映画「The Oil Factor」と「損得勘定」について

先日、オイルに関する真実を描いたドキュメンタリー映画「The Oil Factor」を観た。
この映画のウェブサイトのトップページには、以下の3つの真実が書かれていた。

Today, 6.5 billion humans depend entirely on oil for food, energy, plastics & chemicals.
(今日、65億人もの人が、食料、エネルギー、プラスチック、そして化学薬品を得る為に、完全にオイルに頼っている。)

Population growth is on a collision course with the inevitable decline in oil production.
(避けられないオイル生産の低下とともに、人口増加は不調和の軌道上にある。)

George Bush’s “war on terror” happens where 3/4 of the world’s remaining oil and natural gas is located.
(ジョージ・ブッシュの「テロへの戦い」は、世界に残るオイルとナチュラルガスの3/4が位置する場所で起こった。)

個人的には、この「テロへの戦い」と「オイル」との間には確実にリンクがあると思う。
「オイル」を巡って起された戦争があるということ。

そして、そういった戦争と僕たちの間にもリンクがあると思う。
それは、僕たちがオイルの需要を生んでいる一要因であるという事実。

また飛躍し過ぎと言われそうだけど、直接ではないとはいえ、僕たちはオイルに依存し続けることによって、そういった戦争に加担していることになる。
そう認めてしまう利点は、納得して自分の行動を変えるきっかけに出来るということ。

残念ながら、人々にいきなり「ボランティア精神」を要求して行動を変えさせることは、それこそ理想論に過ぎないと思う。
僕が言う「損得勘定で行動を変える」こととは、例えば、そういった気付かずに損していることを徹底的に洗い出して、行動を変えるということ。

自分が損をし続けている状態を喜んで放っておく人は、恐らくいないと思う。
自己中心的な人でも、損をしているとなれば、行動を変えざるを得なくなるはず。

「損得勘定」と聞くととても聞こえが悪いけど、とても合理的な考え方だと思う。想像力が限定されて物事の間の関連性や因果関係が見えてないと、自己中心的な範囲で終わってしまうけど、この世界で起こる事象と自分との関係を広く深く突き詰めていけば、その損得勘定は全く違うものになると思う。

だから、自分を含めた人々の行動を変えるきっかけとして、この世界で起こる事象と自分との関連性を学んだ上での、この洗練された「損得勘定」が、有力な候補の一つだと思う。

おまけとして、関連する映画「The End of Suburbia」について書いた日記を再掲載しておきます。

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The End of Suburbia

以前、大学の授業で、The End of Suburbiaという映画を見た。
この映画は、ピークオイルを迎えオイルが枯渇した時に起こる、アメリカン・ドリームである「郊外での自動車依存の快適な暮らしの終焉」を描いたドキュメンタリー映画だ。
この映画を見れば、今何が起こっていて、これからどうなるのか?が見えてくるかもしれない。

世界の一部の人たちは、極端なオイル依存社会を築くために、産出量の多い地域から大量にオイルを仕入れている。
そういった産出地が潤っているということは、既に、オイルのために莫大なお金がそちらに流れているということだ。
さらに、莫大な補助金(元は国民の税金)をかけることによって、当たり前のように、水より安くオイルが手に入るようになっている。

当然、オイルは有限であり、いつまでもこの状態は続かない。
この状態を少しでも長く維持するために起こされた戦争も、確実に存在する。

最近、この映画をレンタルして、ルームメイトに見てもらったら、相当恐がってたようだった。
これは、そんじょそこらのホラー映画より恐いかもしれない。

映画に出ていた一人のスピーカーがこういっていた。
“Reality is bad for business.”

「現実はビジネスの敵だ」、みたいな意味だと思うけど、本当にそのとおりだと思った。
だから、ビジネスは、あの手この手で、民衆を現実から遠ざけようとする。
現に、メディアも、人々を現実逃避させるものばかり取り扱っている。

逆に言えば、ビジネスが好むのは、民衆の無関心だ。
何も考えずに、自分たちの商品を買ってくれればそれでいい。
「不都合な真実」という映画があったけど、ビジネスにとっては、現実は不都合でしかないんだと思う。
そうすればするほど、民衆は、現実を知るのを恐れて無関心でいようとするようになる。

一人の作家が面白いことを言っていた。
正確ではないけど、こんなことだった。
「今は全国・世界規模の出版社に依存して世界的に本が流通しているけど、オイルがなくなったら作家という職業自体が成り立たなくなるかもしれない。そうなったら、地元の新聞でも出版するよ。」

これは、オイルが無くなって、全国・世界規模の流通が出来なくなっても、地元の範囲だったら、地元の資源とエネルギーを使って出版が出来るということだ。

先が見通せている人は、こうやって楽観主義でいられるんだと思う。
実は、僕も、自分の将来的な展望については、かなり楽観的でいられる。
6年半も勤めた会社を辞めて、それまでのキャリアを捨てて、30から学生として新しい道を歩き出した訳だけど、不思議なことに、働いていた時より将来の不安は劇的に少なくなった。
今思えば、あのまま同じ会社で仕事を続けていても、今の経済恐慌でどうせ首になっていたかもしれない。
そう考えると、そうなる前に思い切ってスイッチを切り替えたのは、正しい判断だったのかもしれない。

でも、目の前のことしか見えていない人は、今の仕事が首になったら終わりだって思ってしまうかもしれない。
そのためか、僕が車中心社会や郊外の快適な暮らしへの批判をして、その流れを変えるいろんな提案をすると、すごい勢いで反発してくる人たちがいる。

例えば、親戚で、自動車製造業をしている人がいる。
従姉妹にあたるその娘が、すごい勢いで「父親の仕事を奪わないで」ということを言ってきたことがあった。
車好きな人や運送業をしている人などからもこういう風に言われることは数限りないのだけど、もちろん、僕は、ただそういう人から仕事や楽しみを奪うために言っているのではない。

いずれ、そういう経済構造が終焉を迎えるなら、その時へ向けて、もっと違う可能性に目を向けて欲しいだけだ。
実は、いずれ終焉を迎えるオイル依存社会やグローバリゼーションから降りてしまえば、もっと安定した、人中心の本
当の意味で快適な暮らしが待っていると僕は思う。

僕には、その関連性が見えるから、楽観的でいられるのかもしれない。(もちろん、うちの家族のバックアップがあるということもあると思うけど・・・)
これは、決して現実逃避をしている訳ではなくて、本当の意味で現実を直視している状態だと思う。

人々が抱える恐怖や不安がどこから来ているのか、その根っこを突き止めれば、きっとスイッチを切り替えることが出来る。
もちろん、そういった恐怖や不安が無くなることは無いと思うけど、スイッチを切り替えるだけで、人は、そういったものを恐るるに足りないものに出来てしまうものだ。

僕も、ある程度楽観的でいられるといっても、もちろん、具体的に将来どうなっているのか見えていない部分もある。
だから、オイルが枯渇し、「郊外での自動車依存の快適な暮らしの終焉」が来た時、自分たちが何をしているのか、など、みんなと話をしていきたいなと思う。

The End of Suburbia
http://www.endofsuburbia.com/

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