「平和・無関心」カテゴリーアーカイブ

心の豊かさについて

「心の豊かさ」って何だろう?

まず、「心の動き」について考えてみた。

僕は、昨年末にmixiを始めて、いろんな人の日記を見てみて、今になって、本当にいろんな人がいるんだなぁととってもびっくりしている。

日記を見ているだけで、その人の人柄や、性格が何となく見えてくるのも面白い。
よく人間観察が趣味だという人がいるけど、外見で判断するより、日記を見て判断した方が、断然その人の事が分かるような気がする。

ほんといろんな形の日記があるけど、僕は、その中でも、自分の「心」を表現している人の日記が好きだ。

そういう人の日記は、海外旅行など「物理的な動き」のある体験より、物理的な動きはそれほどないけど、その人の心の中の葛藤や、感情、温もり、感謝など、精神的な動きが強調される傾向がある。

精神的な「心」の動きは、物理的な動きの激しさより、断然激しく、ダイナミックなものに僕は感じる。

僕が、初めてそう思ったのは、「自閉症だったわたしへ」という本に出会った時だ。

この本には、自閉症だった著者のドナ・ウィリアムズさんの心の世界がそのまま綴られている。
僕がこの本で一番印象付けられたのは、物理的な動きっていうものがほとんどないのに、何でこんなにも激しく、ダイナミックに感じるんだろう?って思った事だった。

彼女は、自分の趣味やほとんどの行動・仕草を、子供の頃から無意識のうちに他人からコピーして真似ていた。
好きな食べ物も、住みたい家も、言動や口調も、やりたい事も、ほとんど全部。

自分の意思とは無関係に・・・
それも、周りからは全く気づかれないほどに巧妙に・・・

だから、彼女が、勇気を振り絞って自閉症に向き合い、自分の意思で行動しようして、ここからあそこ(50mくらい?)へ歩いて行こうとした時、それだけの事を、自分なりにどうやってやったら良いか分からない事に気づいた・・・

僕等が50メートル先に行くのなんて特に何も考えずに出来てしまうけど、この何でもない行動の中に、僕は、彼女の心の中の葛藤や迷いなど、そのダイナミズムを垣間見る事が出来た。

何でもない行動の中にも、心の動きってきっとあるんだなと思った。

次に、「心の貧しさ」について考えてみた。

例えば、僕は、「東京」についてすごく思う事がある。
東京って、すべてがあるようで、無いものって沢山あると思う。

遊ぶ場所、買い物する場所、ライブする場所・・・
とにかく、モノで溢れていて、物質的な観点では考えられない程豊かだ。
人間が考え得る超高度なサービスも充実している。

それらのほとんどすべては、人によって、人の使いやすい(頭を使わなくても使える)ように作りあげられている。
僕達ユーザーは、その豊富な選択肢から、モノやサービスを選択して、お金を払ってそれを買っている。

僕等は、一見華やかで豊かに見えるこの大都会「東京」に憧れる傾向があるけど、僕は、ここに巨大な落とし穴がある気がしている・・・

これは、Kontonさんのブログの「幸せ。ひとはなにを求めて生きるのか。[2]」という記事が物語っていると思う。
http://blog.livedoor.jp/konton_1937/archives/50540218.html

東京って、特に、頭を使わなくても楽しめてしまう装置で溢れている。
あるから使ってしまい、それに依存するようになってしまう。

だけど、そこで用意されている選択肢って、豊富なようで、実は限られている。
何でもあるようで、実は、無いものって沢山ある。
一見、自由なようで、自由になりきれないと思う。
クリエイティブな雰囲気なようで、なかなか殻を敗れない世界だと思う。

『赤毛のアン』風に言うと、東京には、想像の余地がほとんど残されていないから。。。

こんな環境では、心は育たないと思う。
自分の心の貧しさにさえ気付けなくなってしまうかもしれない・・・

そうして悪循環スパイラルから抜け出せなくなってしまう可能性も高いのだ・・・

では、「心の豊かさ」って何だろう?

