「人間の為の宗教」カテゴリーアーカイブ

ご本尊様について

僕達創価学会員は、どこかの神様を拝んでいる訳でも、池田大作という人物を拝んでいる訳でも、日蓮大聖人を拝んでいる訳でもありません。

もしそうだとしたら、僕だって最初っからやってません。

祈りをぶつける対象は、どこかの神様や特定の人物でもなく、あくまで「自分自身」なんです。

このご本尊様というものは、「南無妙法蓮華経」という文字の書かれたただの紙切れです。
特定の仏像があったりする訳ではありません。

その紙切れを鏡にして、自分自身を映し出し、祈りによって自分を引き出すんです。

僕は、大学の頃に、アカデミー主演女優賞受賞者であり、作家であり、リベラリストであり、ダンサーであり・・・のシャーリー・マクレーン著「アウト・オン・ア・リム」を読んで、それから、考え方や生き方がかなり変わりました。

この本は、精神世界の本なのですが、一番大きかったのは、「神様は自分の外にはいない、一人一人の魂に宿っている」という事でした。

こういう風に思えなかったうちは、常に、「誰か(神様?)に見張られているから悪いことは出来ない」という超漠然とした考えがあって、なかなか身動きが取れなかったんです。

そういう風に感じたことってありませんか??
僕は、単純に、悪い事をすると罰が当たるとばかり思ってました。

これって、実は、すごく宗教的な考え方だと思うんですよね。

日本人は、自分で無宗教だと思っていても、実は、どこか宗教的なものに支配されていて、その呪縛から抜け出せていないところがあるのではないかと僕は思ってます。

ここで一番問題なのは、良い事、悪い事、正しい事、間違っている事とかって、実は、誰も判断出来ないって事です。

多くの場合、ここで良し悪しを判断するのは、誰かの作った常識とか倫理とか道徳的なものになってしまいます。

だから、実は、物事の良し悪しを、例えば、道徳的判断に任せる事って、すっごく危険な事なんです。

例えば、親が子に、「人を殺してはいけません」って言って、子供に「何で?」って聞かれて、道徳的判断で「ダメなものはダメなの!分かった!?」っていうやり取りがされたとします。

これで、子供が本当に納得するって事は考えられませんよね?

親だって、「人を殺してはいけない理由」を、自分で導きださなければならないのです。

そう思ってから、僕は、何かの決断が必要な場合には道徳的な判断は持ち込まず、自分自身を見つめ、自分の魂が向かう方向に進むように心がけるようになりました。

時には、人は過ちを犯します。
過ちを犯さないと、それが過ちだという事に気づけない事だってあると思うんです。
それは、犯すべくして犯した過ちで、その人が真理に向かうためには必要な事だったのだと思います。

「内道」と「外道」とありますが、シャーリー・マクレーンの精神世界は、神や仏が一人一人の生命に宿っているという「内道」にあたります。

シャーリー・マクレーンの精神世界と日蓮仏法は、その点で激しく共鳴しているのだと思います。

いろいろ脱線しましたが、言いたい事は、すべての最終的な決断をするのは、あくまで『自分』なんです。

これって素晴らしいと思いませんか??
誰でもそうありたいと願っているはずです。

僕は、誰かを洗脳する為に書いている訳ではないです。
みんながみんな、そうであって欲しいだけなんです。

どこかの神様やカリスマ、メディア、噂話などに惑わされてしまうのは、既に、宗教的な意味での「外道」の考え方が染み込んでしまっているからではないのかな?と思ったりします。

このご本尊様という鏡は、自分を素っ裸にしてくれます。
心の中まで素っ裸になった自分が最適な決断をしてくれます。

僕は、自分自身にほとんど疑いが無いので、この1年ちょっとの間、ほとんどの局面で、自分にとって最適でクリアな答えを導き出す事が出来ました。

「何だよー!こんな事だったのかよ!!!」って思わず叫んでしまうくらいあっさりと・・・
相当の時間の節約になりました。

ご本尊様を生かすも殺すも自分次第なのです。

そこには、どこかの神様も、池田先生も、日蓮大聖人でさえも介入する事は出来ません。

だから、何か一つの考え方に洗脳されたりってのがある訳ないんですよ。

しかも、これはまた今度詳しく書こうと思いますが、これをしている限り、究極的には、人は、同じ場所に辿り着き、同じ事を悟ります。

真理は一つだからです。

そこには、究極的な平和哲学、究極的な幸福哲学があるという事は間違いないでしょうね。
僕にも全然見えていないので良く分かりませんが・・・

これは、誰かの本で読んだのでもなく、誰かから聞いた話でもなく、僕自身が導き出した答えです。
だから、もしかしたら間違っているかもしれません・・・汗

明日は、ご本尊様と同じくらい重要な「お題目」についてのお話をしようと思います。

ひかりの轍(わだち)

今、ちょこっとだけ平塚の実家に帰ってきていて、今朝、おじいちゃんの看病を手伝っているとき、母親に、「これ読んでみなさい」って言われて、「湘南ホームジャーナル」というフリーの地元の新聞を渡されました。

うちの実家の平塚市万田という地域にある、知的障害者向けの施設「進和学園」の話でした。

ネットで調べたら、同じ記事がここに載っていました!!
マジで感動的なので、是非とも皆さんに読んでみてもらいたいです!
www.scn-net.ne.jp/~journal/kono%81Qhito/060421_konohito/060421_konohito.html

