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東証一部上場企業のIT業務を一人で担ってみた

自慢っぽくなっちゃうかもだけど、去年末から東証一部上場の日本発のグローバル企業に勤めている。日本では350人ほど、グループ全体でも500人ほどと規模はそれほど大きくないけど、最近まで、三ヶ月間くらい、この企業の日本の唯一のIT担当としてほとんどのIT業務を担っていた。

間違っても、こんな大変なことはやりたくなかった。元々、一人でやりくりしていた前任者がいたんだけど、大阪に研修に行った段階でその前任者が退職することを聞かされ、それから怒涛の引き継ぎ劇が始まり、毎日のように新しいことが出てくるような手探り状態の中、今まで奮闘してきた。

15年くらい前に新卒社員として入社した最初の企業では、同期の中で明らかに一番使えない社員だった自分が、こんな重責を任されるなんて、自分でも信じられない。自分が、新聞の株価欄の自社の株価の変動くらいは影響力を持っているということだと思う。(主にヘマをした場合)

この企業は去年末(僕が入社した頃)にヨーロッパの企業の一部を買収して子会社化してグローバル展開を進めているだけじゃなく、去年、新入社員を40人近く採って今年もそれくらい採用。中途社員も毎月着実に増えていて、その分のパソコンの手配やセットアップは当然IT担当の仕事。

日本の社員が400人を超えるのは時間の問題だけど、彼らからのIT関連のトラブルやリクエストを受けるのもIT担当。クライアント企業ごとに特殊なアプリケーションや暗号化通信の仕組みを持っていて、それもトラブればIT担当に問い合わせが来る。

サーバーやネットワークのトラブルも対処する必要がある。普通に調子悪くなるし、どこの業者に聞いていいやら判断が難しいことばかりだし、業者が見てもお手上げな場合もあって、代替え手段を講じたりや応急処置を施さないといけない。

また、ユーザーIDや管理アクセス権の管理などの実務に加え、ユーザーからの様々なIT関連のリクエストの承認プロセスに技術的な面での判断で参加する必要がある。

クライアント企業の監査もよく入るし、上場ステータスを維持するために、自社内でもいろんな監査をする必要があり、その都度、物理的に案内をしたり、サーバーのログを提出したり、所定の書類に記入して提出し、必要に応じて改善案を検討する必要がある。

さらに、半期に一度、IT計画書を作って予算を数値化しなきゃいけない。これは、プロジェクトごとに必要な予算を割り出すために、業者と交渉して出来る限り正確な数字を入れ込む必要がある。

そして極め付けが、海外の子会社からの要求に応え、グローバルの方針を本社として決断するために、上長に判断材料を提供する必要がある。しばらく知らんぷりしてたけど、結局、グローバルのIT戦略とポリシーをレビューして海外のIT担当と連携して進めるはめに… IT戦略が決まれば今度は導入するシステムを検討して実務に入る。

まだまだあった。これこそ極め付けなんだけど、ITも総務の一員で、総務の業務も手伝う必要がある。全社研修の時には電話番をやり、郵便の振り分けや、納会などのイベント準備なども手伝う。

しかも、僕の勤務地は東京支社であって、大阪本社にはIT担当が不在という危機的な状況だった。当然、ほとんどのITシステムが大阪本社にあって、システムにトラブルが発生しても物理的には何も出来ない。

間違いなく最低三人はいないと担いきれない業務量ではあるけど、これを三ヶ月間くらい一人でやってみた。当然、僕ひとりで担い切れるはずはなく、ITシステムが一部しばらく止まってたりもしたし、副社長への対応も一ヶ月以上待ってもらったりもしたし、グローバルの対応は海外の担当から突かれ続けている…汗

今はようやく二人目のIT担当が入って二人体制になったんだけど、これを3ヶ月くらい一人で担ってみて、自分はかなり仕事が出来るんだと思えた。この業務を通して成長出来た部分もあるけど、それ以前に普段の生活に対する姿勢や行動などが仕事をこなす上でも活きてきているんだと感じた。

今でもサラリーマンはなるべく避けたいとは思ってるけど、今回の会社では自分の力を試す良い機会になってるのかもしれない。この経験は無駄にはならないはずだし、その後の自分のキャリアへの糧にしたい。

新しい職場での近況について つぶやきまとめ

何故か会社の僕の席は東京オフィスの社長の席にめちゃくちゃ近い。社長の目線でまず目に入るのが僕かもしれない。僕が入社してから初めて一週間くらい社長が東京に来てたんだけど、近すぎてやりにくかった…汗

