(10)【TPP】参加・不参加それぞれの場合の成功シナリオ

(9)投票にあたり重視するポイントは?

(8)【エネルギー】原発を巡る議論の打開策は「人力エネルギー」にあり!?

(7)【エネルギー】原発推進派の方へ伝えたいこと

(6)【エネルギー】脱原発派の方へ伝えたいこと

(5)総選挙がオリンピックみたいだったら…

(4)選挙結果を潔く受け入れ、新政権を建設的にサポートしよう

(3)「政治的」と「政治」の違い

(2)どれくらい重要な選挙なの?

(1)どのような姿勢で投票にのぞむ?

「尾崎豊」に関する僕の雑感

 

今時の若者が尾崎豊に共感しない理由の勝手な考察

尾崎豊はやっぱ熱いな〜。伝説的な表現者だと思う。今の若い人たちで、尾崎に共感する人は少ないみたいだけど、よく考えてみると、確かに共感しそうな要素が無いかも。まず、「自由」というものに対するアプローチが違いすぎると思う。

尾崎豊の「僕が僕であるために」という曲にあるように、彼は「何かに勝ち続けなければ自分らしくいられない」と考えていた。「自由」とは「不自由さ」との格闘のプロセスの中にしかないということだと思う。恐らく、こんな風に「自由」というものを捉える若者は多くはないと思う。

カラオケの楽しみ方は人それぞれだけど、カラオケに行くたびに思う。何ていう薄っぺらい歌い方をする人が多いんだと。ほとんど動きも表現も感情もなく、ただ音程を合わせるだけ。音読で言えば、棒読み状態。いくら歌がうまくても、その高欲感は持続しない。また、敵を多くしそうなつぶやきだけど…

まるで、そういう人たちが、狭い鳥かごに、外の世界があることも知らずに閉じ込められている小鳥のように感じることもある。個人的な見方に過ぎないけど、尾崎はとっくに鳥かごから出て外を自由に飛び回っていた。だとしたら、カゴの中の鳥たちに尾崎豊に共感するのが難しいのは当然だと思う。

確かに、今の時代は、自分らしくい続けることが難しい時代。カラオケで、無難に音程だけ合わせて上手に歌おうとする人たちに、僕は自分らしさを感じない。カラオケはストレス発散の遊び場だけど、カラオケにも自分を解き放てないような空気がある。

そういった空気を破るのはとてもリスクがいること。そのリスクをとらずに、その空気の中で安住してしまう人が少なからずいる。日常生活の中では何不自由なく生きていけても、心の中では何かに縛られ続けることになる。

 

「非行に走る」ことさえ価値になってしまう時代

「自分らしさ」とか「本当の自由」に行きつくまでに、人は少なからず遠回りするものだと思う。試行錯誤を繰り返し、失敗し、他人に迷惑をかけながら。尾崎はそのありのままの過程を、歌を通して示してくれた。僕たちが言葉に出来ない「生きづらさ」を代弁してくれた。

「バイクを盗んで走り出す」って行為だけを見れば、当然、肯定は出来ないないこと。だけど、本当の自由に行きつくまでに、そういう「無責任な自由」の経験が必要な場合があるかもしれない。それは、「教育」や「コミュニティ」がしっかりしていない場合。

むしろ、今のような「教育」や「コミュニティ」が崩壊な状態なら、若者が非行に走ることも、結果的に(10年、20年経った時に)、十分な糧になってしまうこともある。残念ながら。だからって「若者よ、非行に走れ」なんて言わないけど、それより「教育」や「コミュニティ」を立ち上げ直そうといいたい。

尾崎豊の歌のメッセージの根底には、そういうメッセージがあったんだと、僕は勝手に想像する。非行を推奨している訳じゃなく、自分が感じていて他の多くの若者が感じるであろう、窮屈で見放された感覚をありのまま表現し、未来の世代に持ち越しさせないよう大人たちにうったえる…というような。

今という時代は、尾崎豊が生きた時代とも事情が大分異なる。今は、昔のようなあからさまに非行に走る生徒もいないし、あからさまに荒れる学校は減ったけど、その代わり、見えにくい形で陰湿なイジメが増え、通り魔や親子間の殺人など含め、凶悪犯罪が増えた。とても複雑な結果だ。

尾崎が生きた時代は、15歳でバイクを盗んで走り出したくなる時代だったんだと思う。で、今は、そんな元気も気力も起こらないほど無気力な時代なんだと思う。元々問題なのは、教育やコミュニティが崩壊しているからではないか?それは、大人たちの、子どもたちの可能性に対する軽視から来るはず。

盗んだバイクで走り出したり、キレて手に負えなくなったりする若者たちを一方的に責める前に、まず大人たちが若者たちの心の声を聞こうとすることが大事だと思う。それが「教育」であり、「コミュニティ」というものなんだと思う。

 

「自分を押し殺して長生きすること」と「自分を解き放って早死にすること」

僕も自由を心底求めてる。それだけに、自分を押し殺して生きることに、とても苦痛を感じる。自分を押し殺して生きるってことは、「魂の自殺」に等しいと思う。そんな状態で生きることに意味があるのか?それなら、魂を解放して朽ち果てた方がまだましなのかもしれない。

