ひめゆり

長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」は、ひめゆり平和祈念資料館のリニューアルの総合プロデューサー・コーディネーターを勤めた柴田昌平監督が13年かけて作った、2時間10分の長編ドキュメンタリー映画です。

「ひめゆり」長編ドキュメンタリー映画 公式HP
www.himeyuri.info/

先日観にいって、やはり日記に綴っておくべきだと思ったので、下記に書き残しておきます。

第2次世界大戦末期、アメリカ軍との唯一の地上戦となった沖縄戦で、法的根拠なく従軍看護要員として組織された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校(高女)の生徒・職員の学徒看護隊は、それぞれの配属先に向かった。

学生達がみんな口をそろえて言うこと。
「赤十字の旗の立った安全な場所で看護活動をするんだと思った」

現実は、砲弾の飛び交う極めて危険な最前線の場所だった。

防空壕の中が病院。
電気もなく、ベッドを並べただけでろくな設備もない。
衛生的には最悪の環境で、おまけに、手術器具もなけなし程度。

寝る暇も無く、薄暗い壕の中、
負傷した兵隊から、「学生さ〜ん、学生さ〜ん」とひっきりなしに呼ばれる。

次から次へと負傷した兵隊がやってくる。
壕の中はすでに足の踏み場もない状態。

自力で歩ける人と歩けない程に重症の人。
当然、重症の患者から優先的に通すが、自力で歩けるとは言え、大きな傷を負った兵隊を門前払いするのは、本当に苦しい決断だったのだろう。。。

学生達は、何百人もの死と対面し、負傷者と向き合ってきた。

薄暗い壕の中、蛆が動いている音のする方に遺体があることが分かる。
傷を負って動けない兵隊にも、容赦なく蛆は沸いてくる。
耳の中に居座ってしまった蛆は、取り除くのが極めて困難だ。
患者の耳には激痛が走る。
草の茎の部分で丁寧に取り除こうとするがうまくいかない。

重傷者には容赦なく手術が行われる。

手足の切断・・・
切断方法は、まず、肉と皮を余分に残し、めくり上げておく。
そして、血管をうまく切断しながら、骨はのこぎりで切断する。
最後に、余分に残しておいた肉と皮を切断部に被せる。

手術によって切り取られた腕を塵箱へ、切断された足を外の着弾跡へ。
それは、彼女達の仕事でもある。

ある学生が、切断された腕を両手で抱え、外へ飛び出そうとしていた。
そこへ、将校(?)の人とちょうど出くわした。

その将校は彼女にあわてて言った。
「き、君!な、何をしてるんだ!?」と。

彼女は言った。
「手術が終わったんで、外の塵箱へ運んでるんです。」

そして、その将校は、こう言った。
「す、すごい女だな。。。」

― 戦争は人間を変える。

彼女はその時まで、自分がこんなにも変わってしまったなんて夢にも思わなかったそうです。

また、別の学生は、用事を頼まれて外に出ていた。
そして、戻ってきたときには、壕の中で、みなが変わり果てた姿をしていた。
誰のものとも判断できない肉の塊が散乱していた・・・
仲の良かった学生や先生、傷を手当てしていた兵隊もみんな・・・

米軍は、手当たり次第、容赦なく、壕の中へ爆弾を投げ込む。
そして、掃討作戦の為、火炎放射機で山を焼き払い、豊かだった南部の自然を一変させた。

追い詰められた最南端のごつごつしたいわばで、「デテコ〜イ!デテコ〜イ!」という、不自然なイントネーションの日本語の声が近づいてくる。

学生達の頭の中には、もはや「死ぬ」ことしかなかった。
「どうやって死ぬか」をずっと考えていた。
でも、人数分の自決の為の手榴弾は無かった・・・

そんな中、一人、ふるさとの歌を歌いだした学生がいた。
「死ぬ」こと以外に頭に浮かんだことは、「お母さん」のことだった。

僕達が「死」に直面した時、頭に浮かぶことって何だろう?

自慢の愛車のこと?
何年もローンをして建てたマイホームのこと?
自分の地位や名誉のこと?
それとも、お金のこと?

僕は、何だろう、、、分からない。
でも、変なプライドが邪魔して、お母さんのこととはかけ離れたものかもしれない。

アフリカ人は、家族の繫がりがすごく強いと聞いたことがある。
特に、母と子の繫がりは強く、本当に心からの気持ちよい笑顔を見せてくれる。
でも、生活は苦しく、多くの人が1日1ドル以下で生活している。
紛争もまだ各地で起こっており、例えば、「水」が命取りにもなり得て、毎日のように「死」と隣り合わせの生活を強いられている。

僕達の社会は豊かだと言えるし、死と隣り合わせな状況ではない。
でも、僕達が住む社会は、母が子を、子が母を手にかける社会なんだ。

そんな社会に住むことが、必ずしも幸せだと言えるのかな?
果たして、平和と言えるのかな?
僕には分からない・・・

陸側からは米陸軍が、海側からは海軍が迫り来る浜のいわばで、生き残った人達は、岩陰に隠れて身を潜めていた。

「爆弾の破片で負傷して苦しんで死ぬより、直撃を受けて一思いに死にたい・・・」

でも、それでも、「最後には、日本が戦争には勝つ」と信じていた。

爆撃を受け、多くの死者、負傷者が出た。

生き残った学生は、血の海の中で放心状態だった。
もはや、涙も出なかった。

「米軍に捕まると、男はその場で銃殺され、女は辱しめを受けて戦車にひき殺される。」
「そうなるくらいなら、潔く自決せよ。」
と、徹底的に教育されていた。

どうして、米兵は私を放っておくのか?
なぜ、米兵が負傷した日本兵を手当てしているのか?

彼女は理解できなかった。

思想、教育によって、国がこれほどまでに悲惨な末路を辿ることもある。
歴史がそれを物語っている。

戦争を経験したことのない僕らには、到底想像も出来ないほどに悲惨だったのだろう。。。

絶対に風化させてはいけないと思う。

同じように悲惨な末路を辿ったドイツは、教育によって過去の過ちを風化させないように努力してきた。

しかし、日本は、この戦争のさなかに起きた住民の「集団自決」を巡り、日本軍の強制を示す記述を教科書検定で削った。

去年、シンガポールに行った時、一番の繁華街であるオーチャード通りを通った。

シンガポール人の友達は言った。
ここでは、戦時中、侵略してきた日本軍によって、大量の虐殺が行われたんだって・・・

僕は、その時、日本軍による東南アジアへの侵略が、シンガポールから始まったということさえ知らなかった。
そして、多くの日本人が、そんな歴史も知らずにその華やかな通りでショッピングを楽しんでいる・・・

僕達は知っておかなきゃいけないことが沢山あると思う。
政府が隠そうとするなら、それを暴くのは僕達民衆しかいない。

僕は、この映画に出てくる証言を聞いてる時、震えが止まらなかった。
誰も、こんな悲惨過ぎる戦争に巻き込まれたくないよね???

知っている人は知らない人に伝えていこう。
そして、みんなで力を合わせて取り組んでいこう。

「戦争のない未来」を積極的に創っていけるのは、やっぱり民衆の力でしかあり得ないと思うから。

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