この施設は、出縄 明さんという方が個人で設立したそうです。
それも、この方はうちのおじいちゃんと同級生で、うちのおじいちゃんは何年か前に同窓会で会ったと言ってました。

僕が生まれた時からこの施設は僕の身近にあって、駅から向かうバスが一緒の方向の関係もあり、バスの中で知的障害者の人を頻繁に見かけていて、僕は、それが普通なのかなと今朝まで思ってました。

だけど、こういった施設は、日本でも数少ないみたいですね・・・
誰もやりたがらないだろうから、そういった状況は良く分かります。

僕がちっちゃい頃は、「進和学園」って言ったら、いじめに使われる差別的な言葉でした。

あからさまに口に出すことはなかったですが、「進和学園」って言ったら、近寄っちゃいけない場所だと思っていたのです。

これは、皆さんから見たときの、宗教の施設と同じようなイメージかもしれません。

でも、高校生・大学生くらいになって、この施設に通っている人達を見て、どこかに輝きを感じていました。
幸せそうに見えたんです。

それくらいから、「幸せ」って、あくまでその人個人の感じ方なんじゃないかと思い始めたんです。

それから、奇跡体験アンビリバボーとか見て、病気になった人や、目が見えない人、耳が聞こえない人、手足がない人、知的障害を持った人などが、どのように力強く生きているのか、どうやって幸せを勝ち取ったのか、そのメカニズムを垣間見る事が出来ました。

だから、今では、他人が羨むような「幸せ」って、実は、その人にとっては幻に過ぎないんじゃないかと思ってます。

進和学園創立者の出縄さんは、頭でももちろん分かっているだろうけど、なにしろ、その事が心にしっかりと刻まれているのだと思います。
だから、人を差別するなんて考えは全くないでしょうね。

すげぇ立派な人だなと思いました。
この記事を見て感動してボロボロ涙が出ました。。。

「福祉」というものの真髄を、その模範を、この人は、身をもって示してくれました。
聖教新聞でも、こんな感動的な体験談は希です。
個人的にお会いしていろいろとお話してみたくなりました。

この人が創価学会の人かどうかわかりませんが、目指している方向性は創価学会と完全に一致します。

この記事に書いてある事すべてが実に仏法的です。

個人的に、人は、毎日を真剣に一生懸命生きれば、誰でもこのように仏法的な境地に立てるものだと僕は思ってます。

だから、無理に創価学会や他の宗教に入らなくてもいいから、みんなに、とにかく、毎日を真剣に一生懸命生きて欲しいんです。

僕は、仏法について、これから超深い事を書いていきますが、勧誘目的ではなくて、あくまで人間として知っておかなければならない事を書いていきます。

「今の僕」はですが、人が学会員であるかどうかなんて、関係ないと思ってます。

お互いに歩み寄り、助け合い、支えあいながら共存して生きて行かなければならない時期にあると思ってます。

すべては、世界の平和の為に、みんなの幸福の為に、一人一人が当事者の意識を持って、ボーダーを外していかなければならないと思うんです。

入会の動機について

そりゃぁ、僕も、入る前はかなり宗教に対して抵抗がありましたよ。

入会の約半年前に、初めて学会のセミナーに参加した後は、このようにメタメタに言ってました。
bokudeki.me/essay/realization/17534

セミナーの後、初めて会った学会員何人かに囲まれて、一方的に信心の話をされて、正直、相当嫌な思いをしました。
人って、そんな数時間で理解できるような単純なものじゃないって今でも思います。
だから、こういうやり方は絶対に良くないです。
学会の中では、僕はかなり下っ端なので、どこまで出来るかわかりませんが、この辺にも精一杯切り込んで行こうと思っています。

そのセミナーの後、僕は、もともと壁を作るのは嫌いだし、僕は悪い宗教の勧誘とかに惑わされたり洗脳されたりしない自信があったし、しつこくされてもきっぱりと断れる自信もあったので、半年くらい、未入会のまま、学会員と共に同等の活動をしてみました。

もちろんそこまで楽しいものではなかったですが、沢山の人たちで集うって事で、こんなにもモチベーションを貰えるんだって事を学んだし、学会員の桁外れのモチベーションはここから来るんだって事を学びました。

「祈る」という事が、この忙しい現代人に著しく欠けている作業なんだっていうのも、この時既に確信していました。
詳しくは別の日記で書こうと思います。

僕が創価学会に入会したのは、2005年3月13日。

一番の動機は、どの学会員さんにも輝きを感じたから。
僕の周りの友達が持っていないものを尽く持っていました。
その時は、それがどこから来るのか分かりませんでした。

で、入会したら、1年間手抜きなしで本気でやってみる事に決めていて、もし、1年で何も結果が出なかったら、きっぱりと辞めようと思ってました

そしたら、半年で確信を掴んじゃったんです。
この出来事についても今度書こうと思います。

その後は、今まで無理だと思ってやろうともしなかった事に、強気でどんどんチャレンジしていって、ほとんどが大成功以上のものを収め、失敗しても、それを次に十分繋げられる経験にする事が出来ました。

