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「固定観念」について

「固定観念」についてのツイートを掘り出してきました。 

僕の価値観は絶対では無いけど、そもそも、「中古より新品がいい」とか「プライバシーが守られ、プライベートな空間が多い方が幸せ」とか、「企業に勤めて経済的に自立していれば一人前」という感覚に対して、当たり前すぎて何も疑いがないとしたら、それこそ盲信の可能性がある。 

偏見かもしれないけど、固定観念で嫌いなのものに「ブランドものの新品がいい」ってのがある。個人的に、Goodwillで買ったものは、値札をそのまま貼ってGoodwillブランドとして使っている。Goodwillとは、ゴミ同然の寄付されたものを中古で安く売り出す非営利団体。 

べてるの家の取り組みは、型破りで、かなり捻くれている。あえてそうしているように感じる。必要があって。そう、元々、僕らのいる社会が捻くれているんだと思う。偏って硬直化した固定観念には、それ相応の強烈な表現を突きつけることが必要なのかもしれない。 

例えば、「ん?トラブルメーカーになる?頭がおかしくなったのか?」というような固定観念に挑戦したい。僕のつぶやきや連続ツイートは、そういった目的のものが多いかも。だから、恐らく、耳障りが悪く同意しきれないものが多いと思う。 

映画「吸血少女 対 少女フランケン」を友達に勧められて観た。血みどろグロテスク過ぎるので、胃腸の弱い人は観ない方がいい。明らかに好みの映画ではないけど、観てみていろいろ考えさせられた。この映画や制作者が「悪」だと信じる自分の固定観念について。自分が信じる「正義」とはいったい何? 

都市が持続可能かどうかはともかく、し尿を肥料として使った作物を食べるのが不潔と考えるのが紳士なのか?それとも、持続可能な都市を実現する為に喜んでし尿を肥料として使えるのが紳士なのか?個人的に、すごく論じてみたいテーマです。

「野蛮」だと感じるポイントと許容範囲の違いについて

ポートランドでこれだけOccupyムーブメントの占拠活動が盛んなのは、「汚ない」とか「野蛮」という意識のレベルが違うからかもしれない。元々、街中には、日本人の感覚では、ホームレスに見えるような汚くて野蛮そうな人ばかり。だから、抗議活動にも、変な抵抗が無いんだと思う。 

抗議活動も立派な社会変革への手段。社会が崩壊の危機に瀕しているときに、「抗議活動は野蛮な行為」だとか言って何も行動しない人こそ野蛮な人なんだと思う。他に方法が思いつかないなら、汚くても野蛮なに思えても、やるっきゃないんだ。 

人口問題から派生する諸問題を解決するには、人間を大量虐殺するか、活かし切るかしか選択肢が無いのかもしれない。「人間を大量虐殺」なんて発想が出来ること自体が野蛮に感じるかもしれないけど、僕たちは「無関心」という手段により既に大量虐殺を行っている可能性がある。 

映画「ブラッドダイヤモンド」で、アフリカの都市で、プライバシーがほとんど無い環境で「死」も「性」もむき出しな「野蛮」だと思わせる場面が出てくる。でも、良く考えてみれば、資源もスペースも独り占めしてプライバシーを最大限に満喫している僕らの方が野蛮だと感じることがある。 

虫を極端に嫌う人が多いけど、虫がいない環境って、むしろ野蛮である証明ではないだろうか…昔、そこに何があったのかを想像してみれば、そう思えるかもしれない。 

コンポスト作りを体験してみると、いかに自然の法則を無視した日常を送っているのかに気づく。汚いもの、都合の悪いものをただ見えないところに押しやるのは野蛮な行為だと思う。ブログ記事「ロンドン帝国の残した負の遺産」bokudeki.me/essay/mainessay/306/

ルームメイトはゲイ

家賃を抑えるため、同じベッドルームにルームメイトがいますが、最近、彼がゲイだということが分かりました。
彼をルームメイトに決めた時は気付かなくて、しばらく気付きませんでした。