僕は普通に熱い人間だと言われるけど、実はこれでもけっこう抑えてる。尾崎豊みたいな生き方をしたら、僕も体が持たないかもしれない。そういった意味で、個人的には彼に勝手に同苦してしまうところがある。尾崎の死因は、自殺、他殺などいろいろ説があるけど、結果的にどういう死に方をしたにしろ、その過程に少なからず社会からの圧迫があったはず。

誰も、彼を全肯定することも全否定することも出来ない。尾崎は完璧とはほど遠い人間だったと思う。「社会のせいにし過ぎ」っていう意見もあり、非行に走ったり覚せい剤に走ったり「無責任な自由」に溺れていた面もあった。だけど、だからといって、そこだけ切り取っただけで全否定もしてはいけない。

彼が「若くして死んだ」という事実に対して、それぞれで感じることがあるかもしれない。個人的には、人生の価値は「長さ」で決まる訳ではないと思ってる。生きている間に「どれだけ命を使った」か。つまり「どれだけ使命を果たしたか」で決まる。「自分を押し殺して長生きすること」と「自分を解き放って早死にすること」と、どちらが価値的かの判断は、一筋縄にはいかないはず。

 

個人的に、タブーになるほど人々の意見が極端に分かれるところに、何か重要なことが潜んでいると思う。この「尾崎豊の生き様、死に様」もその一つ。僕はそれが何だか分からないけど、彼のことに限らず、僕が感じることを示すことによって議論が深まればいいなと思う。その先にあることを僕も知りたいから。

僕たち一人一人が変革の主体であり、未来に責任を負う存在

中国や韓国との領土問題は、国と国との外交問題では、到底、完全決着は出来ない。相手国政府や国民は当然悪いと思うけど、そこで僕たち日本国民も文句言うだけで何も行動しなければ、自分たちを正当化しきれない。その行動っていうのは民間外交のこと。つまり、積極的に友達になること。振る舞いで示すこと。

「日本人は立派だ!自国で学んだ教育は真っ赤な嘘だった!」って韓国や中国の国民に言わせるほど、僕たち一人ひとりが立派な振る舞いを示すことが、相手国の政治を変える一番の近道だと思う。国家間の外交の努力は当然必要。だけど、避けては通れないのは、僕たち国民一人一人がリスクを覚悟で行動すること。それは、20年、30年という長期的視野に立った時に、もの凄く生きてくるはず。

自国内で「固有の領土だ!」って叫ぶだけじゃ何も変わらない。リスクを伴わない行動はほとんど意味を成さない。国民が、自分が何も行動しない前提で偉そうなことを言ってるだけじゃ、韓国や中国よりもずっと戦略的に劣っている。相手国や自国の政府を責めたり批判はするけど、いざ「自分はどう行動するのか?」と問われた時に、逆ギレしたりお茶を濁したりする国民の民度って、結構低いと思う。

民主主義国家においては、「政治家の質」よりも、「国民の当事者性」の方がずっと重要なんだと思う。いざ、自分の責任や行動を問われると都合が悪くなるようじゃ、当事者性があるとは言えない。一般市民でも出来ることは必ずあるし、もしもそれを多くの国民がしなければ、当然、国の政治も乱れるし、危機も訪れる。今の日本みたいに。

僕ら一般市民が行動したところで、すぐに結果が出る訳でもないし出来ることも限られるけど、今から始めないと結果が出るのがそれだけ遅れるということ。今という最悪の状況は、20年、30年前からの国民の行動の欠如がもたらしたものかもしれない。そして、20年、30年後の状況は、今を生きる僕たちが創ることになる。僕たち次第で全く違った未来になってしまう。

何しろ、「国家」という超マクロ的視野で話すだけではなく、それぞれが「自分」から出発した超ミクロの話もしよう。僕たち一人一人が変革の主体であり、未来に責任を負う存在。そういった自覚を持って議論をすれば、今とは違った結果になると思う。

「花まる学習会」の取り組みから思ったこと

花まる学習会のサマースクールってすごい!こんなサバイバル学習をもう19年やってるんだ。このコースを受けた子どもたちの将来は楽しみだな。

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花まる学習会の野外体験とは?(サイトからの引用です)

どのような時代になっても必要とされる力。それはどんな環境でもたくましく生き抜こうとする強い意志力、行動力、そして経験である。日々の困難に立ち向かい、自分の持てる力を最大限にクリエイティブに発揮し続けること。そのような力を養う舞台として、野外体験は最高の場です。

花まるグル―プの野外体験は、バカンスではなく、スクールです

親元を離れ困難にぶち当たったとき、どのように考え、どう行動するか。解決の糸口さえ見えない人間関係でのトラブル。様々な問題にどう立ち向 かうか!壁にぶつかったときに「よっしゃ~!」と思えるかどうか。常に何かを問われているのが野外体験です。「楽しかった」「良い思い出が出来ました」だ けではない、甘くない世界でこそ子どもは成長すると考えています。花まるグループの野外体験は、今後も本当の意味での「体験」=「生きる力」を追及していきます。

