日本の平和憲法が機能する条件

これまで、僕を含めた日本人の多くが平和ボケしているうちに、近隣諸国は着々と軍備を拡張してきました。
これからも、それは変わる気配がありません。

今に始まったことではありませんが、僕達は、既に近隣諸国からの攻撃の射程範囲にいます。

僕たちの国は「民主主義」の国であり、世界から尊敬されるような「平和憲法」を持っています。
だけど、今の日本でいくら平和を叫んだところで、近隣諸国からミサイルで攻撃されれば元も子もないのが現状です。

だから、こんなに難しすぎる状況下では、改憲や核武装の議論が出てきても全く不思議ではないんです。
来月には、ぎりぎりの選択を迫られるような場面が訪れるかもしれません。

単に平和を叫ぶだけでは不十分です。
具体的な裏づけも示せずに、キレイ事を並べてただ平和を訴えても、戦争や核武装肯定派の中傷の的になるだけです。

まずは話を聞いて、相手の主義主張を理解することが大切です。
その上で、建設的な議論をすることです。
感情的になって言い合っても、ただ溝は深まるだけです。

「戦争」自体に、良いも悪いもないと僕は思ってます。

過去の歴史を紐解いてみれば、戦争を起こさなければならなかった場面はいくらでもあったのだと思います。

コスタリカが直面した1948年の内戦もそうです。

当時、腐敗を極めていたカルデロン政権に言論弾圧を受け、メキシコに追放されたフィゲーレスが、社会民主党を組んで政権に挑み、選挙無効などの独裁的な手段に出る政権に対して武装発起しました。
内戦は6ヶ月ほどで終結し、約2000人の犠牲と引き換えに、コスタリカは、民主主義と軍隊を廃止する平和憲法を手に入れました。

僕は、この戦争については、肯定も否定も出来ません。

ただ言えることは、この約2000人の犠牲の責任は、コスタリカがこんなにもぎりぎりの選択を迫られるような状況になるまで放っておいた世界中の人々にあるということです。

幸運にも、僕たちの国には、平和憲法も民主主義も既にあります。
それらを勝ち取る為に内戦を起こさざるを得なかったコスタリカとは大違いです。

でも、今は「平和憲法」も「民主主義」も、ただあるだけです。
あるだけで、ほとんど機能していません。
僕達は、その掛け替えのない機能を尽く無駄にしてしまっているんです。

ノーベル平和賞を受賞したコスタリカのアリアス大統領の積極的な和平交渉は、グァテマラのエスキプラスで中米5カ国の大統領のサミット会議を皮切りに、政治犯の恩赦、グァテマラ、エル・サルバドル、ニカラグアの内戦の和解、外国からの反政府ゲリラへの支援の停止、ニカラグアの民主主義的改革と自由な選挙の準備などについて包括的な合意を得ました。

そのアリアス大統領を支持したのは他でもないコスタリカ国民です。
アリアス大統領が候補者として出馬した1986年の大統領戦では、アメリカからの関与のある軍備増強路線のカルデロン候補が選挙選を有利に進めていたそうですが、結果的に、非武装平和主義の維持をはかるアリアス(国民解放党)が勝利し、コスタリカ国民は非武装平和主義を貫く姿勢を示しました。

こうして民主主義を最大限に機能させ、政治を通して鍛えられた平和主義を世界に示すことこそが、非武装平和憲法を持続可能にするのです。

僕たちの国、日本は、果たして周辺各国に和平の為の十分な働きかけをしているでしょうか?
僕たち国民は、アリアス大統領のような積極的に平和への行動が起こせる政治家を育てる為の十分な働きかけをしているでしょうか?

個人的には、選挙に行かないなんてもっての他だと思います。
また、政治に関する議論を面倒だとか迷惑だとか言うのは、民主主義国家の国民として無責任だと思います。

自分に言い聞かせる意味でも、、民主主義の意味を個人レベルでもう一度問い直してみる必要があると思います。

そりゃぁ、誰だって平和な世の中がいいに決まっています。
戦争や核武装を肯定する人たちでも、実はそう思っているはず。

では、平和とは例えば何ですか?
まずはそこからだと思います。

コスタリカの人々は、50年も前に、このようなスローガンを掲げていました。

「兵士の数だけ教師を」
「トラクターは戦車よりも役に立つ」
「兵舎を博物館に変えよう」
「銃を捨てて本を持とう」
「トラクターはバイオリンへの道を聞く」

最後のスローガンは、「戦車はものを破壊するだけだが、トラクターで耕せば農民もやがてバイオリンを弾けるような豊かな生活をおくることができる」、という意味だそうです。

例えば、ある人にとっては「バイオリンを楽しめる世界」が平和なのです。
多分、平和の形って、人の数だけあるのだと思います。

「平和」という言葉をただ独り歩きさせるよりも、積極的に「平和」の形を示し、行動しましょう。

現状では、日米安保条約は、中身が飛び出さないようにする為の「瓶の蓋」の役割を果たしていると言われています。
つまり、安保体制が解消され、日本が軍事的に自立すると軍事大国化し、周辺の諸国にとっての脅威となる危険がある、そう思われているのです。

悔しいと思いませんか?
言ってしまえば、日本の平和憲法は、「条件付」だと思われているんです!

そう思われるのも、日本の平和主義が十分に鍛えられず、強い説得力をもって社会に浸透していないためなんです。

形だけの平和憲法があるだけでは意味がないのです。
国家によって平和主義が鍛えられてこそ、平和憲法が国際社会でも十分に機能するものになるのです。

この日本の平和憲法を生かすも殺すも、僕たち日本国民次第です。

今こそ、消極的な日本の非武装平和主義を、コスタリカのような積極的なものに転換するために、僕たち国民が行動を起こす時なのではないでしょうか。

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