そういった意味だと、僕は時間を無駄にしない賢いやり方をしたんだと思います。

1年で辞めるために手を抜いて1年間無駄にする事なんていくらでも出来ましたから。

入会以来、苦しいときは幾度もあったけど、僕は、部の先輩からも、「?やれって」押し付けがましく言われた事はないし、自分から指導を求めに行った事もありません。

すべて、ご本尊(自分)が答えを出してくれました。

どこかの神様とかどこかのカリスマに祈っている訳ではなく、自分を最大限に引き出して、自分で答えを導き出したんです。

このご本尊についても今度書こうと思ってます。

僕は、この1年ちょっとで、多分、今までで換算すると10年くらいは人間的に成長出来たと思います。

今では、僕にとって、「信仰」って空気みたいな存在です。
匂いもなければ味も形もなくて、だからといって、無いと、僕の魂が輝きを失ってしまうというものなんです。

5・3 創価学会の日

5月3日は『創価学会の日』です。

第2代戸田先生、第3代池田先生がそれぞれ創価学会会長に就任した日であり、SUA(アメリカ創価大学)が開学した日でもあります。

僕は、1年ちょっと前から創価学会に入会し、今日まで日蓮仏法を実践して来ました。

「あ?、やっぱりね」って納得する人もいれば、逆にびっくりする人もいると思います。

最近メールをくれた方の何人かには、誠意を持ってそのお話をしました。
ダメ元でしたが、何とも嬉しい事に、そのほとんどの方にご理解頂けました。

僕は、かなり前からこの信心について語りたくて語りたくて仕方ありませんでした。
語れないのがすごく心苦しかったのです。
これを語らずして、僕の執筆活動の道は開ける事はないとずっと思っていました。

今日からは、何の制限も壁もなくすべてを語れます。
すべて信心の話をしようとしている訳ではないんです。
語りたい事が山ほどあって、暫くはこの話ばかりになってしまうかもしれませんが、とにかく、僕は、自然体で書きたい事を書きたい時に書きたいように書いて行きたいと思っています。

僕なりに真実を語っていくつもりですが、間違っている点や、不明な点等あれば、コメントを頂くか、個人的にメッセージを頂けると嬉しいです。
分からない点は、僕なりに調べて真実をお伝えして行くつもりです。

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◇信心を始める前と現在、そしてその1年後の自分について

この一年ちょっとの間の自分というのは、この信心を始めた結果です。
これから少しずつ日記で語っていこうと思いますが、自分では本当に考えられない程の成果を残せたと思っています。

もちろん、世の中には、僕よりずっと先を進んで行っている人は確実にいます。
だけど、その人と、僕を比べるのは違うと思うんです。

あくまで、信心を始める1年ちょっと前の僕と、今の僕を比べることが大事だと思うんです。
もっと言ってしまえば、来年の5月3日の「未来の僕」を楽しみにしていて欲しいんです。

最近、久しぶりにあった友達数人に、創価学会の事をボロクソに言われましたが、その時に、僕は何も反論出来なかったし、自分が学会員である事も伝えられませんでした。

マチャミやDef Techのマイクロも同じような事を言っていましたが、僕は元々弱い人間で、いくら強がってみても、まだどこかに弱気な自分は確実にいます。
そういった意味では、みんながみんなまだ不完全で、「祈り」を根本に、自分を最大限に引き出して、もっともっと成長して行こうと必至なんです。

アメリカに行く前に、これからの1年間、僕は、創価学会員という前提で、日本でもっと真剣に誠実に一生懸命生きる事に決めました。

来年は、ロサンゼルス郊外のオックスナード市に留学し、アメリカで勉強をしながら信心を頑張ろうと思ってます。

留学先はいくつか候補がありましたが、池田先生はカリフォルニア州の名誉州民であり、サンタモニカにアメリカSGIの本部がある関係で、この土地はすごく創価学会に理解ある土地なんです。

つい最近、オックスナード市に、アメリカSGIの会館が建ったというのも、僕にとって、このオックスナードという土地は意味のある場所なんだと確信させてくれました。

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◇創価学会の究極のテーマは「組織」ではなくて「個人」

創価学会に対する見方っていうのは、人によって様々です。

中でも、創価学会という組織単位でしか見ない方が多いですが、僕は、それを一くくりに見るのは違うと思うんです。
僕は、創価学会という組織については、まだ1年ちょっとしか知らないから、僕にも、まだグレーな部分は沢山あります。
実際、こんなんじゃいけないっていう部分も沢山あります。
組織単位で言ってしまえば、僕から見ても、「穴だらけ」と言わざるを得ません・・・

創価学会では、「組織」というものももちろん重要なテーマなんですが、究極のテーマは『個々の内なる革命』なんです。

あまりにも巨大になりすぎて、うまく機能していない部分も確かにあります。
「ほんとにそれでいいのか学会員!」って叫びたくなる場面も沢山ありました。

ですが、僕のように放し飼い状態だからこそ自律して動ける人間には、面白いように成長していける世界です。
もちろん、想像を絶する厳しい世界の中でですが・・・

そうやって自律した革命を起こして行って、組織の内部だろうが外部だろうが関係なく、グレーな部分があれば、僕なりにバサバサと切って行くつもりです。
多くの学会員は、少しでも組織を良くして社会に貢献しようと、涙ぐましい努力をしています。

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◇日本人の宗教に対するイメージとは?