花まる学習会の取り組みは、以前書いた「サバイバルのすゝめ」というブログ記事にとても通ずるものだった。→サバイバルのすゝめ

ひきこもって家から出られなくなった人に「サバイバルをしろ」と言うのは、必ずしも自己責任論を振りかざしている訳ではないと思う。多くの場合、親や周りの人が無関心か過保護過ぎるのが問題ではないだろうか。そういった意味では、本人のせいではなく、周りの人間の問題。

引きこもってしまった子どもにサバイバルの経験をさせるのは、親の愛だと思う。子どものことが心配だったり世間体を気にして外に出せなかったり、無関心に放っておくほど、親の無慈悲なことはない。

僕の言うサバイバルのススメは、自己責任論とは違うつもり。親をはじめ、周りの人間が原因(過保護過ぎなど)で根性なしになってしまった場合は、周りの人間の責任で心を鬼にしてその人をサバイバルに出さなければならないということ。周りの人がそれを温かく見守るということが極めて困難な場合がある。

現代日本の親たちにとって、自分たちの子どもたちの判断や行動を温かく見守ることはとても困難なことかもしれない。失敗させてある程度痛い目に遭わせて学ばせられるくらいの大きな余裕が大人たちには必要だと思う。

子どもにサバイバルさせるって言っても、文字通りの命がけの体験をさせればいいってもんじゃない。場合によっては一人でお使いに出すくらいのことも含まれる。知らない人しかいない場にあえて身を置かせて、手助けせずに、どのように人間関係を作っていくかを見守るのもそう。人によっては、それも十分にサバイバル体験になると思う。

親の無関心も過保護も、親のエゴに過ぎず、子どもの立場に立ててはいない。あくまでも、親が変わることで、子も変わる。この場合、子どもを何らかのサバイバルに出すということは、親の反省の結果であり、覚悟による行動と捉えるべきだと思う。

映画「未来を生きる君たちへ」

「未来を生きる君たちへ」という映画を観た。デンマークとアフリカが舞台で、学内でのイジメから報復(仕返し)、テロリズム、自殺未遂など、暴力や憎しみを題材として扱いながら、大人たちが変わることによって、子どもたちも蘇生していくというフィクションの物語りだった。

日本でも、学内のイジメの問題は依然として深刻な状態だと思う。映画になるってことは、デンマークにも陰湿なイジメは存在して、学校をはじめ、大人たちの対応に問題があるんだと思う。

この映画で示されていることは、今後のイジメ対策に大きなヒントになることだと思った。大人たちが子どもたちの未来を信じ抜くこと。大人たちがまず変わること。自分の子どもを危険な目に遭わせたその親友の子を、親が、その周りの大人たちが、二人で会わせてあげられる度量を持てるか。

子どもたちには大きな未来がある。犯罪を犯したからとはいえ、大人たちが、子どもたちの友情を引き裂くのか?見放して人生を奪ってしまうのか?自殺を止めないのか?子どもたちは、大人たちの「それでも信じ抜く」姿勢によって、未来を切り開いていけるのだと思う。

「ミニ・ミュンヘン」や「プチ平塚」のような取り組み

平塚の青年会議所主催のプチ平塚の準備のためのワークショップみたいなのにオブザーバーとして参加してきた。今年のプチ平塚は、8/5(日)に平塚商業高校で行われるらしい。プチ平塚は、ドイツのミニ・ミュンヘンの平塚版のようなイメージで、子供達が仮設都市の中で、自由に社会を形成する試み。

ミニ・ミュンヘンの取り組みを知った時、衝撃を受けた。子どもたちが、自分たちの力で一から社会を作り上げてしまう可能性を示した取り組みだったから。子どもたちの可能性を台無しにしてるのは、大人なのかもしれないと思ったほど。「ミニ・ミュンヘン」 ow.ly/cghWL 

青年会議所に入会するかはともかく、彼らが何をしているのかを知って、オブザーバーとして活動に参加してみるのもとても勉強になる。

今日のプチ平塚の準備ワークショップでは、メインは社長や議員になる予定の小学生たちが、自分の小学生たちがロールプレイする設定を決めること。それを助けるために、地元の大学生や高校生がボランティアで参加していた。でも、あくまで決めるのは小学生たち。

ミニ・ミュンヘンほどは本格的には出来ないと思うけど、こういった取り組みの重要な点は、子どもたちに失敗や悪巧みまでもさせて、それを解決するプロセスを、大人たちが温かく見守るということ。解決しないまま終わっても、それはそれでいい。

「子どもたちが社会を動かすなんて自殺行為だ」というようなことを思うのが当たり前だろうけど、正直、大人たちがこのまま社会を動かし続けるのと、子どもたちにやらせるのと、どちらが好ましい結果になるか分からなくなった。それだけ、ミニ・ミュンヘンやプチ平塚のような取り組みが及ぼす将来への影響は計り知れない。