「コミュニティ」としての集合住宅を考える

今夜は、近所の高級アパートで開かれた、住人のバンドによるライブを少し観に行ってた。アパートの一階部分はほとんどが共有スペースで、防音加工もされているので、普通にライブハウスにもなる多目的スペース。ライブを見ていて、集合住宅という「コミュニティ」が活きているなと感じた。 

「集合住宅」って列記としたコミュニティだと思う。そのコミュニティが活きているかどうかの問題。日本の都市部では、集合住宅の住人同士の関係は希薄になり、コミュニティとしての意識はほとんど無いと思う。それでいいと思えばいいのかもしれないけど、コミュニティは活かした方が確実に得になる。 

集合住宅としてのコミュニティが機能しないと、無駄が多くなるということ。各家庭が、違うようで同じようなモノを持ち、違うようで同じようなサービスを持ち、違うようで同じような行動を「別々に」するということ。住人の間で共有したり交換したりして、ニーズが一致するケースは必ずあるのに。 

このコミュニティとして機能していると思える集合住宅の形の一つに、「コレクティブハウジング」がある。住人自らが話し合って決めた共有スペースを活かし、所有物やスキル、行動パターンや要らないモノ•欲しいモノなど、住人の間でダブっていたりニーズが一致するものは、効率的に処理される。 

「コレクティブハウジング」は、必ずしも新たに作るものではない。既存の近所の一角をコレクティブハウジング化することも可能。だから、僕たちがそれぞれ住んでいる場所で、今すぐ始めることも出来るということ。 

今いる場所をコレクティブハウジング化するとしても、建物とスペースの整合性が保てていなくても問題なし。その範囲の住民が集って、スペースや建物、スキルやその他リソースを駆使•再配置し、みんなにとっての暮らしの向上を住人の合意ベースで実現させていけばいいだけ。 

如何なるコミュニティでも、その持ち味を発揮させるには「政治的」にならざるを得ない。僕たちの限られた生活範囲でも、実は、いくつものコミュニティと密接に関係していて、その都度、政治的なやり取りをしている。それを意識せずに結果的に放棄してしまうと、それだけ損をすることになる。

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