「ゲイ」について考えてみた

アメリカに来てから、僕の取り巻く環境に、ゲイの人たちが増えていった。日本のゲイの友達とも未だにSkypeで話すし、近所でSGI入会希望だったゲイの人の紹介者なったり、SGIオレゴンの前リーダーもゲイだったし、ポートランド市長もゲイ。同じベッドルームをシェアしてるルームメイトもゲイ。

ゲイの友達の多い男性は結構な確率でゲイだということを聞いたことがある。自分はゲイではないと思うけど、もしかしたらそうかもしれない。自分では分からないので、すごいエネルギーを傾けて否定する気もさらさらない。

去年、家賃を抑えるため、同じベッドルームにルームメイトを招いた。彼がゲイだと言うことは、彼をルームメイトに決めた後に知った。彼は鳥の胸肉など筋肉を付けるためのものばかり食べる筋肉質の人。か弱い僕が襲われたら、ほとんど何も抵抗出来ないでしょう。

人によっては、この時点ですぐに出ていくかもしれませんね。でも、僕の場合は、ゲイだろうと問題ありませんでした。ほとんど抵抗が無かった自分にむしろ驚きました。

ベッドルームをゲイの彼とシェアするにしても、僕に近寄らなければいいかって?全然そんなことなくて、むしろもっと仲良くなりたいですね。「人間」としてみれば、何てことない。

じゃぁ、僕を好きにならなければいい?それもそんなことなくて、こんな僕でいいなら好きになっても全然構わない。ゲイの人はゲイの恋人を捜す傾向があるかもしれないけど、ストレートの男性を好きになって何が悪い?むしろ、それを迷惑がる人の方がどうかと思ってしまう。

じゃぁ、自分がゲイにならなければいい?僕は、将来、同性が好きになる可能性もあると思っている。自然にそうなるならそんなに抵抗はない。さすがに強制的にされるのは嫌だけど、いろんな可能性があっていいと思うんだ。

ゲイの人たちには特に気を遣うべき?必ずしもその必要はないと思う。例えば、僕の部屋は4人で家賃を平等に負担しているけど、ゲイの彼はボーイフレンドと共有スペースのシェアを脅かし、ベッドルームまで許可なしに私的に使おうとする。何度言っても聞かない。そういう時はムカついてたり嫌いになったりして当然。

こうやって、ゲイの人といえども自然に接すれば何てことない。自分がゲイではないということを証明するためにエネルギーも使わない。疑いたい人は疑えばいい。真実は変わらないし、それ以前に、ゲイになることが必ずしも悪いことだと思っていない。

映画「Milk」を観たり、アメリカのゲイの街を訪れたり、SGIとしてゲイ・プライド・パレードに参加したり、元々関心があるのだけど、それ以前に、「人間」としてみれば、ゲイということだけで、感じることや好きになること、法的に出来ることに制限が出来てしまうことに、僕はとても違和感を感じる。

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