宗教って、困っている人だったり弱い人が、すがる思いで入るというイメージがありますよね。
だけど、僕が入会した時は、特に何かに困っている訳ではありませんでした。

ストレートで大学を卒業して、企業に社員として入社して問題なくうまく行っていたし、うちはそれなりに金持ちで、うちのマンション経営を継げば一生困らず生きていけたと思います。
元々、自分なりにいろんな事を考えていて、自分なりに強く生きる為の哲学を持っていましたし。
だから、僕の場合はこれに当てはまらないと思います。

そんな中で仏法に出会えた事は、きっと、僕の人生において、ポジティブな意味での最大のハプニングだと思っています。

また、宗教って、日本人の場合、オウム真理教とか法の華とかを連想してしまい、とにかく洗脳して、一つの考えに支配させるイメージがありますよね。
だけど、創価学会については、そんな事は一切無いと僕は思ってます。

確かに、僕はこの1年ちょっとで激変したという事は間違いありません。

でも、だからといって、個性が潰されたとか、僕らしく無くなったとか、暗くな

心の豊かさについて

「心の豊かさ」って何だろう?

まず、「心の動き」について考えてみた。

僕は、昨年末にmixiを始めて、いろんな人の日記を見てみて、今になって、本当にいろんな人がいるんだなぁととってもびっくりしている。

日記を見ているだけで、その人の人柄や、性格が何となく見えてくるのも面白い。
よく人間観察が趣味だという人がいるけど、外見で判断するより、日記を見て判断した方が、断然その人の事が分かるような気がする。

ほんといろんな形の日記があるけど、僕は、その中でも、自分の「心」を表現している人の日記が好きだ。

そういう人の日記は、海外旅行など「物理的な動き」のある体験より、物理的な動きはそれほどないけど、その人の心の中の葛藤や、感情、温もり、感謝など、精神的な動きが強調される傾向がある。

精神的な「心」の動きは、物理的な動きの激しさより、断然激しく、ダイナミックなものに僕は感じる。

僕が、初めてそう思ったのは、「自閉症だったわたしへ」という本に出会った時だ。

この本には、自閉症だった著者のドナ・ウィリアムズさんの心の世界がそのまま綴られている。
僕がこの本で一番印象付けられたのは、物理的な動きっていうものがほとんどないのに、何でこんなにも激しく、ダイナミックに感じるんだろう?って思った事だった。

彼女は、自分の趣味やほとんどの行動・仕草を、子供の頃から無意識のうちに他人からコピーして真似ていた。
好きな食べ物も、住みたい家も、言動や口調も、やりたい事も、ほとんど全部。

自分の意思とは無関係に・・・
それも、周りからは全く気づかれないほどに巧妙に・・・

だから、彼女が、勇気を振り絞って自閉症に向き合い、自分の意思で行動しようして、ここからあそこ(50mくらい?)へ歩いて行こうとした時、それだけの事を、自分なりにどうやってやったら良いか分からない事に気づいた・・・

僕等が50メートル先に行くのなんて特に何も考えずに出来てしまうけど、この何でもない行動の中に、僕は、彼女の心の中の葛藤や迷いなど、そのダイナミズムを垣間見る事が出来た。

何でもない行動の中にも、心の動きってきっとあるんだなと思った。

次に、「心の貧しさ」について考えてみた。

例えば、僕は、「東京」についてすごく思う事がある。
東京って、すべてがあるようで、無いものって沢山あると思う。

遊ぶ場所、買い物する場所、ライブする場所・・・
とにかく、モノで溢れていて、物質的な観点では考えられない程豊かだ。
人間が考え得る超高度なサービスも充実している。

それらのほとんどすべては、人によって、人の使いやすい(頭を使わなくても使える)ように作りあげられている。
僕達ユーザーは、その豊富な選択肢から、モノやサービスを選択して、お金を払ってそれを買っている。

僕等は、一見華やかで豊かに見えるこの大都会「東京」に憧れる傾向があるけど、僕は、ここに巨大な落とし穴がある気がしている・・・

これは、Kontonさんのブログの「幸せ。ひとはなにを求めて生きるのか。[2]」という記事が物語っていると思う。
http://blog.livedoor.jp/konton_1937/archives/50540218.html

東京って、特に、頭を使わなくても楽しめてしまう装置で溢れている。
あるから使ってしまい、それに依存するようになってしまう。

だけど、そこで用意されている選択肢って、豊富なようで、実は限られている。
何でもあるようで、実は、無いものって沢山ある。
一見、自由なようで、自由になりきれないと思う。
クリエイティブな雰囲気なようで、なかなか殻を敗れない世界だと思う。

『赤毛のアン』風に言うと、東京には、想像の余地がほとんど残されていないから。。。

こんな環境では、心は育たないと思う。
自分の心の貧しさにさえ気付けなくなってしまうかもしれない・・・

そうして悪循環スパイラルから抜け出せなくなってしまう可能性も高いのだ・・・

では、「心の豊かさ」って何だろう?

それって、例えば、友達のちっちゃな「変化」や「成長」、家族の何気ない「気持ち」や「愛情」、他人のささやかな「心遣い」や「親切」に気づいてあげられるような『心の余裕』なんだと思う。

心が開いていないと、気づいてあげられない。
心が閉じたままだと、どんどん取りこぼしていってしまう。

だけど、もし、心を開いて、その一つ一つをキャッチ出来るようになれれば、不思議と「感謝」の気持ちがおきてくるんだ。

この「感謝」の数が多ければ多いほど、心は豊かになっていくものだと思う。

すると、「心が豊かな人」ってどんな人だろう?

