「持続可能性」カテゴリーアーカイブ

うちのソーラー発電システムの4年目半年間の発電量と売電収入

うちのソーラー発電システム(30kW超)も導入から4年目に突入していて、知らない間に半年経過してました。

発電量と売電収入を計算してみたところ、半年でそれぞれ2万kWh以上、80万円以上になってました。このまま行けば年間で150万円以上はいきそうなので、パネルやその他システムの劣化はまだ見られてません。

6月分 5/23-6/19(28日間)
4368kW
169,827円

7月分 6/20-7/20(31日間)
4344kWh
168,894円

8月分 7/21-8/21(32日間)
3400kWh
132,192円

9月分 8/22-9/20(30日間)
3424kWh
133,125円

10月分 9/21-10/19(29日間)
2679kWh
104,159円

11月分 10/20-11/20(32日間)
2858kWh
111,119円

2017年6月〜11月(半年分)
21,073kWh
819,316円

ちなみに、1年目から3年目までの年間の発電量と売電収入です

1年目:(2014年6月〜2015年5月)
41,152kWh
1,505,125円

2年目(2015年6月〜2016年5月)
40,375kWh
1,569,776円

3年目(2016年6月〜2017年5月)
40671kWh
1,582,643円

運用開始後3年半ちょっとで既に500万円弱の売電収入があるので、このまま行けば初期費用を8年目には取り返せそうです。
その後、12年間は同じ条件で売電出来て、その後もシステムが使えれば通常のレートで売電することが出来ます。

今は初期費用で親に借りた分の返済にほとんど回してますが、初期費用が回収出来たあとはこの収入に結構助けられそうです。

日本のイノベーターたちのビジョンと重なる部分 Vol.2

この記事では、「余計なプライドを捨てること」と「予定調和よりカオス」というのがテーマだと思う。

この記事でいうプライドは、僕の場合は10年以上前に捨てていた。それは合理的ではないし、自分にとってはプラスにならないから。だから、僕は、今、乗りかけ始めてる「エリート街道」からも簡単に降りれる。

また、予定調和なんて全く魅力を感じないし、かなり昔から、他人や状況を可能な限り「コントロールしない」という変わったポリシーを持っていた。思い通りにことが進むより、良くも悪くも予想外のことが起きないと面白くないと思ってしまう。

僕は2012年の時点でこんなことをつぶやいていた。

それは、僕が構想するプロジェクトでも根幹となってる。例えば、結局うまく行かなかったけど、平塚市民プレスは以下のようにカオスになって衝突やトラブルが生まれることを必ずしもネガティブに考えない設計だった。それは、ある意味、民主主義の訓練の場としての機能としての狙いもあった。

今思えば、ある意味、これはドイツの「ミニ・ミュンヘン」をオンライン上に再現するような取り組みだった。

ミニ・ミュンヘン

 

リベラル過ぎる僕の恋愛観について

僕という人間を知ってもらう為にすごく良いブログ記事はこれだと思う。

「ゲイ」について考えてみた

この記事を読めば分かると思うけど、僕はものすごくリベラルな人間で、これからもリベラルであり続けると思う。

クリスマスだからって訳じゃないけど、恐らく多くの人に理解してもらえないと思われる自分の恋愛観を書こうと思う。どうせ誰も読んでないだろうし、将来、AIが自分という人間を読み取ってくれる時の為に。

まず断っておかないといけないのは、僕はこれまで2人の女性としか付き合った経験がなく、一人は恐ろしく嫉妬深くてトラウマになるくらい束縛癖のある人だった。なので、僕はあまりまともな恋愛をしたことがなく、恋愛について語る資格はないかもしれない。その前提で書こうと思う。

僕の乏しい恋愛経験から、交際する際のお互いの距離感とか自由度ってすごく重要だと思った。恐らく、僕レベルで恋愛に対してリベラルな人は少ないと思うし、僕にはそれを相手に押し付けることも出来ないだろうな。。

まず、付き合ってるのに恋人が異性と話してると嫉妬するのは自然かな?もちろん嫉妬するのは自然だと思う。だけど、どのくらいの度合いかってのが重要。快く見守るのか、嫉妬しながらも見逃すのか、それとも話を遮って引き離すか。個人的には、恋人が自分以外の異性と話してても、それはソーシャルキャピタルのうちだとポジティブに考える。そうであるならどんどんやって欲しい。