それって、例えば、友達のちっちゃな「変化」や「成長」、家族の何気ない「気持ち」や「愛情」、他人のささやかな「心遣い」や「親切」に気づいてあげられるような『心の余裕』なんだと思う。

心が開いていないと、気づいてあげられない。
心が閉じたままだと、どんどん取りこぼしていってしまう。

だけど、もし、心を開いて、その一つ一つをキャッチ出来るようになれれば、不思議と「感謝」の気持ちがおきてくるんだ。

この「感謝」の数が多ければ多いほど、心は豊かになっていくものだと思う。

すると、「心が豊かな人」ってどんな人だろう?

きっと、他人の為にしてあげた行為に対して、直接的な見返りを求めない人だと思う。

心の豊かな人は、仮に、その行為を相手に気づいてもらえなかったとしても、気にせずにそれをし続けられる。
何故かと言うと、その恩恵が、いつか何らかの形で自分に返って来るという事を知っているから。

とんでもないところから返ってきても、豊かな心を持った人なら、それを確実にキャッチする事が出来る。

すると、また一つ「感謝」が生まれる。

嬉しくなって、「思いやり」という名の「感謝への布石」を、誰かに投げ返してあげる。

その思いやりを受け取った人にも、一つ「感謝」が生まれる。

その人も、その感謝を自分なりの「思いやり」の形にして、誰かに投げ返してあげる。

・・・

そうやって、不特定多数の人の間で、「感謝」と「思いやり」のキャッチボールをしながら、人は、人の心を刺激し合い、育んでいくものだと思う。

僕は、こうやって、それぞれが自分の心に豊かさを見出す事が出来れば、たとえ自分の欲求を満たしてくれる装置がなかったとしても、助け合いながら、支え合いながら、豊かに暮らしていけると思うんだ。

マンションで78歳母と49歳長女が餓死、二女も衰弱

『マンションで78歳母と49歳長女が餓死、二女も衰弱』

 21日午前7時ごろ、北九州市門司区中二十町、市営大里団地4階の男性から「隣室に住む女性が『気分が悪い』と訴えている」と119番通報があった。

 北九州市消防局の救急隊員が駆け付けたところ、405号室の中から女性2人の遺体が見つかった。助けを求めた女性は、やせて衰弱しており、病院に搬送された。福岡県警門司署は、死亡した女性2人もやせ細っており、外傷がないことから餓死したとみている。

 調べによると、6畳間のベッドで小林寿子さん(78)が横たわっており、4畳半には長女の千代子さん(49)が倒れていた。寿子さんの遺体は白骨化しており、死後1年以上経過、千代子さんも死後約2か月たっているとみられる。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060421i305.htm?from=main3

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世界にはもっともっと悲惨な状況があるって事は僕でも知っている。
だけど、実際にその現場にいた事はないので、その痛さとか苦しさとかは分かるはずがない。

だけど、このニュースは、国内で起こっている身近な問題なだけに、本当にリアルに危機感を感じた・・・

以前、ドキュメント’06を見て、国内にも確実に餓死する人が存在するという事は知っていたけど、リアルタイムでニュースを聞くと、さすがにショックで、仕事中なのに涙が溢れてきてしまった・・・

そのドキュメント’06の特集の中では、確か、僕くらいの年の青年が、親に大見得を切って田舎から都会へ出たのだが、仕事がうまく行かず、生活に行き詰って生活保護の申請を出したのだが、厚生省からの認可が下りず、借りていたアパートの台所で、誰からも発見されずに、骨と皮だけの半分ミイラ化した無残な姿で見つかったというものだった。