きっと、他人の為にしてあげた行為に対して、直接的な見返りを求めない人だと思う。

心の豊かな人は、仮に、その行為を相手に気づいてもらえなかったとしても、気にせずにそれをし続けられる。
何故かと言うと、その恩恵が、いつか何らかの形で自分に返って来るという事を知っているから。

とんでもないところから返ってきても、豊かな心を持った人なら、それを確実にキャッチする事が出来る。

すると、また一つ「感謝」が生まれる。

嬉しくなって、「思いやり」という名の「感謝への布石」を、誰かに投げ返してあげる。

その思いやりを受け取った人にも、一つ「感謝」が生まれる。

その人も、その感謝を自分なりの「思いやり」の形にして、誰かに投げ返してあげる。

・・・

そうやって、不特定多数の人の間で、「感謝」と「思いやり」のキャッチボールをしながら、人は、人の心を刺激し合い、育んでいくものだと思う。

僕は、こうやって、それぞれが自分の心に豊かさを見出す事が出来れば、たとえ自分の欲求を満たしてくれる装置がなかったとしても、助け合いながら、支え合いながら、豊かに暮らしていけると思うんだ。

中性的であること

この間、NHKの「音楽の遺伝子」という番組で、槇原敬之さんの特集が放送されていたのをたまたま観て、それからいろいろ考えていた事を書こうと思います。

僕と世代がズレる人はもしかしたら知らないのかもしれないけど、個人的に、J-POP史に残ると思われる名曲「どんなときも。」が発売されたのは、確か僕が中学生の時だった。

甘酸っぱい胸キュンメロディがたまらなくて、当時、良くカラオケで歌ってたのを良く覚えている。

当時の槇原さんの歌は、ほとんどが「男女間の恋愛」がテーマだったと思う。

僕は良く知らなかったのだけど、彼の音楽の遺伝子は、大きく分けて、下記の3つなのだそうだ。

【第一の遺伝子】 YMO : 音楽の様式美
【第二の遺伝子】 カレン・カーペンター : 思いを伝える歌声
【第三の遺伝子】 美輪明宏 : 歌に込める魂

ちょっと古い話になってしまうけど、本来の槇原さんに、これらの遺伝子が調和する事によって産まれた曲が、今や日本人なら誰でも知っているであろう、「世界に一つだけの花」なのだ。

その歌詞を下記に載せておこうと思う。

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『世界に一つだけの花』

 花屋の店先に並んだ
 いろんな花を見ていた
 人それぞれ 好みはあるけれど
 どれもみんな きれいだね
 この中で誰が一番だなんて
 争うこともしないで
 バケツの中 誇らしげに
 しゃんと胸を張っている

 それなのに 僕ら人間は
 どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのに その中で
 一番になりたがる?

 そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

 困ったように 笑いながら
 ずっと迷ってる人がいる
 頑張って咲いた花はどれも
 きれいだから仕方ないね
 やっと店から出てきた
 その人が抱えていた
 色とりどりの花束と
 嬉しそうな横顔

 名前も知らなかったけれど
 あの日僕に笑顔をくれた
 誰も気付かないような場所で
 咲いてた花のように

 そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
  一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

 小さい花や 大きな花 一つとして
    (小さい花 大きな花)
 同じものはないから
 No.1にならなくても いい
 もともと特別な Only one

 ララーラ ラーララ ラーララ ラーララ・・・・・

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昔の槇原さんを知っている人なら、曲調といい歌詞といい、らしくないなって感じるかもしれない。

この歌の歌詞は、いつの時代でも愛されるべき普遍的な響きがあるなと感じていて、僕はとっても好きだったのだけど、まさか槇原さんが作詞をしてたなんて思いもよらなかった。

曲調に関しても、僕の槇原さんに対する固定観念から見てしまうと、やっぱりらしくないと思ってしまう。

この番組中ですごく興味深かったのは、槇原さん自身も、これは「必ずしも自分で歌いたい歌ではないかもしれない」というような事を語っていた。(はっきりは覚えてないのだけど・・・)

それを「歌わなければならない歌」というような表現を使い、さらに彼は話を続けた。

結果的に、彼の歌は、多くの人の心に届いたんだ。

そんな槇原さんにも、1999年に、覚せい剤取締法違反で逮捕されるという苦い経験がある。

完全に目的を見失っていたその謹慎中に、美輪明宏の著書「紫の履歴書」に衝撃を受けたらしい。

美輪さんって、一言で言うとどういうイメージがあるだろうか?
僕は、美輪さんの事を知らないうちは、ただ気持ち悪いオカマだと思っていた。

でも、この番組を見て、僕の美輪さんに対する見方が180度変わった。
美輪さんって「慈愛」の塊のような人なんだなと思った。

そんな美輪さんから大いに影響を受けた槇原さんもまた、話し方や仕草が、分かり易い表現で言うとすごくオカマっぽくなっていたのだ。
正直、僕の未熟な感性からは、ただ気持ち悪いって思ってしまうくらい・・・

僕は、「中性的」という言葉で、これをうまく表現出来るんじゃないかと思った。

今読んでいる新渡戸稲造さんの「武士道」のP52に、下記のようなフレーズがあった。

---------------------------------------------—-
 仁は、優しく、母のような徳である。高潔な義と、厳格な正義を、特に男性的であるとするならば、慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えている。
---------------------------------------------—-

「仁」や「慈愛」というのは、あくまで女性的な性質であるだけで、男性に備わっていない訳ではないと思う。

逆に、女性であっても、この性質があまり感じられない人が、近年すごく増えてきているように思える。

要は、男女関係なく、その性質が強いか弱いかなのだ。

美輪さんや槇原さんは、その性質が特に強いだけで、本来、人間として不自然な点と言うのは全くないのではないかと思えるようになった。

それは、男女間の恋愛を超えた、例外なく世界中の人々を対象とし、それらをすっぽりと包み込んでしまうような深い深い愛なのではないかと思う。

本当にそうだとしたら、果たして、僕等は、彼らから降り注ぐ太陽のような愛を無視して、軽蔑の眼差しで見れるだろうか?