やっと入社2ヶ月くらいなのに、何故か何千万円にもなるIT予算の策定を急いでるんだけど、桁が違い過ぎるながらも普段の賢い買い物の癖や実践がかなり役立ってる。

ヨーロッパの拠点とIP-VPNでつないでグローバルなIP電話網を敷いて、国際間で無駄なく柔軟なビデオ会議や内線通話が出来るようにする予定。適材適所に機器を配置して、個々の性能を引き出し、全体的な価値を高めるような工夫ってほんと好きなんだよね。

実は大阪のIT担当は決まったんだけど、入社するまでまだ一ヶ月以上あるんだよね。普通だったら三人は必要なところを一人でやってるから、この一ヶ月はものすごく長く過酷なものになる。。。

そしてそんな中、ヨーロッパと日本の間のIP-VPN回線の商談がまとまりそうだ。ヨーロッパの担当者が何件か見積もりを持ってきた辺りからかなり面倒なことになってたんだけど、最終的に国内の通信業者がかなり身を切ってくれた。月額20万くらいかかるものだから慎重に選べて良かったんだけど。

3人は必要なところを一人でやってるとは言っても…
自分で能力は結構あるとは思ってるし、とにかく頑張って努力してるし、それでも結局凡人だから、モグラ叩きの域を出てない。次々と出てくる問題を潰すのが精一杯で、正直とても3人分をこなしているとは言えない状況。

辛いのは、こういう状況下でみんなにいい顔をしようとすると体を壊すということ。多くの場合、自分の身は自分で守るしかないので、感じ悪くなって周りに嫌われることになっても優先順位の低いものを後回しにしなきゃいけない。

気合いで来期のIT計画書のドラフトを仕上げた。億単位になるしれない。どう考えてもIT担当が一人で出来る規模じゃない。

それももっと理不尽なのが、上の人も過去のIT計画書の中身がほとんど分かっていなくて、誰に聞いたらいいのか分からない中、必死で勉強したり問い合わせ先を探して聞いたりして、結果的に上の人たちに説明しなきゃいけないってこと。

今回のIT計画では、新規の計画中心に詰めていくのが精一杯で、今期からの継続費用についてはほとんど手をつけられなかったんだけど、どうも無駄が多いように感じる。こういう状況で、無駄を省いて既存の仕組みに新たな価値を与えるのは、好きというか得意だから、これから楽しみという感覚もある。

IT計画や予算だけでも大事なのに、PCを発注したりセットアップしたり、ユーザーやアクセス権の管理をしたり、トラブルシューティングしたり、ネットワークやサーバーの障害対応をしたり、総務の子が休むと採用面接のセットしたり、ヨーロッパの担当者とITシステムの統合を話し合ったりしてる。

これがどれだけ激務かというと、朝から頭を使いすぎて、夕方には電池切れで、残業がかさむと廃人のようになる。。。

「癒し」としての地域のお祭りを考える

神輿を担ぐような地域のお祭りって、運営側になると意味が分からないような大変さで、おまけに怪我のリスクがあり、合理的に考えようとするとやる意味が見いだせなくなる。

例えば、現代社会は短時間でより遠くに安全に行くことに価値を置く傾向があるけど、何であんな重たいものを担いで危険を冒してちょぼちょぼ進んでるのか、理解出来る人の方が少なそう。

だけど、ある意味これは「癒し」の一種なんだと思った。

以前、脳科学者の茂木健一郎さんは、「癒し」とは「普段は使わない経路を用いてあげることで、生きることのバランスが回復する」ことだと語っていた。当然、自然やアロマなどのセラピー的なものやペットなどの癒しも含まれるけど、茂木さん的な解釈だと「癒し」とはそれだけに留まらないということになる。

このお祭りの例で言うと、ご近所さんとの触れ合いだったり、アナログな運営方法による不便さであったり、ゆっくり歩くくらいの速度で捉える近所の景色であったり、気を抜くと大怪我をするという一種のサバイバルだったり、非合理的に思える行動から得られる価値との出会いだったり。

恐らく、これらは日常生活の中では使わない経路だと思うけど、生きることのバランスを維持するためにはいくつかは必要なことかもしれない。だとすると、それらは列記とした「癒し」であり、猫をなでなでしたりする癒しと同等に語られてもいいのかもしれない。

そう考えると、「癒し」としてのお祭りの価値を研究してみるのも面白いかもしれない。

善いことをするのに、ものすごくハードルの高い日本

オレゴンにいた時は、どうしてあんなに生き生きとしてられるんだろうってずっと不思議に思ってたけど、何となくその訳が分かってきた。

日本に限らずだとは思うけど、日本って、善いことをするのに、ものすごくハードルの高い国なんだ。
自分にはどうしようも出来ない空気が充満していて、僕はそういった空気にモチベーションを奪われてしまう。
もちろん、そんなに弱い自分なのがまずは問題なんだけど、それを自己責任で済ませることはとてもできないと思う。

