自信を与えるか、自信を奪うか

日本の一部の人は、もの凄い勢いで人の自信を奪おうとするね。傲慢は良く無いけど、人間、自信を持つ事は必要なのに。個人的には、そんな愚かな人に何を言われてもカチンともこなくなったけど、やっぱり傷つく人はいる。自信を失うと、本来の力なんて出せっこないんだ。結局、みんなが損をする。

そうやって、社会の中で人々に自信を失わせる風潮(プレッシャー)を作っておいて、落ちこぼれていった人を「自己責任」と言って容赦なく切り捨てる。最低のことだと思う。

「自信」とは、「自分の力を信じられること」。今現在の実力が伴っていなくても、自分の潜在能力や可能性を信じられるのならば、自信を持つ事は十分可能だと思う。だとすると、一番大事なのは、自分の潜在能力や可能性をどう捉えるか。過小評価したらきっと損だ。

「どこまで自信が持てるのか」がとても重要な問題なような気がしてきた。「今何が出来るか、何を持っているか」なんかよりずっと重要なはず。

「自信」を持つことで、あらゆるものごとに向き合う姿勢が変わる。「自信」は「傲慢」と紙一重で、注意が必要だけど。

たまに、自分が10人いたら環境も組織もコミュニティも良く出来るのになと思う事がある。多分、これには「自信」と「傲慢」が入り交じっている。確かに、僕が複数人いればある程度は良く出来る自信がある。だけど、他人の可能性への軽視と多様性のダイナミズムへの無知による傲慢さがある。

「自信」と「傲慢」は紙一重だけど、「自信」なのにただ「傲慢」と取られる風潮がある気がするし、何事にも動じないような揺るぎない自信を持っている人は、大抵、臆病で愚かな人に何らかの嫌がらせを受けているような気がする。

「謙虚じゃない」といって自慢もさせないということは、その人から「言葉」を奪うことでもあると思う。そうやって「言葉」を失って精神が病んでしまう人は沢山いると思う。

日本社会には、「生意気だ」とか言って「自慢」させない無言の圧力が渦巻いているように感じる。そこまでして謙虚になる必要があるのか?自慢出来ることなら、思う存分させてあげよう。それを素直に祝福してあげよう!自分が自慢したい時にしにくいのは嫌でしょ?

何度も言うように、「傲慢」と「自信」の線引きは難しい。ただ、自分の発言や行動により他人の自信を奪うことが結果的に自分の損だと分かっていれば、意図的な悪意や自分の気分で他人の自信を奪うような愚かなことはしなくなるはず。その辺りの因果関係をもう一度見つめ直すことは大事だと思う。

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