背景には、年々、生活保護の受けられる基準が厳しくなってきているとの事だった。
政府の方針で、厚生省の予算が大幅に切り詰められた結果だ。

それによって、生活保護関係の窓口の人は、訪れた人が瀕死の状態だったとしても、「出せない」と言わざるを得なくなる。

それを繰り返していると、窓口の人も、それに慣れて来てしまって、無機質になり、人の命がかかっているのにも拘わらず、仕事と割り切ってしまうようになる人もいるようだ・・・

ドキュメント’06の特集の中の、窓口の人の機械の応答のような無機質な口調を、僕は忘れる事が出来ない・・・

必ずしもその窓口の人だけが悪い訳じゃない。
彼は、どちらかと言えば、不幸な被害者なんだと思う。
元を辿れば、加害者というのは、こんな悲惨な環境を作り出してしまうような社会を作っている僕等一人一人にあると思う。

今回のニュースの場合は、生活保護の申請をしていたのかは不明だけど、もう一つの大きな問題は、彼女らに、ご近所付き合いがほとんどと言って無かったという事だと思う。

読売オンラインのこのニュースには下記のような記述もあった。

>同団地に住む女性は「小林さんらは20年以上前から住んでいる。ほとんど近所付き合いはなく、数年前に、部屋の外ですれ違ったぐらい。まさか、こんなことが起きるなんて」と驚いていた。

確かに、彼女らが周りに助けを求めなかったのもいけないと思う。

だけど、僕達が進んで手を差し伸べる事は出来なかっただろうか?

近所にいる人たちが、餓死してしまった人に、相談してもらいやすい状況を作ってあげる事は出来なかっただろうか?

こうやって、人々が排他的になり、どんどん孤立していって、誰の目にも届かないような場所に追いやられてしまうという事に、僕はすごく悲しさを覚える。。。

この流れを断ち切らない限り、日本の明るい未来は絶対にないと思う。

真剣に考えていかなければ、取り返しの付かない時期に来ているのではないかと痛いほど感じているのですが、みなさんはどう考えますか?

少子化って本当に問題なの?

僕の立ち上げた『時代を変える原動力になる』コミュニティで、以前、『フランスの出生率の向上の鍵』というトピックを立ち上げ、グランパランというNGO団体の例をあげてみて、少子化対策・出生率向上の可能性について探ってみましたが、なかなか答えは出ませんでした。。。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5234671&comm_id=716496

で、もっと話を戻して、「少子化って本当に問題なの?」ってところを考えてみたところ、[北欧の教育システムを学ぶ]コミュニティのKontonさんのブログの少子化関連の記事に、僕的には衝撃的な事実が掲載されていたのです。。

その少子化関連の記事がこれなんですが、
http://blog.livedoor.jp/konton_1937/archives/cat_991569.html

Kontonさんは、少子化を、地球規模の環境問題というか、人類存続に関わる問題としてこの少子化の問題を考えて、「少子化は将来の社会にとってマイナスかプラスなのか」という観点からみてみた時に、少子化はむしろ好ましいプラスの効果なのではないか?という見解を持ってます。

人口増加は考えられない程のスピードで進み、2000年に世界人口は61億人に達して、この数字自体凄いですが,50年前の1950年にはこの半分だったそうです・・・

人口増加が進むと、食糧難を始め、無数の問題が発生すると思われます。(僕はあまり考えた事がなかったのですが・・・)
これこそ最大の危機ですよね・・・

この想像を絶する巨大な問題に比べてしまうと、一時的な少子高齢化による年金問題などの痛みなど、ほんの些細な事でしかないのかもしれません。。。

この事を考えてしまうと、少子化問題をどう捉えてよいのか、誰も答えを出せなくなってしまうと思うので、少子化問題とか出生率向上の問題はとりあえず置いておいて、今存在する人・物で、この社会をどうやったら豊かに出来るかに焦点を移す必要があると思い、以下のトピックを改めて立ち上げました。

『日本社会を豊かにする為の一つの具体的な策』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5576997&comm_id=716496

結局は、フランスのグランパランというNGO団体の話なんですが、そんな難しい話ではないので、興味がある方は是非ともご参加ください!!