さすがに、男同士で抱き合っているところを見た時はびっくりしたけど、まぁ、男女で抱き合ってるところに偶然出くわした時もそのくらい驚くかなと思った。

彼とは同じ部屋でベッドを並べて寝ています。
彼は鳥の胸肉など筋肉を付けるためのものばかり食べる筋肉質の人です。
か弱い僕が襲われたら、ほとんど何も抵抗出来ないでしょう。
(これはあくまで設定の話です)

人によっては、この時点ですぐに出ていくかもしれませんね。
でも、僕の場合は、ゲイだろうと全く問題ありませんでした。
ほとんど抵抗が無かった自分にむしろ驚きました。

僕にほとんど抵抗がないと知った彼は、ゲイの友達を家に呼んでかなり大っぴらになってきました。
最低限のプライバシーは守りたいけど、出来る限り自由にさせてあげたいと思っています。

僕に近寄らなければいい?
全然そんなことなくて、むしろもっと仲良くなりたいですね。
実際、彼がゲイだと気付く前より、気付いた後の方が仲良くなれた気がするし。

じゃぁ、僕を好きにならなければいい?
それも、そんなことなくて、こんな僕でいいなら好きになってもらっても全然構わないんです。

ゲイの人は、同じゲイの恋人を捜す傾向があるかもしれないけど、むしろ、「ストレートの男性を好きになって何が悪いんだ!」と思う。
むしろ、それを迷惑がる人の方がどうかと思ってしまう。

僕は、将来、同性が好きになる可能性もあると思っている。
自然にそうなるなら、全く抵抗はない。
さすがに強制的にされるのは嫌だけど、いろんな可能性があっていいと思うんだ。

この体験を通して、昔と比べて本当に偏見が少なくなったなと思った。
自分が弱い立場になることが多くなった上に、弱い立場の人たちとの接点が劇的に増えたからかもしれない。

弱い立場の人の痛みが分かるのって、掛け替えのない財産だと思ってる。

この本読んでみたい!

べてるの家の恋愛大研究。の巻
http://www.magazine9.jp/karin/101027/

まだこの本を読んだわけじゃないけど、この雨宮処凛さんのレビューですっごく読んでみたいと思った。

とにかく、北海道・浦河の「べてるの家」の取り組みは型破りだ。
たとえば、毎年開催される「べてるまつり」では、自らが体験した幻覚や妄想のユニークさを競って表彰されたり、妊娠→駆け落ち→出産→パチンコ三昧という状況になっても、「ベストカップル」として表彰されたり…

変わってたり極端であればいいという訳ではなく、実はこれこそが本当の意味で人間くさいのではないかと思ってきた。
はっきりいって、今、アメリカの大学で学んでいる共同体開発の内容より、べてるの家の取り組みには共同体としてのコアの部分が詰まっているような気がする。

この本にはこう書いてあるそうです。

「当たり前に恋をし、普通に家庭をもち、順調に子育てに困難を感じたら、正々堂々とSOSを発し、ときには児童相談所も活用して、子育ての苦労を”地域の苦労”に変えていくという伝統がはじまったのは、山崎薫さんの功績が大なのです」

すごく、僕の理想のコミュニティ像と重なりました。

都会では、「迷惑だ」とか「プライバシーの侵害だ」とかで、物理的にも精神的にも入り込みにくい領域が大きいけど、それはそれで、コミュニティの機能を台無しにして、自ら自分の首を締めているようなものだと思う。

個人的には、迷惑とか価値観の違いから日常的に生じる人々の衝突は、とっても有意義だと思っている。
昨日、ちょうどTwitterでこうつぶやいた。

「衝突は衝突でも、人々の間で、「有意義で価値的で必要不可欠な衝突」って有り得ると思う。日常的で人々の間で自然に起こる衝突の積み重ねが、「戦争」という巨大な衝突を未然に防ぐ原因になることもあるかも。」

雨宮処凛さんのブログで、『健全な「迷惑のかけ合い方」の実践』とあるけど、これこそがコミュニティが機能するようになる原動力なのかもしれない。