不思議なこと

 

僕はこの映像を見て、いろんなことを考えました。
まずは、「障害を持って生まれることは、不幸でしかないのか?」ということ。

“I Love Living Life. I Am Happy”
と、彼は言います。

障害を持った彼が、何故そこまで言えるようになったと思いますか?
嘘くさいと思いますか?
僕は、彼の気持ちが100%分かる訳ではないけど、十分有り得ることだと思います。
彼は、そこまでの境地に行き着く重要なプロセスの一つを経ていると思えるからです。

それは、果てしない絶望を経験すること。
僕には、彼のような障害を持った人生の苦悩など、到底想像出来ません。
文字通り、果てしない絶望の連続だったんだと思います。
そこまで不公平な形でこの世に生を受けて、それを受け入れることなんて、本当に至難の業でしょう。

ある意味、彼は好運だったのだと思います。
それは、自分の意志では無かったと思うけど、それだけの絶望を経験するチャンスを持てたからです。
五体満足で普通に生活出来る僕らには、そんな絶望的な状況に身を投げるなんて、到底出来ませんよね。
失ってしまえる物が多すぎて、それらを失わないように大切に抱えているだけで、何も出来なくなっているんです。
だから、彼のような境地に行き着くのに、果てしない絶望が必要だとしたら、何不自由無く暮らせる身では、実は不利でしかないのかもしれないと思ったりします。

また、彼がその絶望を乗り越えられた原因の一つに、やはり信仰があると思います。
恐らく彼はキリスト教を信じていると思いますが、今の彼の境涯に、その信仰が著しく影響していると思います。
一神教で排他的だとか、外道だとか言っても、やはりしっかりと効き目はあるんだと思います。
それは、思想や哲学の力に加えて、宗教のコミュニティの生み出すソーシャルキャピタルの影響力からも、十分説明がつくと思います。
だから、僕は、キリスト教やイスラム教が及ぼす人々への影響も十分に認めています。

だからと言って、信仰を持っていれば、自動的に彼のような境地に行き着ける訳ではないと思います。
この宇宙は、浅はかな人間の都合のいいようには出来ていません。
信仰を持てばそれだけで賢くなれるなんて、そんなインチキな話は無いと思います。
信仰を持とうが持つまいが、やるべきことをやって、減るべきプロセスを経ないとだめなんです。
信仰を持つ僕でも、信仰はそれだけでは絶対ではないということは言えます。

そのやるべきこと、経るべきプロセスが何なのかは、今の僕にも分かりません。
正しいと信じる信仰を持っていても、そこまで具体的なことは分からないんです。
ただ、浅はかな自分の都合のいいようには事が進まない、ということだけは分かってきたような気がします。
それだけ、僕には、この宇宙に存在する法則が不思議に映るんです。

もしかしたら、臆病な僕が、意識的にも無意識的も避けてしまっていることが、そのやるべきこと、必要なプロセスにあたるのかもしれません。
それは、本当の意味で絶望を経験すること…
比較的裕福な家庭に生まれて、何不自由なく生きて行ける僕には、限りなくハードルの高いことです。
そう考えると、何不自由無く生まれた僕は、果たして本当に幸せだったのか?と考えざるを得なくなります。

この世の中は本当に不思議ですね。
今の世の中の一般常識的に考えたら、僕は相当変な事を考えていると思います。
考えてるだけで、答えは分からないんですが。
でも、少なくとも、この映像のニックさんは、僕よりその答えを鮮明に知っているでしょう。
恐らく、身をもって知っているんです。
何故かと言えば、恐らくそれを知れた原因の一つは、彼が障害者だったからなのでしょう。

やっぱり、いくら考えみても、浅はかな僕にはこの事が不思議に思えてなりません。
でも、こういう可能性に目を向けると、そういうことになかなかかすりもしない人間社会の常識とはどこから来るんでしょうね。
宇宙的な視点から見たら、今度は、その人間の愚かさや無知さが不思議に映るのかもしれません。

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