まだまだ不十分だとは思うけど、その空気がどういうものなのかをまとめてみた。

Confederate Monument - E frieze and Minerva - Arlington National Cemetery - 2011

■善いことをするのに、犠牲的精神を求められる

僕はこの空気がたまらなく嫌だし、僕を含めた多くの日本人の無気力感や無関心を助長していると思う。
元々善いことをするんだから、自分たちの利益も追求したっていいじゃないか。

NPOでさえ、未だに、従業員が給料をもらうことに疑問を持つ人がいる。
お金や名誉など、何も見返りを求めずにNPOのような事業を興せと言ったって、明らかに無理があるでしょ。
仮にあなたが出来ても、他の大部分の人には出来ない。

善いことをしていても、けっこうな確立で偽善のレッテルを貼られる。
どんなに善いことをしていても、個人的な利益が見え隠れしただけで、人は離れて行く。
何で、善いことをするのに、そんなにハードルを上げるのか、僕には理解出来ない。

そもそも、犠牲的精神は、美しく見えるだけで、ベストでは全くない。
まず、自分が犠牲になる時点でマイナスになる。
自分も他者も十分に利益が得られてこそ、ベストの結果になる。

その為には、「個人的な利益」も外しちゃいけない。
それをも持たせないように圧力をかける「空気」は、社会にものすごく有害になる。

■どんなに善いことをしている人でも、気に入らなければ潰される

日本は、多くの人が認める通り、「出る杭は打たれる」社会。
どんなに善いことをしていても、「出る杭」である限り、打たれるリスクがある。

驚くのは、同じ日本人が世界的に活躍してても、日本国内で気に入らなければ、タブーにしてでも潰そうとするところ。
自爆もいいところだけど、自爆してでも自分の気分を晴らそうとするパワーはものすごい。
それは、物理的な暴力ではなくて、それ以上に恐ろしい「空気」という暴力で起こされる。

フロイトはかつてこう言ったらしい。

「無知は、知の怠慢ではなく、知ることを拒絶する膨大なエネルギーの結果」

僕も例外無く、その空気の一部になっているときは、この場合の膨大なエネルギーの一部かもしれない。
ただ、そういう空気を放置していると、生きたまま心が窒息死してしまうかもしれないという危機感は感じてる。

■一度上り詰めたとしても、一瞬で地に落ちる

「建設は死闘、破壊は一瞬」
まさにその通りだと思う。

ただ、自業自得の部分があったとしても、外的な圧力であっという間に壊滅させられる例は少なくない。
そういう時は、決まって、ポジティブな側面は封印され、徹底的に全否定される。

いろんなことに尽力して、尊敬され、有名になった人でも、空気が風となって吹けば、裏を返したように批判を浴び、叩きのめされて名声は地に落ちることがある。
最近のみのもんたさんの騒動がいい例だと思う。

BLOGOSで掲載されたこの記事を読んだ時、僕も鳥肌が立った。

みのもんた問題にみる日本の特殊性
blogos.com/article/72546/

そして、とどめは、こういう空気で抑圧されている人がいても、日本ではリスクを冒してまで声を上げる人が少ないこと。
大部分の人が、事態が好転するまで様子見をする。

僕も、正直、こんな状況じゃ怖くて怖くて、善いことをする気にも声を上げる気にもなれない。
だから、僕も例外無くその破壊的な空気に迎合してしまっている一人と言える。
そもそも、善いことをするのにリスクが付きまとうのってどうなのか…

はっきり言って、オレゴンに住んでいた時は、こんな空気を感じたことは無かった。

みんなそれぞれ勝手なことをやっていて、いちいち人のやってることを気にしない。
キリスト教の国とはいえ、日本のように善いことをするのに犠牲的精神を求められることもなかった。
アメリカの大統領でさえ、市民の身勝手な空気の圧力によって潰されることなく、任期を全うしているでしょ。

アメリカは見習うべき国とはとても言えないけど、そういう空気のあるなしでこうも違うのかと痛感した。
これから日本に住み続けるなら、避けては通れない障害なのは間違いない。

この空気に逆らうのは自殺行為かもしれない。
だけど、自分はこの空気に飲まれず、この魔物のような空気で苦しんでいる人たちのために行動していきたい。

 

人から悩みを打ち明けられた時にどんな反応をするべきか?

人から悩みを打ち明けられた時にまずどんなアクションが取れるかをブレストしてみた。

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①アドバイスをする
②なだめる
③なぐさめる
④話を聴く
⑤ただ寄り添う
⑥悩みに対して想像力を広げてみる

他にあるかな?

