「対話」に関するつぶやきまとめ

過去に「対話」関連でつぶやいた内容を再構築して一つにまとめました。(つぶやき間の関連性は薄い場合があるので悪しからず。)

(1)僕は対話の達人でも何でもない。ただ対話の重要性を認識していて、うまく出来るようになるように学び、実生活で訓練しているところ。現状ではとてもひどい状態だということは自分で認識している。

(2)人と人との間にある「不信感」は、「対話」によってしか解消されないと思う。間違いを指摘してくれ、対話をもちかけてくれる人は宝だ。逆に、どんな状況にあっても、自分もそうありたいと思う。

(3)「不信」は、僕らをネガティビティで覆い、共に達成したことや歓喜したことを忘れさせる。「対話」は、それらを取り戻し、信頼関係を再構築するプロセスでもある。

(4)「何か言わなきゃ気が済まない」という感じで、ネット上で周りの迷惑も考えずにでしゃばり続ける人って、恐らく、「自分が正しいと信じて疑わない人」ですね。そういう人とはネット上での対話も議論も不可能だと改めて思いました。やはりネット上では人を選ばざるを得ないですね。

(5)自分の思考は柔軟だと信じて疑わない人ほど、考え方が凝り固まっている場合もあるかもしれない。本当の思考の柔軟さとは、批判を快く受け入れ、根気の良い地道な対話によって自分を向上し続けられる人を言うのだと僕は思う。

(6)議論において、特定の誰かに誠実になりすぎれば、他の誰かに不誠実になる場合がある。こう考えると、議論の中で、必ずしも対話が成り立たないのではないかと思った。議論は、誠実さより、もっとさばさばした公正さが重要視されるべきなのかもしれない。

(7)同じ土俵に立てなければ、対話ってうまく機能しないんじゃないかな。学び合い、助け合い、苦楽を共にし、共に向上していこうとする姿勢。

(8)対話で大事なのは、言語や理解力より、「対話する姿勢」だと思う。 本当の意味で「相手を尊重する」こと。相手の潜在能力や可能性を少しも過小評価してはいけないと思う。全然出来てないけど、僕の人生のテーマの一つでもある。

(9)やむを得ず敵対してしまったような状況でも、あくまで誠実で公正に、また建設的に対話を心がけること。今の僕にはとても出来ないな…

(10)アメリカから帰国して地元平塚で共同体開発をするにしても、どの分野をやるのかは決めていない。個人的に「やりたいこと」はあるけど、その地域に「必要なこと」を導き出すために、地元の人々の中に入って対話活動をすると思う。

(11)恐らく、地元平塚には問題が山積している。だから、地元の人たちとの対話運動の中で各分野での活動家を発掘し、僕はそれぞれの超強力なサポーターになりたい。「志はあるけど一人じゃ始められない」という人は沢山いるはずで、そういう人をサポートするだけでいろんなことが動き出すはず。

(12)日中問題について、国家レベルでのマクロのやり取りではもはやどうしようも無いことはみんな納得していると思う。だったら、僕たち国民ひとりひとりが外交官としての意識を持ち、中国の人々とのミクロの対話運動を起こさないかい?

(13)「テロとは断固戦う」ということは、「敵と対峙する」というより、相手に積極的に対話を持ちかけて「共生の道を探る」ということではないだろうか。

(14)うつ病で一年半近く部屋に引きこもり入院も経験した友達が、アルバイトの契約延長を達成しました!(祝)ずっとSkypeで対話してきて、無理して続けさせようなんて思ったことはないけど、彼は自発的にここまで辿り着き、これからも歩みを止めないようです!

(15)「降りてゆく生き方」は、ハリウッド的に派手で一方通行で上映するアプローチと違い、地域の人が手作りで上映会を企画し、作り手たちとの対話型の上映のみでテレビ放送もDVD化も考えてないそうです。映画作りも地元の人たちの参加型で行われました。 http://bit.ly/1nXdph

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