それと同じように、相手の携帯のメッセージや発着信履歴が気になる人も多いと思う。僕は疾しいことはしてないのに、疑いだけで携帯を壊されたことがあるんだけど、そのレベルはさすがにあっちゃいけないと思う。個人的には、例え疾しいことをしていたとしても、それは個人のプライバシーとして守られるべきだと思う。

付き合ってるのに恋人が異性と食事はNG?これも分かる気がするけど、バッサリ切ってしまうのはどうかと思う。これもソーシャルキャピタルのうちだし、何かしらの価値ある機会を奪ってしまうのは、自分のためにも相手の為にもその他の人たちの為にもならない。

付き合ってるのに他の人のことが好きになるのは以ての外かな?これもごく自然なことだと思う。正直に打ち明けて冷静に話し合ってどうすれば良いかを決めればいいと思う。

では、浮気は絶対NG?浮気はもちろん良くないことだとは思うけど、それが許せるケースはある。それは、その浮気によってかけがえのない価値が生まれる場合。二人の間の絆が更に深まるとか、その教訓を生かして社会に大きな価値を生めるとか。恋人を寝取られたとしても、僕は同じように考える。

もちろん、この恋愛観を相手に押し付けるつもりはないし、可能な限り合わせる。でもやっぱり自分にも許容範囲がある。極度の嫉妬と束縛のトラウマと、自分のこの「リベラル過ぎる恋愛観」が恋愛を難しくしてると思うんだけど、自分を知ってもらう上ですごく分かりやすい例かなと思ってずっと書きたかったテーマだった。

AIがSNSを見て「どんな人か」を評価する時代に…

実は、こんな時代になることをずっと夢みてた気がする。

今までブログに書いてきたことやつぶやいてきたことは、僕にとって財産だと思っている。現状では誰もその価値に気づいてはいないけど、きっと将来、日の目を見ることになると信じて続けてきた。

ブログやツイッターの投稿にあまりいいねがつかなかったりアクセスさえされないのには色々と理由があると思う。単に読むに値しないのであればそれは自分の問題でしかないけど、恐らくそれだけではないと思う。読む価値があるのに注目されていないブログも沢山あるだろう。

1番の問題は、「人間が読むから」だと思う。まず、普通の人にはブログやつぶやきを全部読んでる時間はないし、好き嫌いや偏見などで判断してしまってフェアな評価が出来ないケースも考えられる。その投稿をした時の時代背景とか、長い期間の投稿内容を見比べた時の言動や行動の一貫性など、膨大な情報を考慮してのその人を評価するのは、忙しい現代人には無理な話だ。

それを、AI(人工知能)が肩代わりしてくれるとしたらどうだろう?僕は、このちきりんさんの記事を見たとき、久しぶりにゾクゾクする感覚を覚えた。もちろん、AIをどう使うかとかの倫理的なものも重要だし、企業の人事がこれを悪用して更に従業員を搾取するような結果もあり得るけど、僕は必ずしもそうはならないと予想している。

AIの使い方次第で企業の発展もあるべき姿になる可能性も十分あり得る。企業も本当の意味で優秀な人材を取りたいはずで、SNSやブログから読み取れる情報を最大限に活用してより優秀な人材を採用する企業は伸びるし、思考力がなくても都合の良いように使える人を取るような企業は発展せずに今まで以上に淘汰されていくのではないか。

重要なのは、AIが読み取る情報が全てでないまでも、その人がどんな人なのかを知るためのかなり強力な判断基準が持てることになる。その人がどれくらいユニークで先見性があり一貫性のある意見を持っているかとか。どんな企業も出来るだけ優秀な人材を採用したいはず。

だけど、現在の企業の採用は、ちきりんさんの記事に書いてある通り「履歴書」が大きな判断基準になっている。この時点で、どんなに実力のある人でも、学歴や職務経歴などが伴わずに落とされる場合は多々ある。

それに、面接に進んだとしても、面接だけでその人を十分に評価することは出来ないと思う。その面接の時間だけの為にパフォーマンスを発揮する人もいるだろうし、平然と作り話をして自分を必要以上に大きく見せようとする人もいる。面接受験者にとっても、会社(面接官)にとっても、こういった状況は健全ではないし、社会にとってもロスが大きいと思う。

だからと言って下手に自分の意見をSNSで発信してネガティブな評価を受けるケースもあって、何も発信しない方がいい場合もあるかもしれない。重要なのは、「声が大きくパフォーマンスばかりの人たちに埋もれてしまっていた人材が発掘されること」なんだ。もし、AIが個人のSNSを評価するようになれば、インターンシップなどの経験などの延長で、戦略的にSNSを使うことも出来る。僕はそんな時代を見てみたい。