スティーブ・ジョブス氏の卒業祝賀スピーチ

アップルコンピュータの創始者、スティーブ・ジョブス氏による、スタンフォード大学卒業式での祝賀スピーチです。 (2005年6月12日)

マイミクのsingoさんにご紹介頂いたお話です。
わざわざメッセージ頂き本当に感謝しております!!
僕なりに心に突き刺さった部分を抜粋します。
もし全文読みたい場合は、singoさんの日記をご覧下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=106258736&owner_id=2122014

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 PART 1 BIRTH より抜粋
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT より抜粋

 自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 PART 3 CONNECTING DOTS より抜粋

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

 PART 4 FIRED FROM APPLE より抜粋

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。

 そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。

 私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。

 人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。

 一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまってはいけない。

 PART 5 ABOUT DEATH より抜粋

 「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

  PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER より抜粋

 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。

 誰も死にたい人なんていないんだよね。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。

 死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。

 それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。

 自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH より抜粋

 「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

3.16の決意

昨年のアメリカ西海岸縦断の一人旅の途中、バンクーバーという意外な場所で一人のアジア人と出会いました。
Nixkというシンガポール人です。
彼と出会った後、恐ろしい程の偶然が重なり、3ヶ月足らずで、カナダ、アメリカ、日本、シンガポール、マレーシアの5ヶ国で、彼と行動を共にする事となりました。
Nixkは僕にとって掛け替えのない親友です。

「?平和の鐘プロジェクト?」(http://mixi.jp/view_community.pl?id=698321)のみんなに、想いを語っていく勇気をもらったので、精一杯の勇気を振り絞って、2006.3.16の僕の決意を語りたいと思います。

一昨日の晩、初めてSkypeを使って、シンガポールにいるNixkと通話をした。
2時間くらいかな。夜中の0時30分くらいまで会話は続いた。
もちろん、僕はそんなに英語が流暢な訳ではないので、メッセンジャーを多用しながら話を繋げた。

Nixkを含めたNixkの家族全員に送った手紙付きプレゼントの話や、Nixkが始めようとしている、Tokyo Free Guideのような「外国人への無料観光ガイドサービス」をシンガポールで展開する為のWeb-Siteの準備と日本語訳の相談など、楽しく話が始まった。

やがて、話は、僕のアメリカ留学計画に移り変わった。
Nixkは、親友として、僕にこう言ってくれた。(一部だけ抜粋)

 ・27歳という年齢はもはや若くない
 ・卒業後の32歳という年齢を真剣に考えるべき
 ・シンガポールでは35歳で有力な職務経験と高等な学位がなければ仕事はない
 ・職務経験とは、どの社会人も主として考えるもの
 ・収入の無い4年間をバチェラーだけの為に費やして良いのか?
 ・この決断が君の人生にとって多大な影響を及ぼす事になる
 ・間違いをして欲しくないから、決して焦らずに慎重に見極めて欲しい
 ・既に日本の大学の学位を持っているのだから、アメリカの大学でやり直すとしても、そこまでお金と努力を注ぎ込む価値があるかは疑問だ
 ・7ヶ月間くらいの短期留学プログラムでも良いと思う
 ・長期滞在であれば、大学院を目指すべき
 ・アメリカで暮らす事は決して楽な事じゃないし、映画やドラマの中のアメリカの華やかな暮らしとはかけ離れている
 ・「年齢」というのは、どんな決断を下す時にも最も重要な事だと言う事を忘れないで

彼の話を聞いている間、ずっと、想像を絶する苦痛が伴った。
でも、彼は僕の事を苦しめるために言っているのではないという事は明らかだった。
だから、苦しくても、目を逸らし聞き逃してはいけないと思った。
こんなに核心を突いた率直で厳しいアドバイスをくれる人は少ないだけに、彼の言葉一つ一つが掛け替えのないものだという事は疑う余地はなかった。
僕は彼に感謝するべきだった。
でもその時、涙は出なかった。
話が終った後、暫く放心状態から抜け出せなかった。