「無視する」とか「叱る」とかも入れれば、まだまだありそうだけど…

人から悩みを打ち明けられた時、どれが一番相手に刺さるかは状況によっても相手によっても変わると思う。
逆に、選択を間違えれば、相手をさらに落ち込ませてしまうこともある。

僕もやってしまいがちなのは、相手が求めてないのにアドバイスをしまくってしまうこと。
アドバイスする立場っていうのはとても心地よくて、相手が口を挟む暇を与えないほどアドバイスしまくってしまう。
いくつものアドバイスをするんだけど、当然相手にはほとんど残らないし、元々アドバイスが聞きたい訳ではなかったりした。

僕はその加害者でもあるけど、やはりそれで嫌な思いをしたことがある。
だから、自分がしていた行為が相手をさらに追い詰めてしまってたかもしれないと反省することがある。

アドバイスを含めた①~③は明らかに上から目線なので、使用には注意が必要かもしれない。
そのリスクを冒すよりは、まずは④~⑥のような同じ目線の反応を示した方がいいのかもしれない。

車を使わずに手頃な費用でどこまで自転車を運べるか?の挑戦

個人的にいろいろ変な拘りや挑戦があって、その一つに、「車を使わずに手頃な費用でどこまで自転車を運べるか?」がある。

もちろん、自転車を自力でこいで遠くまで行ってもいいし、バスや電車などの公共交通機関に乗せて運んでもいい。行った先でさらに自転車を乗り回せればいい。とすると、行った先で自転車をレンタルして乗り回すのもありかも?

On the bus

手頃な費用で自転車を遠くまで運べれば、多くの人の移動可能範囲が広がり、自動車の必要性が薄れていく。それが、より多くの人に「移動の自由」を保証する最も現実的な手段だと思うので。

車を使わずに手頃な費用で自転車をどこまで運べるか?の挑戦

①まずは、自力で自転車をこいで、これまで、湘南ー仙台間の往復(900km以上)と、神奈川県の全市町村を巡るサイクリングツアー(三浦市以外で約400km)と、ポートランドーセイラム間(約100km)。ただこれはお金がなくても出来るけど、相当の根性がないと出来ない。

②:ポートランドでは、自転車をライトレール(次世代型路面電車)やバスに積んで都市圏内を自在に移動する車要らずの生活だった。ライトレールには車内に自転車を縦に引っ掛けられる場所があり、バスには正面にそのまま乗せられる。普通は車で行くようなところでも、公共交通機関と自転車を駆使して果敢に移動してた。

③:サンフランシスコで自転車をレンタルして、カルトレインに乗せて移動し、途中、ライトレールに乗り換えてシリコンバレーを通ってサンノゼまで行って、そのレンタル自転車でサンノゼを観光した。移動距離は約77kmで交通費約1200円。自転車を分解しなくても乗せられたので助かった。

④:ポートランドーユージン間を自転車と共に移動。ライトレール(次世代型路面電車)、通勤列車、路線バス、Amtrak(長距離列車)という公共交通に自転車を乗せ、目的地も自転車で観光。一度も自転車を分解せずに済んだ。移動距離約200kmで交通費約2500円。

⑤:青春18きっぷを使って、折りたたみ自転車と共に湘南ー東北被災地を巡った。主なルートは湘南ー相馬ー石巻ー大槌ー花巻。その間、降りた駅で折りたたみ自転車を乗り回した。5linksの折りたたみ自転車を使えば、折りたたみ(開く時も)に要する時間はたった15秒くらい。移動距離は1500kmくらい(?)で交通費11500円+。

おまけとして…行った先で自転車をレンタルして観光したのは、横浜(baybike)、富山、堺、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シンガポール、デンバー(B-cycle)、シカゴ、ミネアポリス(Nice Ride)。こういった形でも移動可能範囲は広がる。

自信とプライド(5)恐らくこれが無敵なパターン

前回の記事から大分時間が空いてしまいましたが、「自信とプライド」シリーズ最終回です。

前回は、自分をモデルとして、「変なプライドはないけど自信も無い人」について書きました。
今回は、以前の自分をモデルとして、同じ人間なのに、自信が身に付いているだけでどう違ってくるのかを書きたいと思います。

振り返ってみると、20代後半の頃の自分は、自分でも信じられないくらい怖いものなしで、何にでも果敢に挑戦していました。
今ではほとんど失われてしまっているけど、微かに残っている感覚からその頃の自分をこう表現してみました。

  • 怖いものなしで「逆境はチャンス」、とワクワク待ち受けれる自分
  • 関連性を無理矢理にでも捻り出し、自他共の幸福を遠慮なしに図太く実現できる自分
  • 新鮮な気持ちで何でも心に刻めて、いつでもどこでも引き出して生き生きと語れる自分
  • 周りの人だけでなく、世界の裏側の人や故人のことまで意識を広げ、祈れる自分
  • スケジュールを細かに管理し、時間を戦略的で価値的に使える自分
  • 真の楽観主義で、すべてに全力投球しても疲れない超前向きな自分
  • 周りの人を触発させ突き動かせられるような、一生懸命で輝いている自分
  • 「例え失敗して信頼を失っても必ずまた流れが来る」と信じることができ、速やかに次の一手に移れる自分
  • 嫌な人や苦手な人ほど真剣に祈れて、何でも無駄にせずに自分の糧に出来る自分
  • コンプレックスさえも笑いに変えられる、余計なプライドのない自分