最近の槇原さんの曲は、「ラブソング」というより、「ライフソング」と言うらしい。

多分、それは、男女間に拘わらず、家族間の愛や友を思いやる気持ちなども含む、もっともっと広い意味でのラブソングなのではないかと思う。

それは、特異なリズムを取り入れる事も、気取った言葉で飾る事も必要なく、必要なのは、どこまでもストレートに伝わる普遍的な音と言葉だけなのかもしれな

10000日目を迎えて

少し前に、「11月24日生誕」コミュニティで、1978年11月24日生まれの人は、今日(2006年4月10日)か明日に、ちょうど生まれてから10000日目を迎える、という事を知った。

細かい計算方法はあんまり気にしてないけど、大体、10000日を年単位に換算すると、27年+半年くらいになるようだ。

無理矢理、10000日を27年+半年と仮定すると、単純計算で、30000日目は82歳と半年くらいとなる。
これは、大まかに見て、日本人の平均寿命と大体合致している。

これを僕の人生にも当てはめてみて、僕の人生を10000日ずつ無理矢理3等分して考えるのも面白いのかなと思った。

で、僕にとっての、これまでの10000日の成果というもの考えてみた。

すると、人格とか人間性などの土台がほぼ出来上がって、これから進むべき道とか、自分の使命というものが見えてきて、それらに向かう為の準備が出来たところなのかなぁと思った。

もちろん、自分の仕事とか金銭面などの物理的な土台は全く出来ていないけど、多分、自分の欲求をコントロールして、自律した思考に立ち、行動に移す、という面では、ほぼ土台が出来上がったのではないかと思う。

ここまで辿り着くのに、試行錯誤の連続で、数え切れない程多くの失敗を重ね、遠回りして、凄まじく時間がかかったように思う。
「あの時、ああしておけば」というような後悔の場面も幾度となくあった。

だけど、僕にとって、これまで起こったすべての事は、僕にとって、すべて意味があって起こったのだと今は思える。

次なる10000日(今日から55歳くらいまで)は、とにかく自分の「進むべき道」、「使命」に向かって学び続け、具体的な行動を起こしていく時期ではないかと思っている。
この時期は、自分の行動に対して、目に見える成果や結果が、容易には付いてこない事が予想されるので、とにかく我慢の時期なのかもしれない。

最後の10000日(55歳くらい?82歳くらい)は、これまでの行動に対して結果が出始め、後は若い世代に働きかけ、彼らに、更にその次の世代を託す為の時期なのだと思う。

この時期とは、以前日記に書いた、スティーブジョブスの卒業祝賀スピーチにあった、

「それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。」

という部分に相当するのだと思う。

※スティーブジョブスの卒業祝賀スピーチ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=108019392&owner_id=2247284

勝手に決めるなと言われそうだけど、僕のマイミクの、「Konton」さん、「おけらのたわごと」さん、年齢的にちょっと外れるけど、「singo」さんも含めて、この3人は、ちょうどこの時期にいて、僕らのような若い世代に働きかけを行ってくれているところなのだと思う。

Kontonさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1570318

おけらのたわごとさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3152561

singoさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2122014

言葉ではうまく言い表せないけど、彼らがしてくれている事がどういうことなのか、何故してくれているのか、僕にはすごく良く分かる。
だから、僕は、彼らにすっごく感謝している。

多分、僕が彼らくらいの年になったら、同じように、若い世代への働きかけをしていると思う。

何だか、相当に大雑把な人生設計だけど、こういう風にシンプルに考えられるだけで、微かに自分の未来が見えるような気がして、将来への不安ってある程度はなくなったような気がする。

皆さんは、自分の人生設計をどのように考えてますか?

3.16の決意

昨年のアメリカ西海岸縦断の一人旅の途中、バンクーバーという意外な場所で一人のアジア人と出会いました。
Nixkというシンガポール人です。
彼と出会った後、恐ろしい程の偶然が重なり、3ヶ月足らずで、カナダ、アメリカ、日本、シンガポール、マレーシアの5ヶ国で、彼と行動を共にする事となりました。
Nixkは僕にとって掛け替えのない親友です。

「?平和の鐘プロジェクト?」(http://mixi.jp/view_community.pl?id=698321)のみんなに、想いを語っていく勇気をもらったので、精一杯の勇気を振り絞って、2006.3.16の僕の決意を語りたいと思います。

一昨日の晩、初めてSkypeを使って、シンガポールにいるNixkと通話をした。
2時間くらいかな。夜中の0時30分くらいまで会話は続いた。
もちろん、僕はそんなに英語が流暢な訳ではないので、メッセンジャーを多用しながら話を繋げた。

Nixkを含めたNixkの家族全員に送った手紙付きプレゼントの話や、Nixkが始めようとしている、Tokyo Free Guideのような「外国人への無料観光ガイドサービス」をシンガポールで展開する為のWeb-Siteの準備と日本語訳の相談など、楽しく話が始まった。