暫く眠りにつけずに、布団の中で自分の事を見つめなおしてみた。

いつからか、不思議と、自分の将来への不安ってどこかへ消えてしまった。
現実逃避をしている訳じゃないと思う。
僕はどこまでも現実を直視している。

アメリカ旅行記の最後にも書いたけど、僕には、これから僕の身に起こるすべての運命を受け入れる覚悟がある。
苦しい事も、辛い事も、悲しい事も・・・、全部。
誰のものでもない、それこそが僕の生きる道だと今は思えるから。

そう考えると、自分の将来への不安から開放されて余裕が生まれてくる。
そのうち、自分の枠を飛び越えて、より多くの人の事を考えられるようになるんだ。

「自分の為だけに頑張る」のと、「自分を含めたより多くの人の為に頑張る」のと、自分の成長の度合いに天と地の差が生まれる事も、僕の心が知っている。

僕が始めた「Best I Can -僕に出来ること-」というブログに書いた事も、今までしてきた音楽活動も、アメリカ西海岸縦断の一人旅も、そのアメリカ旅行記を新風舎出版賞に応募した事も、来年から始まるアメリカ留学生活も、根底にある僕のメッセージはすべて一貫して同じ、

「僕に出来ることは、みんなにも出来ること」

なんだ。

僕には、「どうしても成し遂げたい」という強靭な信念が持てる事なら、やり遂げられない事はないという確信がある。
特別な才能を持たない僕だとしても。

作家にだってなれる。
僕にとって「書く」という事は、既に切っても切れない存在になった。
人生のある時点で僕は作家になるだろう。
でも、決してそれが僕にとっての終着点ではない。
「作家になる」という事は、「世界中の人々の心と心の架け橋になる」という、もっともっと大きな僕の理想を実現させる為の一つの手段に過ぎない。
そう考えると、僕は、作家になれない訳がないと思える。

いつからか、僕が模範を示さない限り、世界は変わりっこないと思うようになった。
世界が変わらないのは自分のせいなんだっていう責任感も芽生えるようになった。

だから、ナイチンゲールの「この世界をも変える事の出来るもの、それはあくまで自分が模範を示す事なのです」という言葉に出会った時、僕は瞬間的に泣き崩れてしまった。
「僕は間違っていなかったんだ」と心の底から思えたから・・・

僕は、「流されない」、「捻くれない」、「曲がらない」、「諦めない」、「挫けない」、「負けない」の精神で頑張ってきたし、これからもそれは変わらない。
それが本来の人間の模範的な姿だと思うから。

シンガポールでは、35歳で有力な経験と高等な学位がなければ仕事はない?
僕は、そんな世の中、間違っていると思う。
今は理想でしかないけど、いくつになっても、思い立った「その時」を出発点に変えられる社会を、僕はみんなと仲間外れなく歩いていきたい。

なかなかそれが出来ないのは、前例がないからか、前例があっても、それを伝えるべきメディアが下らない情報ばかり垂れ流していて、そういった有用な情報を埋もれさせてしまっているからだと思う。

誰かが第一歩を踏み出さなければ何も変わらない。

将来、良い職に就く為、高等な学位を取得する為だけに、僕はアメリカに渡るんじゃない。
正直言って、Nixkが指摘してくれたように、僕はアメリカの大学に行って「何を専攻するか」とか、「どんな学位」を得るかとか、それを使って「どんな職につくか」とか、あまり深く考えていない。
その辺はすごく甘く見ていると自分でも思
う。

