楽観主義になれない自分

僕は、「楽観主義」というものについて、「楽観主義の人が取る行動」について、良く知っているつもりでいる。
でも、知っているだけで、やっぱりそうなれない自分がいることに気付いている。
楽観主義への具体的な道を拓く為に、今、自分がどういう状態にあるのかをまとめておこうと思う。
何かしら書き続けないと、リズムがおかしくなるし…

「楽観主義の人」は、「どんな状況にあっても迷うことなくベストを尽くせる人」だと思う。
今、それが出来ていないことに自分で気付いている。

僕の迷いは、1年後に何をしているべきかについて。
僕は、最終的には日本の地元に戻って活動しようと思っている。
これまでは、大学院で後二年ポートランドで学ぶ予定でいたけど、そうすると帰国が35歳の時になる。
大学院でより高度なことを学べるとはいえ、残りの青年と呼べる時代をアメリカで過ごすのか…
それとも、一刻も早く地元に戻って活動し始めるのがいいのか…

元々、どちらを選択するにしても、今出来る最高のことは、迷うことではなく、大学院出願の準備に専念することなんだ。
なぜなら、大学院に受かったとしても、選択肢が多くなるだけで、後者の方が良いと判断すれば、日本に帰って活動することも出来る。
それに、大学院に受からなかったら、きっぱりと諦めて日本に帰れるから。

それなのに、何故、僕は迷って立ちすくんでしまっているのだろう?

恐らく、「日本に帰る」という選択肢が、僕にとって都合の良い逃げ道になり始めているからだと思う。
というのは、資金の面もあるのだけど、僕の狙っている大学院のプログラムは相当ハードルが高く、近日中に、教授やインターンシップ先のマネージャーに推薦状をお願いしに行かなければならない。
いいことを書いてもらう為に、戦略的で根気づよく当たっていかなれば失敗するかもしれない、というプレッシャーがあって、尻込みしてしまっている。

僕が「楽観主義の人」であれば、迷うことなく、ダメ元で当たって砕ける覚悟で大学院の出願準備を進めているはずなんだ。

個人的に、この間、10時間唱題(南無妙法蓮華経の祈りを10時間続けること)を達成したけど、その後から生活のリズムが崩れ、寝不足から頭が回らず、思い通りにいかないことが多く、不安や迷いが増大した。
今、僕はその状態にある。

元々、唱題したからって、自分にとって都合の良いことだけが起こる訳ではないことは自分の体験からも理解している。
むしろ、6年くらい前に唱題し始めて、悪いと思えることが格段に多くなった。
でも、そういった悪い出来事を乗り越えた後に、それらが自分にとって必要な障害だったということに気付けたことも沢山ある。
だから、唱題することは、僕の勝手な都合とは関係なく、僕に必要なことを引き出させてくれることなんだと思えるようになった。

だから、今回も、結果を見てみたいと思う。
もしかしたら、今の状態が結果に過ぎないのかもしれない。
だけど、もしかしたら、今僕が経験している悩みや迷いは、本当の意味で楽観主義になるための布石で、必要があって用意された障害なのかもしれない。

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