【読書2】「オープンダイアローグとは何か?」を読んで

「オープンダイアローグ」という言葉と概念に1年ちょっと前に出会った時の衝撃を今でも覚えている。べてるの家のメールマガジン「ホップステップだうんVol.049」で初めて見て、その時に書いたブログが以下の記事だ。

「オープン・ダイアローグ(開かれた対話)」が病んだ社会の処方箋になる

このオープンダイアローグは、精神障がい、特に統合失調症で苦しんでいる人たちに素晴らしい効果を生むと確信した。僕は精神障がいの専門家でも何でもないけど、統合失調症やうつの友達や幼馴染と向き合ってきた経験からそう言える。

統合失調症の治療の主流は薬物療法や入院治療だ。幻覚や幻聴などの症状を薬や物理的に拘束して抑え込むということ。このオープンダイアローグでは、それを対話の力で解決してしまおうという試み。「対話」には、薬物や入院以上の可能性が秘められているのだろうか?

この本の著者+訳の斎藤環さんは、2013年からこのオープンダイアローグに魅了されているらしく、この本に収録されている海外の関連論文も含めた多くの文献を読み漁り、精力的に動いてこの本を短期間で出版までこぎつけたそうです。(斎藤環さんは2008年頃から個人的に注目してました。参考:変われば変わるほど変わらない人

まず、治療の成果の統計を見て驚いた。
これは、オープンダイアローグを実践するフィンランドの西ラップランドでの統計結果。

オープンダイアローグの患者は入院まで至る頻度が低く、対照群の患者の100%が投薬を必要としたのに対して、抗精神病薬を必要とした患者は35%でした。2年間の追跡調査では、対照群の50%に症状が残っていたのに対して、オープンダイアローグに参加した患者では82%が精神病の症状がまったくないか、きわめて軽微で目立たない程度でした。

この統計結果が本当だとしたら、ものすごい大発見だ。

また、ケロプダス病院では、職員全員がセラピストとしてのトレーニングを受け、チームでオープンダイアローグを実践することで、スタッフの職場定着が促進されているらしい。対話自体が、スタッフのメンタルケアや正常化に役立っているのかもしれない。

 

オープンダイアローグの肝は以下の3点らしい。

  • 不確実性への耐性
  • 対話主義
  • 社会ネットワークのポリフォニー

この3点について、以前学んだことの中からそれぞれ感じることがあった。

  • 不確実性への耐性
    これを聞いてピンと来たのは、「セレンティビリティ」とか「偶有性」という概念。「不確実性」とか「想定外」をポジティブに考えるということ。こういった「あそび」のような余地を残すことにより、「狙い通り」よりも良い結果が得られるかもしれない。
    オープンダイアローグも「予定調和」とは正反対で、「想定外」を当たり前のように受け入れ、肯定的に応答することで未開拓で誰も想像成し得なかった良い結果を導くことを狙う対話手法なのだと思う。

参考:セレンディピティ(SERENDIPITY)という概念に限りない希望を感じる理由

  • 対話主義
    「対話」というものは個人的にとても興味のあるもので、日常生活の中でも試行錯誤しながら実践して自分なりに研究している分野。
    対話とはディベートとは違い、勝ち負けのないもの。対立する必要も相手を言い負かす必要もない。むしろ、お互いの良いところを引き出すための雰囲気作りとか、自分の主張を抑えて傾聴に徹することも必要になる。
    この本には、「病的体験を言語化することが、なんらかの治療的変化につながることがある」と書いてある。自分の特異な体験を言語化出来ず、誰とも共有出来ないことが、どれだけその人を精神的に圧倒していくかということだと思う。
    また、「対話が目指すのは、患者の病的な発話のなかに潜んでいる、メンバー間で共有可能な発話を導き出すこと」とあり、対話に参加している治療チームは、傾聴に徹し、出来る限り開かれた質問を投げかける必要がある。
    この「質問の質」についても、以前、ブログに記事を書いたことがあった。

参考:対話の能力は、質問の質による

  • 社会ネットワークのポリフォニー
    ダイアローグ(対話)って、個人的なイメージでは、1対1でするものだと思っていた。だけど、このオープンダイアローグは複数人で、しかも、関係者が全員集まってするものらしく、かなりの人数で対話をすることになる。個人的な体験からも、1対1の対話に限界を感じる場面が多かったので、この機に複数人で対話の可能性についても考えてみたい。
    そして、みんなが集まらない限り、何も決められないことになっている。それ以前に、この対話の目指すところは合意を得ることではなく、封じられていた言葉を解放し、新しい意味として参加者全員が共有し、それぞれ自分の中で昇華していくことにあるのだと僕は解釈している。その為に、どんなに病的な発言に対しても受け止め、尊重し、丁寧に応答することが必要になる。
    対話は未完成なままずっと継続していくことになる。合意も決意も出来ないかもしれないが、参加者の間にくすぶっていたわだかまりやトラウマ、素直に言えなかった言葉などが適切に処理され、それぞれが自己完結のプロセスを踏むことが出来る。合意や結果は目的ではないが、結果的に副産物としてもたらされることになる。
    対話という場ではないかもしれないけど、会議の場における「ファシリテーター」というような役割の人が参加する対話の場がオープンダイアローグなのかもしれない。

参考:理想の経営(5-2)ファシリテーション・フォロワーシップによる経営革新

冒頭にも書いた通り、個人的にこのオープンダイアローグに大きな希望を感じている。

ただし、統合失調症などの治療のケースには、当事者の親族や直接の関係者以外は、やはり有給スタッフの対応が必要だと思う。それは、訓練されスキルのある専門家の方が良いっていう面もあるけど、やはり無給のボランティアで関わるには荷が重すぎて、モチベーション維持が困難だと思うから。

とは言っても、オープンダイアローグが必要なのは、何も統合失調症などの精神障がいの場合だけじゃないはず。僕たち一人一人が日常生活の中で少しずつ意識して実行していくだけで、重い精神障がいになる人が減るはずだし、自殺者だって減るはず。

そういう後ろ向きな面だけじゃなくて、自分が軽く見られ軽く扱われていると感じたり、誰にも声が届いていないという孤独感に落ち込んでいる人などが、オープンダイアローグによって当事者性や自分の「封じられた声」を取り戻すことによって開かれる可能性や積み重ねられる社会へのプラスの影響も無視してはいけない。

僕がこの分野にこだわって深く掘り下げて研究しているのは、自分も予備軍だと思うし、日本でも社会に根深く残る問題だと思うから。心に蓋をして言葉を封じてしまっている一人として、自分を含めた苦しんでいる人たちに、このオープンダイアローグのような居場所を一つでも多く創り出せるように頑張りたい。

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