こうやって考えると、2003年にこのブログを始めて(最初はmixiだったけど)2000を超える記事を書いてきたことは今後すごく大きな意味を持って来るはずだし、その中にどれだけの価値を見出されるかによるけど、今後の自分に訪れるチャンスも大きくなる。

ブログやつぶやきで投稿してしている僕の考えや行動は、断片的に見ると思いつきや自己満足でやっているように見えるかもしれないけど、緻密に計算されて一貫性があり、しかもリスクを侵したり身体を張った社会貢献だということもある。現代の忙しい人間にはそこまで読み取ることは出来ないかもしれないけど、膨大な記憶力と処理性能を持ったAIであればきっと分かってくれる。

長らくブログ更新をしてなかったけど、こう言った見通しがつけばブログ更新のモチベーションになるから、継続して続けて行くことにした。

自分の意見が何だろうと、相手の権利は守られなければならない

 

この映像はアメリカのテレビ局が仕掛けたドッキリ企画のようだし、よく考えれば当然のことを言っているんだけど、いざこういう場面で同じ行動を取れるかを考えると、やはりこのアメリカ人はとても立派だと思うし感銘を受ける。

フランスの作家ボルテールはこう言ったらしい。

私は、君の言うことには反対だ。しかし、君がそれを言う権利を、私は命をかけて守る

本当に公正さを意識して生きている人には間違いなく共感出来る言葉。逆に、この言葉にピンとこない人は、「人権」に関する意識を見直した方が良いと思う。

自分の意見が何だろうと、相手の権利は守られなければならない。「考え方が違うから」とか「気に入らないから」とかで相手の言論の自由や表現の自由を侵害してはならないということ。

日本の会社では、マネージメントと部下の従属関係が特に顕著だと思う。上司に反抗したら評価に影響したり、左遷やその他のパワハラなどに遭うということも普通にあり得る。そういう目に遭わない為にも、自分の意見を押し殺して波風立てずに働いている人が多いのではないだろうか。

僕はよっぽどのことがない限り目上の人に反抗したりしないけど、言うべきことは遠慮なく言わせてもらう。それは、硬く言えば自分の「人権」を守るたけなんだけど、何もモノが言えない環境で奴隷のように生きるのは誰だっていずれ魂が窒息死してしまう。そんなの自分も嫌だし、他人にもそんな思いをして欲しくない。

自分の意見が何だろうと、相手の権利は守られなければならない。このビデオのアメリカ人のように、リスクを恐れず行動出来るようになりたい。

持ち前の情熱とさらに磨きのかかった感性で芸術創作活動を続ける小島一朗さんの絵画展

小島一朗さんの絵画展に行ってきました。

小島さんは体の8割が麻痺している重度障がい者です。2009年に、突然、重度障がいになり、今まで当然出来たことがほとんどできなくなったそうです。僕だったら絶望して何も出来なくなりそうな状況ですが、小島さんは「利き手の右手が動かなくなったら、わずかに動く左手で」という風に、持ち前の情熱とさらに磨きのかかった感性で力強く芸術創作活動を続けています。

小島さんが重度障がいになって、施設で初めて割箸が使えるようになった時、仲間に大泣きして報告したというエピソードがとても印象に残っています。数え切れないくらいの「出来ないこと」を嘆くより、一つでも「出来るようになったこと」に感謝する彼の生きる姿勢にすごく感銘を受けました。

モチーフの鮮度や僅かな変化を敏感に捉える小島さんの感性は、作品に生命力とか生身の温かさを与えていて、とても見応えがあります。それは作品を観ても感じられるのですが、作品の下にある彼のコメントを読むとさらに鮮明になります。(因みに小島さんの毎月火曜日のFB投稿もいつも楽しみにしてます)