これは、余計なプライドがないのに自信に満ちているパターンの一例。
比べる対象は他人ではなく、あくまで自分。
他人より劣っていようが、過去の自分より前進出来ていればいい。
そういう境涯にいれば、お互いの成長について讃え合えるようになる。

個人的には、このパターンがベストだと感じています。

もちろん、もっとすごい人はこの世界にごまんといるはずだけど、自分の例を見てみても、一人の人間が自信を失うだけでこうも違うのかということを痛感しています。
たかが僕ごときが自信を失って潰れたとしてもほとんど影響は無いだろうけど、周りの多くの人が自信を失って能力を発揮出来ないとなると一大事ですよね。

日本の多くの人がこの無敵のパターンを身につけた時に、どれだけ日本が変わるのかを想像することがあります。
余計なプライドを捨てるのはなかなか難しいけど、周りの働きかけでどの人も十分な自信を持つことは可能のはず。

この連載が、そんな希望のある方向性に日本が向かうための助けに少しでもなってもらえたらと願いつつ、連載を締めくくろうと思います。

車を使わずに電車が不通の東北被災地の海岸線沿いを攻める

青春18切符と折りたたみ自転車での東北被災地輪行ツアー。
下調べした限り、計画ルート上にけっこう電車の不通区間があった。

2013-09-06 12_38_05-Microsoft PowerPoint - 130403鉄道運行マップ - rosenzu.pdf
※この地図の赤い部分が電車が運転見合わせの部分

でも、「まぁ大丈夫だべ」と軽い気持ちでやってみたところ…
蓋を開けてみると予想以上に不便で、かなりバタバタ劇を繰り返していた。

この記事では、電車の不通区間ごとに旅を振り返る。
これらの区間は、青春18切符を持っていたのに、その恩恵を十分に(または、全く)受けられなかった区間だ。

でも、不便な思いや苦労をした分、この区間に特に思い出が詰まっている。

 

■亘理−相馬間(折りたたみ自転車 & JR代行バス)

福島駅から東北本線に乗り、岩沼駅で常磐線に乗り換えるも、終点が相馬よりもずっと手前の浜吉田駅。
浜吉田からの山下、坂元、新地、駒ケ嶺は、線路または駅ごと津波で流され、復旧の見通しが立っていない。

往路は、無謀にも折りたたみ自転車で行った。(亘理~相馬、30kmに渡る折り畳み自転車サイクリングで見たものを参照)
復路は、さすがに相馬駅前からJR代行バスに乗った。

こんなことをする人は他にいないだろうけど、現地の人々と同様の不便を体験するのも今回の旅の目的の一つだった。
ちなみに、去年のGWの仙台まで往復サイクリングツアーでも、実は坂元駅から北へ自転車を走らせたことがある。

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■松島−矢本(JR代行バス)

日本三景の松島から矢本駅までも電車は現時点ではまだ不通。
その間、9つの駅があり、JRの代行バスが走っている。

実は、前回の東北ツアーで途中まで自転車で走ったのだけど、所々津波で完全に流されていて、再び鉄道を通すにしても、同じルートではとても無理そうだった。

矢本駅からは電車は走っている。

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■浦宿−女川(折りたたみ自転車)

石巻駅でビジネスホテルにチェックインし、早速、石巻線で女川に向かった。
震災前は、石巻線の終点は女川駅だった。

だけど、震災で女川駅が壊滅的な打撃(駅もろとも周辺のものすべてが津波に流された)を受けたので、その手前の浦宿駅までしか行けなかった。
浦宿駅からはJRの代行バスが通っていたけど、あえて折りたたみ自転車で女川を目指した。

iPhoneのGoogle Mapsを頼りに向かったが、女川町に入ると、建物も道路も、地図にはあっても実際に無いものばかりで、GPSが全く機能しないエリアがあった。

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■柳津−志津川−気仙沼−盛(BRT:バス高速輸送システム)

石巻線で北へ向かい、前谷地駅で気仙沼線に乗り換えた。
気仙沼線も震災で壊滅的な打撃を受け、大部分が不通になっている。

不通区間は、バスはバスでもBRTというバス高速輸送システムが代行運転している。
当初、BRTは全部の区間で専用路線を走るもんだと思っていたけど、そうではなかった。バス停の区間が長く、出来る限り専用路線を走ることによって、高速輸送を実現するシステムということだった。