でも、この4年間で最高の結果を残し、揺ぎ無い人生の土台を創る為にも、僕は、
 ・英語を完全にマスターする
 ・自分に足りないものを徹底的に洗い出す
 ・アメリカの大学の学生達より熱心に勉強して結果を出す。
 ・他の学生達と励ましあって、仲間はずれなくみんなと最高の学生生活を送る
 ・他の学生達と、世界の平和の為、みんなの幸福の為に真剣に議論する
 ・一人の日本人として、アメリカ社会に自然に溶け込めるようになる
 ・現地に住む人たちの心をも動かせる対話力を身につける
 ・現地に住む人たちと何の壁もなく仲良くやっていける自分になる

これらすべての体験を日本に持ち帰りたいんだ。
「誰にでも実現可能なんだ」っていうメッセージを添えて。

アメリカは、僕が世界に飛び出していく為のきっかけに過ぎない。
だけど、このきっかけが、僕の第2の人生を踏み出す第一歩になる事は間違いない。

帰国した時の僕に、職が用意されていなくたって構わない。
そんな上辺だけしか見ない世の中だったら僕が変えてやる。

今は地位も名声も実力も知識もお金もない。
そんな僕の事なんか誰も見向きもしてくれないだろう。
今は仕方がないと思う。
気付くのが遅くてスタートが遅れてしまっただけだ。

だけど、残りの僕の人生があと50年あるとしたら、この50年で未来の若い世代の為に何かが出来ると思う。
常に希望を持って、夢や理想を出し惜しみ無く精一杯語り合える世界を彼らにプレゼント出来るのなら、僕はどんな困難にも立ち向かっていける。
60歳、70歳になった時の僕に、一番幸せを感じさせてくれるのは、彼らのとびっきりの「笑顔」だと思うから。

今は、みんなとの間に温度差がある事は痛いほど良く分かっている。
今の僕の現状を考えると、みんなに「ついて来て」とも言えない。

でも、僕は、若い世代からこういった「想い」を発信していく事って、すっごくカッコ良い事だと思う。

冒頭で紹介した「?平和の鐘プロジェクト?」のメンバーは、平和を実現させる為、それぞれが「当事者」という意識を持って、それぞれの「想い」を発信している。
僕は、そんな彼らの事が、すごく眩しく見えて、超カッコ良いと思えた。
僕は、頑張っている人がいれば、誰でも例外なく、精一杯応援してあげたい。

僕も、自分の持つ想いをこれからも発信し続けたいと思う。
僕の想いが本物であれば、彼らのプロジェクトの活動を始め、世界中で繰り広げられている「平和へのムーブメント」に共鳴する事になるだろう。

僕は、こんなところまで想いを広げるきっかけを作ってくれたNixkと、「?平和の鐘プロジェクト?」のみんなに、心から感謝します。

赤毛のアン

実は、新風舎出版賞に応募したアメリカ旅行記を書いていて行き詰った時に、赤毛のアンを読み直して参考にしてました。
多少なりとも長いストーリーを書くようになって、この小説の真の凄さを垣間見たように思います。

まぁ読み直したと言っても、アンがグリーンゲーブルズに置いてもらえるようになるところまでだったのですが、そこまでで確実に言える事は、アン、マシュー、マリラの人物像が完璧に描かれていて、それぞれの性格や癖などが手に取るように分かってしまうという事です。

その証拠に、アンによって、マシュー、そしてマリラの心が動かされる瞬間に、僕は驚きの余り目を見開いて、

「えぇぇぇ!!!!マジで????????????!!??」

と、思わず声を出してしまいました。。。
大筋のストーリーを知っていたにも拘わらず・・・

フィクションの物語りとは言え、こんなにもダイナミックに人の心が動いてしまうのかと空いた口が暫く塞がらなかったのです・・・
マシューとマリラという人物像を完璧にイメージ出来ていないと、こんなにも驚く事は出来ないと思いました。

そんなに驚くべき事ではないと思う方もいるかもしれませんが、逆に、そんな些細な事でも、こんなにも驚く事が出来る感受性を持ち合わせている自分が僕は大好きです。

アンが誰からも愛される理由は、彼女がどこまでもオープンマインドだからだと思います。
クローズドマインドの人の心を動かすという事は、オープンマインドの人にしか出来ない事だと思います。
アンのような究極のオープンマインドを持ってすれば、誰の心でもオープンしてしまうのです!

