リハビリが必要なのは、むしろ僕たち健常者の方なのかもしれない

先日、NHKのNHKプロフェッショナル仕事の流儀という番組で【これが介護の最前線!200万人以上の認知症笑顔を守る秘密とは?覚悟の男、涙の訳】という回を見た。介護福祉士である和田行男さんの現場での奮闘が描かれていて、とても考えさせられた。topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-564…

この和田行男さん、番組の中で本気で悔し涙を流していた。彼の悔し涙は、映画「セヴァンの地球のなおし方」で、セヴァン・スズキが流していたものと似ていた。理想が先行しているけど現実が追いつかない時に、悔し涙って出るのだと思う。ただ、そういう時って、成長のスピードも早いはず。

和田行男さんは、運営するグループホームで、認知症のお年寄りの尊厳を守るために、夜間以外は鍵をかけないなど、行動を出来るだけ制限させないようにしている。これは、認知症のお年寄りに大しては大きなリスクになる。この点、本当に微妙な問題で、ジレンマだと思う。

認知症の方の介護と言えば、まだ「閉じ込め」をはじめとする「行動の制限」が主流だと思う。障がい者つながりで、精神病の方への対応はもっと酷い。「行動の制限」に加えて「薬付け」にされ、施設に入院すると、「モノ」のように管理されることがあるらしい。

べてるの家のメールマガジン 「ホップステップだうん!」の第006号に載っていた中尾利佳さんの精神病の施設での体験は酷かった。まるで刑務所だった。薬を飲む時も、入浴の時も、看護師の監視下で集団で一斉に、又は並んで行われるらしい。一日も早く出られるように、調子の良い姿を演じる。

中尾利佳さん「たとえ、どんなに私が人間的に優れていて、東大に合格できるような学力なんかがあったとしても、精神病者になると、少なくとも十数年前に私が受けた医療現場では、医師や看護師、その他専門家という上に立つスタッフと、見下される暗愚な患者、という構図に追いやられてしまうのです」

病院でも職場でもどこでもそうだけど、人間を「管理対象」として見ることは、人間の本来の可能性の否定につながると思う。他人を管理(支配)しようとしても、結果的に思い通りにはならない。抵抗されるか、奴隷のようにしたとしても、社会は住みにくくなる一方になる。

障がい者の方たちの自立を阻んでいるのは、周りの健常者たちの「余計な行動」なのかもしれない。「過剰に介入する」のもそうだし、偏見や先入観から「関わらない」というのも余計な行動だと思う。あくまで、患者の「当事者性」を尊重し温かく見守ることが大事。

リハビリが必要なのは、むしろ僕たち健常者の方なのかもしれない。

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