途中、元々電車が通っていた線路をコンクリートで固めてBRT専用として通れるようになっていた。
その他はほとんど自動車と共用道路を走ったけど、それほど渋滞は起きていなかったので、全体的に快適だと感じられた。

バスの車窓からは痛ましい光景が広がっていた。
想像を軽く超えるほど被害が広範囲に及んでいるため、2年半経っても手がつけられない部分が多いのは分かるような気がした…

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■吉浜−釜石(路線バス)

ここは、この旅で最もハラハラした区間。

気仙沼船BRTまでなら公共交通で海岸線沿いを北上する人は普通にいると思う。
だけど、そこから先はなかなかいないと思う。
盛−釜石のルートを乗り換え案内でいくら調べても、一度、東北本線まで戻る遠回りルートしか出てこない。

僕は、この日、大槌の近くの浪板海岸前の民宿で宿泊予約をしていた。
もしかしたら、遠回りした方が早く着いてたかもしれない。
スマホを駆使して路線バスなどの時間を調べたらギリギリの状態で、かなりきわどい決断を迫られていた。

気仙沼線BRTの終点の盛駅からは三陸鉄道の南リアス線が出ている。
だけど、こちらも津波の影響で途中の吉浜駅までしか行かない。
吉浜駅からは路線バスでなら釜石まで行ける。
だけど、釜石からまた最終の路線バスに乗らなければならない。

乗り換え地点で一回でも乗り遅れれば間に合わない状況で、僕は賭けに出た。

吉浜駅で路線バスが来るまで1時間以上時間をつぶさなければならなかった。
吉浜駅周辺は驚くほど何もないところで、かろうじて個人商店が空いていて、夕食にこぎ着けられた。
誰も来る気配のない吉浜駅の待ち合い室で、宿まで辿り着けるのか不安になりながらも時間を潰していたのをよく覚えている。

そんなこんなで、吉浜が、津波の甚大な被害を受けながら、行方不明者1人、家屋全壊・流出4棟という最小被害で済んだことで、「奇跡の集落」と呼ばれる場所だということを知ることが出来た。
ただ、吉浜から釜石までの距離も去ることながら、路線バスの料金が800円以上したことに驚きを隠せなかった…汗

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■釜石−浪板海岸(タクシー)

スマホを駆使して調べた限りでは、釜石から最終の路線バスで、宿泊場所近くまで行ける予定だった。
でも、この区間は「タクシー」と書いてあるからには、予定が狂ったということだ。

何があったかと言うと…
とても苦い思い出なので、出来れば思い出したくない…

あれは、釜石駅近くで路線バスを下車した時だった。
何か駅から少し離れた大通り沿いに降ろされたことを不思議に思いながらも、僕は釜石駅前に向かった。

乗り場が「釜石駅前」と書いてあるからには、釜石駅の真ん前か少なくともロータリーのどこかだという固定観念を持っていた僕は、見事にハマった。
バスの到着時刻になっても一向にバスは来ない。
2分、5分、10分、15分と過ぎてもバスは来ない…

どうやら、バスの乗り場を間違えたらしい…
正しくは、さっき吉浜からの路線バスを下車した大通り沿いのバス停が正しかったらしい…
時間的には十分間に合ってたけど、まさかバス停の場所を間違えるというオチがあるとは。。。

頭が考えることを拒否していたけど、やがて観念してタクシーに乗り込んだ。
目的地まではまだけっこうあって、5000円ちょっとかかった。
まぁ、元々、被災地にお金を落としてくる目的もあったから、その一環として考えればいいかなと思うようにした。

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浪板海岸−道の駅やまだ(自転車)

まだまだ電車の不通区間は続く。
元々、釜石から宮古まではJRの山田線が通っていたが、津波の影響で復旧の見通しが立っていない。
タクシーの運転手が言うには、元々、震災前も赤字路線で、JRが復旧をためらっているらしい。

それも、この区間はJRの代行バスも通っていない。
乗り換え案内で調べてみても、一度、花巻まで戻って東北本線経由で移動するルートが出てくる。

しかも、路線バスで行くにも、道の駅やまだで別の路線バスに乗り換えなければならない。
現地で暮らす交通弱者の人々はとても不便を強いられていると感じたし、電車での旅行者でもわざわざこのルートを選ぶ人は少ないだろう。

宿泊したタカマス民宿を後にして、さらに海岸線沿いを北上する路線バスの時刻を調べてみると、次のバスがくるまでに1時間くらいあった。
ということで、浪板海岸から道の駅山田まで7.5kmほど、のんびり折り畳み自転車で行くことにした。

民宿のおばちゃんは、その道中は高低差はそれほどないと言ってたけど、実際は結構あった。
車ではそれほど感じない高低差でも、自転車はモロに感じるものだということを再確認した。

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道の駅やまだ−宮古(路線バス)