やがて、話は、僕のアメリカ留学計画に移り変わった。
Nixkは、親友として、僕にこう言ってくれた。(一部だけ抜粋)

 ・27歳という年齢はもはや若くない
 ・卒業後の32歳という年齢を真剣に考えるべき
 ・シンガポールでは35歳で有力な職務経験と高等な学位がなければ仕事はない
 ・職務経験とは、どの社会人も主として考えるもの
 ・収入の無い4年間をバチェラーだけの為に費やして良いのか?
 ・この決断が君の人生にとって多大な影響を及ぼす事になる
 ・間違いをして欲しくないから、決して焦らずに慎重に見極めて欲しい
 ・既に日本の大学の学位を持っているのだから、アメリカの大学でやり直すとしても、そこまでお金と努力を注ぎ込む価値があるかは疑問だ
 ・7ヶ月間くらいの短期留学プログラムでも良いと思う
 ・長期滞在であれば、大学院を目指すべき
 ・アメリカで暮らす事は決して楽な事じゃないし、映画やドラマの中のアメリカの華やかな暮らしとはかけ離れている
 ・「年齢」というのは、どんな決断を下す時にも最も重要な事だと言う事を忘れないで

彼の話を聞いている間、ずっと、想像を絶する苦痛が伴った。
でも、彼は僕の事を苦しめるために言っているのではないという事は明らかだった。
だから、苦しくても、目を逸らし聞き逃してはいけないと思った。
こんなに核心を突いた率直で厳しいアドバイスをくれる人は少ないだけに、彼の言葉一つ一つが掛け替えのないものだという事は疑う余地はなかった。
僕は彼に感謝するべきだった。
でもその時、涙は出なかった。
話が終った後、暫く放心状態から抜け出せなかった。

暫く眠りにつけずに、布団の中で自分の事を見つめなおしてみた。

いつからか、不思議と、自分の将来への不安ってどこかへ消えてしまった。
現実逃避をしている訳じゃないと思う。
僕はどこまでも現実を直視している。

アメリカ旅行記の最後にも書いたけど、僕には、これから僕の身に起こるすべての運命を受け入れる覚悟がある。
苦しい事も、辛い事も、悲しい事も・・・、全部。
誰のものでもない、それこそが僕の生きる道だと今は思えるから。

そう考えると、自分の将来への不安から開放されて余裕が生まれてくる。
そのうち、自分の枠を飛び越えて、より多くの人の事を考えられるようになるんだ。

「自分の為だけに頑張る」のと、「自分を含めたより多くの人の為に頑張る」のと、自分の成長の度合いに天と地の差が生まれる事も、僕の心が知っている。

僕が始めた「Best I Can -僕に出来ること-」というブログに書いた事も、今までしてきた音楽活動も、アメリカ西海岸縦断の一人旅も、そのアメリカ旅行記を新風舎出版賞に応募した事も、来年から始まるアメリカ留学生活も、根底にある僕のメッセージはすべて一貫して同じ、

「僕に出来ることは、みんなにも出来ること」

なんだ。

僕には、「どうしても成し遂げたい」という強靭な信念が持てる事なら、やり遂げられない事はないという確信がある。
特別な才能を持たない僕だとしても。

作家にだってなれる。
僕にとって「書く」という事は、既に切っても切れない存在になった。
人生のある時点で僕は作家になるだろう。
でも、決してそれが僕にとっての終着点ではない。
「作家になる」という事は、「世界中の人々の心と心の架け橋になる」という、もっともっと大きな僕の理想を実現させる為の一つの手段に過ぎない。
そう考えると、僕は、作家になれない訳がないと思える。

いつからか、僕が模範を示さない限り、世界は変わりっこないと思うようになった。
世界が変わらないのは自分のせいなんだっていう責任感も芽生えるようになった。

だから、ナイチンゲールの「この世界をも変える事の出来るもの、それはあくまで自分が模範を示す事なのです」という言葉に出会った時、僕は瞬間的に泣き崩れてしまった。
「僕は間違っていなかったんだ」と心の底から思えたから・・・

僕は、「流されない」、「捻くれない」、「曲がらない」、「諦めない」、「挫けない」、「負けない」の精神で頑張ってきたし、これからもそれは変わらない。
それが本来の人間の模範的な姿だと思うから。

シンガポールでは、35歳で有力な経験と高等な学位がなければ仕事はない?
僕は、そんな世の中、間違っていると思う。
今は理想でしかないけど、いくつになっても、思い立った「その時」を出発点に変えられる社会を、僕はみんなと仲間外れなく歩いていきたい。

なかなかそれが出来ないのは、前例がないからか、前例があっても、それを伝えるべきメディアが下らない情報ばかり垂れ流していて、そういった有用な情報を埋もれさせてしまっているからだと思う。

誰かが第一歩を踏み出さなければ何も変わらない。

将来、良い職に就く為、高等な学位を取得する為だけに、僕はアメリカに渡るんじゃない。
正直言って、Nixkが指摘してくれたように、僕はアメリカの大学に行って「何を専攻するか」とか、「どんな学位」を得るかとか、それを使って「どんな職につくか」とか、あまり深く考えていない。
その辺はすごく甘く見ていると自分でも思
う。