小島一朗 絵画展は神奈川県相模原市のあじさい会館で今月24日まで開催されてます。

彼の生きる姿勢と感性に多くの人に触れてもらいたいです。

舛添さんへの集団リンチに違和感を覚える投稿が増えてきたところで…

舛添さん、ついに辞職ですか…

舛添さんを擁護する気はさらさらないけど、この「集団リンチ」以外の何物でもない状況に違和感を感じてた。

そんな状況に対して問題提起する記事や投稿が出始めたとこだった。

不謹慎だと感じる人もいるかもしれないけど、米フロリダで起きた銃乱射事件と同じくらい、日本の有名人や政治家に対して行われている集団リンチは恐ろしいものだと思う。

何て言うか、例えれば、前者は「監禁」のようなもので、だとしたら後者は「軟禁」に当たるのではないか。物理的な恐怖より、精神的な恐怖の方が根が深いと思う。

僕の父親は、パチンコ屋に行く時にも家族の共用車を使う。自分でガソリン代を払うのが勿体ないからだそうだ。その父親のセコさと傲慢さのために、僕は自分の車を買わざるを得なくなった。

また、自分の買いたい食料品を勝手に買ってきて、一円も残らず母親に請求する。あたかも当然のように。僕だったら、自分で出して喜んで家族に分けるけどね。

そのセコさは舛添さんと同質。多分、舛添さんの世代特有のセコさなんだと思う。そんな父親はかなりの勢いでこの集団リンチに参加している。

自分を棚に上げて集団リンチに参加してしまえるほど恐ろしい人はいないかもしれない。

個人情報が悪用出来ないくらい、みんなで寄ってたかって売名すればいい

何でも売名行為だと疑われ、逆に非難されたり、逆に名前を隠す文化っていうのも世の中が生きにくくなっている原因の一つだと思う。

個人的な理想は、むしろみんなが名を上げようとして、それぞれで善いと思えることをする文化。それを実現する為には周りの人が妥当な評価が出来ることが条件。

堂々と善いことをして名前を売ればいいと思う。 個人情報が悪用出来ないくらい、みんながみんな名前を売ろうとすればいい。 名前を隠そうとする人が多いから悪用される。

そこまでいけば、何でも「偽善だ」「売名だ」と騒ぐ人はいなくなる。その為には、正当に名前を売る人を快く受け入れ、適切に評価し、育て増やさないといけない。

「仮面社畜」についての個人的な考察

そう、ここに書いてあることは、僕が勝手に提唱している「サラリーマン2.0」の姿に通ずる。

サラリーマン2.0:①会社と対等な関係(会社がクビ切るのと同じように会社を切れる)

仮面社畜は、会社を利用する立場だけど、結果的に会社に大きな価値を生む存在でもある。 個人的な解釈では。

声を上げたり意見をしたら不当なペナルティが待っているような企業の中で、疑問を持たずだったり、声を上げずに従来の仕組みの中で仕方なく活動を続けられる人は、社畜以外の何物でもない。

「社畜にだけはならない」と言って、モチベーションが低く、会社に実質的にはあまり貢献してない人も「社畜」に分類される。

つまり、会社にただ従順という訳じゃないとしても、会社に反抗して意味もなく不真面目になったり、会社のために頑張るのがダサいと思ってベストを尽くさず、自分を高められない人も社畜のうちということになる。

ただし、仮面社畜の場合、結果的に会社に大きく貢献する結果になったとしても、その「過程」がネックになって、実際の貢献度に見合った評価は得られない。上司の意向や会社の従来のやり方を簡単に無視するから。

「仮面社畜」を生かすか殺すかは、会社の発展にとってかなり重大なことだと思う。

米フロリダで起きた銃乱射事件の報道を見て思ったこと

このフロリダで起きた無差別銃乱射事件で、100人以上が殺傷されてしまった。 犯人を責めるのは簡単だけど、こういった事件を二度と起こさないためには、やらなきゃいけないことが他にも確実にある。

このナイトクラブはLGBTの人たちの憩いの場でもあったらしいから、あえてそのクラブを狙ったのは同性愛者に対するヘイトによるテロ行為の可能性が高い。(犯人自信がゲイだったという情報もあるけど)

特定の人種や民族、宗教などに対してはもちろん、同性愛者やテロリスト、在日外国人など、一括りにして悪く言ったり憎んでいるグループがあるとしたら、僕たち一人ひとりが改めてないといけないと思う。 そこにはいろんな人がいて、嫌いな人もいるかもしれないけど、好きになれる人も必ずいる。

あくまで対「個人」で見るべきで、集団に対して先入観や偏見を持つべきではない。

逆に、マイノリティだからと言って、かわいそうだとか手厚い対応をしなきゃいけないとか、必ずしも思う必要はない。 嫌いな人は嫌いなままでいいと思うし、ひどいことをされたら怒ったり非難すればいい。

そんなことをまとめた記事を書いたことがあった。

「ゲイ」について考えてみた