「温かく見守る」ことの難しさについて

Army Photography Contest - 2007 - FMWRC - Arts and Crafts - Son in the Tub

「温かく見守る」という行為は、実は、積極的であり、また能動的な行為なんだと思う。簡単なようで一筋縄にはいかない。

「温かく見守る」って、実は難しい。無関心で放っておく訳でもなく、相手が失敗したり助けを求めてても容易には手助けをしないということ。

「温かく見守る」って、相手を見放さないけと距離を置くこと。喜んでサポートするけど、あえて何もしないこと。

特に、何でも自分の意のままにコントロールしたがる人(相手のために何でもしてあげたいと思う人など含め)には、「温かく見守る」という行為は困難になると思う。そういう人は、相手の可能性を過小評価している人とも言えるかもしれない。

「他人に自分の期待を押し付けないことこそ、真に彼を愛することなのだ。相手にやりたいようにさせてあげるやさしさを持てた時、私達は愛する者から自由になるのだ。そして、妙に思うかもしれないが、かえって、お互いの愛情は深まるのだ。」シャーリー・マクレーン

「べてるの家」のサポートの仕方が「すぐに手助けをしない」というのを聞いて、「ミニ・ミュンヘン」を思い出した。その取り組みの中で、大人たち は、子供たちが明らかにトラブルを起こしていても口出ししない。子供たちが自分たちの力で問題を解決するプロセスを温かく見守るのだ。

大人の子どもへの接し方は、無関心ではない形で暖かく見守ることだと思う。個人的には、ドイツのミニ•ミュンヘンという取り組みにとてもはっとさせられた。ブログ記事「ミニ•ミュンヘン」bokudeki.me/essay/realization/423/

精神障害を持つ人や依存症の人たちの自立を阻んでいるのは、周りの健常者たちの「余計な行動」なのかもしれない。「過剰に介入する」のもそうだ し、偏見や先入観から「関わらない」というのも余計な行動だと思う。あくまで、患者の「当事者性」を尊重し温かく見守ることが大事。

選択肢(アクセス)を出来るだけ豊富に作り出しどれでも選択可能にすることも大事。でもそれだけじゃ不十分で、人それぞれに必要な選択をしてもら うために積極的に働きかける(「温かく見守る」も含め)ことはもっと大事。僕が将来、地元平塚でやりたいことは、簡単に言えばこの二つ。

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photo by: familymwr

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