釜石-宮古の電車不通区間の中間である道の駅やまだから路線バスに乗り、三陸鉄道の北リアス線の始点となる宮古駅を目指した。

この路線バスはけっこうな旧型で、通路が狭く、折り畳み自転車の置き場に困った。
バスは進むにつれて車内が混んできたので、通路をふさがないように一番後ろの席に移動した。
通路で立っている人もいるなか、一番後ろの席を3席分も占領してしまって申し訳なかった…

この区間でも、バスの車窓から津波の爪あとが見て取れた。
瓦礫はなくなったとはいえ、元々あったものが無いままになっている。
それも、それが、現地の人々にとっては日常になってしまっているようだった。

旅行で一度行ったくらいでは、現地の人々の心境や悲しみの深さなど、到底分かることが出来ない。
そんな中途半端な状態で無理に支援活動をしようとしても、かえって混乱を招くだけかもしれないなと思った。
あくまで、復興を主導するのは現地の人たちであるべきだ、なんてことを考えながらバスの車窓から見える風景を見ていた。

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番外編:小本-田野畑(十分に時間が無かったので断念…)

NHKの朝の連続テレビ小説で大人気の「あまちゃん」の舞台を走る北三陸鉄道の北リアス線。
ここでも、一部、電車が不通の区間がある。
それでも、南リアス線も含めて、来年の4月頃には北鉄の不通区間が解消されるらしい。
地方鉄道の地元意識や情熱のようなものを感じる。

現時点では小本からは代行バスが通っている。
出来れば、あまちゃんの舞台の久慈駅や小袖海岸に行ってみたかったんだけど、時間的に無理だということが分かり、予定を変更して小本で折りたたみ自転車を広げ、チョイ乗りを楽しむことにした。

輪行の旅なら、こういう風に柔軟に予定を変更しても行動範囲も楽しみも広がる。
しかも、今回は釣竿も持って行ったので、小本の釣具屋で餌を買い、堤防で釣りを楽しむことが出来た。

本当はあまちゃんの舞台の小袖海岸の堤防で釣りしたかったんだけど、まぁ、小本でも北三陸で釣りしたことになるかなと自分を納得させた。

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こうしてみると、今回の旅で一番印象に残っているのは、電車に乗っているときでも自転車に乗っているときでもなく、この電車の不通区間で大変な思いをしてでも海岸線沿いを攻めたことだったかもしれない。

他の写真も観たい方は、Panoramioに載せたジオタグ付きの写真集をどうぞ!→ bit.ly/19lClO2

東北の被災地を巡ってみて再確認したこと

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3.11の日、僕はまだアメリカにいた。

ツイッターに流れるツイートを見ながら、その日、東日本で起こっていたことがただ事ではないとは感じていた。
でも、対岸の火事とは言わないまでも、どうしてもリアルな出来事とは思えなかった。
遠くの安全な場所にいて、日本のみんなと同じように危機感も抱けなかったし、絆も深められなかったと感じていた。

帰国後、僕は、これまでに2回、東北を訪れている。
一度目は、去年のGW。帰国してすぐでお金も無かったので、片道3日かけて自転車で石巻手前まで往復した。
二度目は、今年のお盆休み。5linksの折りたたみ自転車を電車に乗せて、青春18切符を駆使して東北を巡った。
震災直後のことは良く知らないけど、震災から1年、2年と経った現地の様子を見て、いろいろと感じることがあった。

被災地を巡ってみて、これだけ時間が経っても驚くほど復興は進んでいないと感じた。
瓦礫はほとんどなくなり、震災の爪痕は排除され、見た目は平穏さを取り戻したかに見える。

だけど、表面的なものに囚われ過ぎて、本体となる被災地の人々の生活や心の復興は置き去りにされている。
明らかに、まだまだやるべきことは山積みだと感じた。

でも、僕はただ現地に行ってみただけで、ボランティアしたりしてきた訳ではない。
具体的に役にたてればいいなとは思うけど、それが出来ないからといって必ずしも自分を責めたり落ち込んだりはしない。

僕が、自分の無力感に初めてプチ絶望したのが、2002年から始まったスーダン政府によるダルフール地方の人々の虐殺で、国連の平和維持軍がスーダン政府から国外への退去勧告を受けて、いよいよ国際社会から見捨てられ、虐殺がさらにエスカレートしそうだった2006年の今ごろ。
僕は、それまで、現代の世界で未だにそんなにあからさまで血なまぐさく悲惨なことが起こっているなんて夢にも思っていなかった。