だからと言って、言いつけを守らなかったり、赤毛である事をかなりコンプレックスにしていたり、決して恵まれた環境で育った訳ではなかったり、アンは完璧な人間とは言いがたいというところもポイントです。

フィクションとは言え、究極の人間の自然体像がこの小説にどこまでもリアルに表現されているのだと僕は思います。

僕は、アンという人物像にめっちゃくちゃ共感できます。

あまり関係ないですが、僕の新動物占いの「芸術家であるペガサス」のコメントには、以下のような記述があります。
「あなたは空想好きの夢見がちな「赤毛のアン」のような性格の持ち主です。」
関係あるのか分かりませんが、僕はこの結果が分かるような気がします。

mixiの赤毛のアンのコミュニティーでは、95%以上は女性の方の登録のようですが、僕みたいな男がアンに共感しても全く恥ずべき事ではないし、全然不自然ではないと思います。

で、同時に、僕は著者のモンゴメリさんにもすごく共感できるんです。

モンゴメリさんは、作品を提供していた出版社に欺かれそうになって、挙句の果てに一方的に脅されて、不当な利益をその出版社に持っていかれそうになったそうです。

出版社側は、裁判には多大な費用がかかるし、彼女のような女性には裁判は起こせないだろうといかにも彼女を見下した考えをしていたそうですが、モンゴメリさんは、そんな極めて悪質な不正に決然と立ち上がったそうです。

彼女はこう言ったそうです。
「わたしは闘争心を盛り上げて、彼等のおどしなどには目もくれず、とことんまで戦う決意をしたのです。」
「降参するつもりなど全くありませんでした。」
「わたしは真実を話しましたし、恐れずに話しましたので、彼はわたしに打ち勝つことは出来なかったのです。」

モンゴメリさんは、10年間もの壮絶な法廷闘争を繰り広げて、見事、勝利を勝ち取ったそうです。

彼女が「正義」である事は間違いありません。
ですが、そんな事よりも、自分が納得できないという事に対して勇気を振り絞って立ち上がり、最後まで戦い抜いて自分なりに答えを出したという彼女の姿に、僕はひどく感銘を受けました。

そんな自分にどこまでも正直に生きたモンゴメリさんがいたからこそ、この不朽の名作は生まれ、今も尚、人々の心を掴んで離さないのだと思います。

まだこの「赤毛のアン」を読んだ事のない方は是非読んでみてください!
一度読んだ事のある人でも、もう一度読んでみてください!
何回も読んだって人でも、こういった背景を踏まえた上でもう一度読んでみてください!

シンガポール「死刑制度に賛成」が96%…地元紙調査

えぇ!?マジですか!!
これは凄まじい数字だな・・・驚いた・・・

↓元の記事はこちら
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060214i516.htm

シンガポールで麻薬を3g所持してるだけで死刑という話は聞いていたけど、そういった刑罰制度を国民も圧倒的に支持してたんだなぁ・・・
それも、外国人(日本人も例外なく)に対しても同じ基準で死刑を適用すべきとの考えも、国民の9割近くが支持したとの事だ・・・

確かに麻薬所持は重罪だと思うけど、果たしてこれは死刑に相当するのか!?
麻薬所持に限らず、死刑にすれば間違いなく犯罪数も減るはずだけど、何も知らない外国人に対しても、それがそのまま適用されるって聞くと、いくらシンガポールが好きだって言っても、ちょっと行くのを躊躇しちゃうかも・・・

因みに僕は死刑制度には反対です。

長くて重いですが、良かったら僕なりの反対の理由を読んで見てください。
http://eternal-t.dyndns.org/BIC/2004_05_12_00_05.php