「甘ったれは軍隊にでも行って根性を叩き直せ」ってのは実はよくわかる。軍隊である必要はないけど、何らかのサバイバルな過酷な体験をするといいと思う。自分の経験からも。批判を恐れず言うと、ニートやひきこもりの人はもちろん、依存性やうつの人も含め。

家から放り出されて、頼れる人もいないまま、放浪の旅を続けるとか。そういうサバイバルな体験をしてると、自分のちっぽけな悩みなんてすぐに忘れてしまうと思う。そのかわり、人間にとってのもっと本質的な壁にぶち当たるのではないかと思う。

そういう時に必要な環境とは、さらに手厚く護られた環境では必ずしもないはず。自己責任的な表現に聴こえるかもしれないけど、それはある程度命の危険と隣り合わせのサバイバルな環境かもしれない。この場合、本人のためを想い積極的に用意する環境なので、自己責任論的な突き放しではないと思う。

なかなか自分の力ではそんな状況に自分を追い込むことは出来ないものだけど、一度でもそういったサバイバルな体験をしてみれば、人生が変わると思う。まさにブレークスルーってこと。僕にとっても、2005年にしたはじめての過酷すぎるアメリカ縦断一人旅がブレークスルーになったと思う。

自転車で、変人だと思われるくらいの距離を旅してみてもいいと思う。僕も、平塚から仙台まで往復してみて、あれは本当にサバイバルだと思った。軍隊に入ったことはないけど、多分それに近い過酷さだったと思う。物理的に命の危険と常に隣り合わせだった。平和な日本にいても、そんな体験は十分出来る。

うつでひきこもりの友達と、4年くらいスカイプで話しているけど、その経験から僕なりにそういう結論を出した。過保護なのは絶対に良くない!放り出すことは、必ずしも無関心になるということではなく、温かく見守る放り出し方もある。

常に死を意識せざるを得ない環境って、実は人間にとって自然なものなんだと思う。逆に、日本の一般の守られすぎた環境って、むしろ人間にとって不自然なんじゃないかと思う。

うつ気味のか弱い消極的な人間だったけど、自分は変われた。自分が変われたってことが、今うつでか弱く消極的な人たちも変われると信じられる理由になってる。サバイバルを経験して見事に生き残り、人生を自分の力で変えていける強さを持てるようになると信じている。保護者が、そう信じられるかどうかの問題なんだと思う。

「サバイバルのすゝめ」ってタイトルで本でも書いてみたいな。冗談ではなくて。

サバイバルをするのに、原発を再稼働させず、化石燃料の消費量も増やさない、とか、仮想水を含めた水や食糧を輸入しないとかでも出来ると思う。サバイバルするのをそんなに極端に怖がることはないと思うんだよね。

僕たちがサバイバルを避けつづけることによって、どこかにしわ寄せがいって、結果的にさらに過酷なサバイバルを強いている可能性が高い。