そのことを知った時、僕はこんな日記を書いた。

僕たちに出来ること
bokudeki.me/essay/realization/633

この日記で僕はこう書いた。

「今、僕がスーダンのダルフール地方に行っても、
何も出来ずに殺されるだけでしょう。

今、僕が現場から遠く離れたこの安全な場所で
声を上げたとしても、立ち上がってくれるのは
ほんの数人でしょう。

同じ危機感を持った人が数人集まったとしても、
何から始めていいのかさえ分からず、
路頭に迷うことしか出来ないでしょう・・・

でも、その前に、今の僕に、
すぐに行動に移せるような勇気も危機感もないのです・・・

一番信じられないことは、
こんなにもふがいない自分のことを、
悔しいとも悲しいとも思えないこと・・・」

アフリカでは、そう遠くない過去、さらに悲惨といえる80万人が亡くなったと言われるルワンダの大虐殺が行われた。
そして、今この瞬間にも、シリアで同様の悲惨な虐殺劇が起こってしまっている。

こういった世界各地で起こる紛争に限らず、世界にはとても僕の手には負えない出来事で溢れている。
僕が一人行ったところで、その中の一つでさえ状況を変えられるか分からない。。。

でも、自分の無力感に向き合い、少しでも絶望を経験した甲斐あって、遠くで悲惨な出来事が起こったとして、実際に助けに行けなくても、めげずに一つのことを着実に進めることが出来るようになった。

それは、自分の足下から、自分の地域で人材を育て、コミュニティを強化する活動すること。それこそが、現場に行ってもあまりにも無力な自分に出来る一番の貢献だと思っている。

現地に行けなかったり、現地でボランティアが出来ないと言って、必ずしも後ろめたさや罪悪感を感じる必要はないと思う。
自分の足下からコミュニティを強化し、被災地への負担を軽減出来れば、それも具体的な貢献。
それに、自分のコミュニティから、悲惨なことが起こっている世界の各地へ行って活躍出来る人物を輩出できれば、それもかけがえのない貢献になる。

そうやって、立ちすくんで無気力になっている人が前を向いて足下から行動するようになれば、きっと、被災地でも体感出来るような変化が必ず起こっているはず。

亘理~相馬、30kmに渡る折り畳み自転車サイクリングで見たもの

 自転車のスピードはまだ人間の目が周りを認識できるスピード。
というようなことを聞いたことがある。

車や電車などでは見逃してしまうものが、自転車なら見える。

車だとあっという間に通り過ぎてしまうかもしれない。
だけど、自転車だと等身大の感覚でその風景を捉えられる。

だから、僕は旅先でも旅の途中でも自転車で観光をするのが好きだ。

今回、アクシデントで、亘理~相馬間の30kmを、ギヤ無し14インチの折りたたみ自転車でサイクリングすることになった。
かなり無謀な距離だったけど、嫌という程、被災地の現状を目の当たりにしてきた。

その一部を写真と一緒に紹介したいと思う。

亘理ふるさと復興商店街に立ち寄った。残念ながら、お盆休みのため、ほとんどのお店がお休みだったけど、大変な時こそ協力して知恵を出し合って乗り越えようとする人々のエナジーを感じた。
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放置された広大な土地の一角に立ち並ぶイチゴの温室ハウス。塩害を受けた土地でもイチゴは甘く育つことが証明され、亘理の復興への布石にしようと力を入れている事業。
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神社も被災…
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 津波に堪えたが、寂しげに佇んでいる木々…
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震災の爪痕は所々に残っていた。
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2010年に完成したばかりの「楽天イーグルス牛橋公園野球場」も津波で流され、復旧の見通しが立っていないようだ…
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 幹線道路から外れ、忘れ去られたように人気のない道路で永遠と自転車を走らせた。
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津波で駅ごと流された坂元駅でしばし呆然とした。ここは、去年、自転車でまず目指した地。当時は事情が全く分かっておらず、駅ごと津波で流され、電車も走っていないことに衝撃を受けた。
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 瓦礫もなくなり雑草だらけの殺風景な更地に不自然にぽつんと建っている山元町立中浜小学校で津波の破壊力を目の当たりに…
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被災した漁港(磯浜漁港)に寄り道してみた。
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津波で破壊された道路の先端まで行ってみた…
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農道(砂利道あり)を走ってみたり…
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幹線道路に戻って自転車を走らせた。(あぁぁぁ…JR代行バスが行ってしまった…)
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 相馬漁港の盆踊りで少し休憩したりもした。
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 そんなこんなで、松川浦漁港で津波の被災を免れたエリアにある扇や民宿に20時ころ到着。

自転車を走らせている間、自分も忘れ去られてしまうんじゃないかというような背筋の凍るような寂しさをずっと感じていた。
誰にも注目されずに、ただ忘れ去られ、絶望感さえも感じさせる寂しさ…
津波は、人々の生活だけでなく、その土地の自然の活力さえも根こそぎ奪っていったかのようだった。。。

まだまだ語り残したことはあるけど、これが自転車の速度で見て感じた被災地の現状。