「偶有性」の余地をポジティブに捉える

茂木健一郎さん(@kenichiromogi )の言う「偶有性」について、僕の解釈では、全く予想もしていなかったようなことが自然発生的に起こる可能性のこと。その余地があるということは脅威でもあるけど、逆に言えば、思い描ける理想以上のことが起きる可能性があるということ。 

僕たちは、ものごとが思い通りに行かないとイライラするし、思い通りに言って欲しいと願うものだ。だけど、実は、思い通りにものごとが進むのがベストでは必ずしもない。思いもよらなかった全く別の可能性が出てくる場合もあるし、潜在的に欲していたものは別のことだったと後で気づく場合もある。 

「偶有性」は、ソーシャルキャピタルを高めることによって発生するものだと思う。インターネットの世界でも同じ。「社会的なつながり」という価値が、予想もしなかった可能性を生む。つながりの「質」と「量」次第で、その可能性は倍増する。 

以前、『「経済」についての雑感』(ow.ly/8UQHR )でも書いたけど、景気対策って、「思い通りに回復して欲しい」と願ってそれっぽい改善策を考えるより、ソーシャルキャピタルを高めることにより、自然発生的で予想外の効果を狙った方が近道だと思う。 

「思い通り」よりもベターな可能性があると思えるかどうか、はとても大きいと思う。「思い通り」に固執すると、当然、それ以上は望めない。 

政治家が「最優先で景気対策をします!」というと、国民にとっては聞こえがいいかもしれないけど、個人的には懐疑的。個人的には、経済も環境も社会も政治も、ソーシャルキャピタルを高めることにより、自然発生的で予想外な形で発展していくべきものだと思っている。 

「ファシリテーター」も、ソーシャルキャピタルを高める役割を持つ人たち。議長のように特別な権限を持っている訳でなく、会議への参加者それぞれのいいところを引き出し、交流を促進することによって、本人が予想もしなかったような結果を導こうとする。思い通りに進めようとは初めから思ってない。 

議員など、コミュニティを代表する人たちは、自分たちが勝手に決めて思い通りに進めようとするより、ファシリテーターのように、市民を活かし交流を促進することにより、本人が予想もしなかった全く別の可能性を引き出すことに徹するべきなのかもしれない。

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