でも、この4年間で最高の結果を残し、揺ぎ無い人生の土台を創る為にも、僕は、
 ・英語を完全にマスターする
 ・自分に足りないものを徹底的に洗い出す
 ・アメリカの大学の学生達より熱心に勉強して結果を出す。
 ・他の学生達と励ましあって、仲間はずれなくみんなと最高の学生生活を送る
 ・他の学生達と、世界の平和の為、みんなの幸福の為に真剣に議論する
 ・一人の日本人として、アメリカ社会に自然に溶け込めるようになる
 ・現地に住む人たちの心をも動かせる対話力を身につける
 ・現地に住む人たちと何の壁もなく仲良くやっていける自分になる

これらすべての体験を日本に持ち帰りたいんだ。
「誰にでも実現可能なんだ」っていうメッセージを添えて。

アメリカは、僕が世界に飛び出していく為のきっかけに過ぎない。
だけど、このきっかけが、僕の第2の人生を踏み出す第一歩になる事は間違いない。

帰国した時の僕に、職が用意されていなくたって構わない。
そんな上辺だけしか見ない世の中だったら僕が変えてやる。

今は地位も名声も実力も知識もお金もない。
そんな僕の事なんか誰も見向きもしてくれないだろう。
今は仕方がないと思う。
気付くのが遅くてスタートが遅れてしまっただけだ。

だけど、残りの僕の人生があと50年あるとしたら、この50年で未来の若い世代の為に何かが出来ると思う。
常に希望を持って、夢や理想を出し惜しみ無く精一杯語り合える世界を彼らにプレゼント出来るのなら、僕はどんな困難にも立ち向かっていける。
60歳、70歳になった時の僕に、一番幸せを感じさせてくれるのは、彼らのとびっきりの「笑顔」だと思うから。

今は、みんなとの間に温度差がある事は痛いほど良く分かっている。
今の僕の現状を考えると、みんなに「ついて来て」とも言えない。

でも、僕は、若い世代からこういった「想い」を発信していく事って、すっごくカッコ良い事だと思う。

冒頭で紹介した「?平和の鐘プロジェクト?」のメンバーは、平和を実現させる為、それぞれが「当事者」という意識を持って、それぞれの「想い」を発信している。
僕は、そんな彼らの事が、すごく眩しく見えて、超カッコ良いと思えた。
僕は、頑張っている人がいれば、誰でも例外なく、精一杯応援してあげたい。

僕も、自分の持つ想いをこれからも発信し続けたいと思う。
僕の想いが本物であれば、彼らのプロジェクトの活動を始め、世界中で繰り広げられている「平和へのムーブメント」に共鳴する事になるだろう。

僕は、こんなところまで想いを広げるきっかけを作ってくれたNixkと、「?平和の鐘プロジェクト?」のみんなに、心から感謝します。

シンガポール「死刑制度に賛成」が96%…地元紙調査

えぇ!?マジですか!!
これは凄まじい数字だな・・・驚いた・・・

↓元の記事はこちら
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060214i516.htm

シンガポールで麻薬を3g所持してるだけで死刑という話は聞いていたけど、そういった刑罰制度を国民も圧倒的に支持してたんだなぁ・・・
それも、外国人(日本人も例外なく)に対しても同じ基準で死刑を適用すべきとの考えも、国民の9割近くが支持したとの事だ・・・

確かに麻薬所持は重罪だと思うけど、果たしてこれは死刑に相当するのか!?
麻薬所持に限らず、死刑にすれば間違いなく犯罪数も減るはずだけど、何も知らない外国人に対しても、それがそのまま適用されるって聞くと、いくらシンガポールが好きだって言っても、ちょっと行くのを躊躇しちゃうかも・・・

因みに僕は死刑制度には反対です。

長くて重いですが、良かったら僕なりの反対の理由を読んで見てください。
http://eternal-t.dyndns.org/BIC/2004_05_12_00_05.php

人生心得帖 松下幸之助

この本を少し前に友達から借りてて、ちょっと触りだけ読んでみようかなと思って読み始めたら、思いのほか面白くて、そのまま読み終えてしまった。

そりゃそうか、、、誰よりも成功した人間が、90歳になって書く人生の心得なんだから面白くないはずがない!

松下さんが成功した一番の要因は、常に、「謙虚である事」と「素直」であった事だと僕なりにこの本を読んで感じた。

何度も言うけど、日本で最も成功した90歳の人間が、この本の中で、読者にアドバイスする時でも、必ず、「お互いにXXXXする事が大事だと思います」と、自分も決して例外ではないんだよ、という風に表現している。

それに、この本で語られているように、松下さんが、ただ生まれつきの才能でこの大偉業を成し遂げた訳ではなくて、それは、まず、自分を良く知って、自然の理に逆らわず、辛抱強く、天分を最大限に活かしきった結果なんだなと素直に思えた。

これをするだけなら、誰でも出来ない事はないよね?
松下さんは、それさえすれば、世の中が勝手に考えてる成功が得られなくても、それぞれの人にとって最高の結果が得られるという事を知っているんだと思う。
この本は、松下さんが、これからを生きる僕等の為に命を振り絞って書いた遺言なのかもしれない。

何しろ、僕がずっと漠然と思っていた事が、いくつもこの本には具体的に書いてあって、やはり20代の哲学なんてちっぽけなものだと思うと同時に、先人達の教えに積極的に耳を傾けて行く事で、自分の成長の加速度をより早められるって事も知った。