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悩む対象を広げると発揮される可能性

僕はそんなに悩みがなさそうにみえるんだろうか?人並みに苦悩していると思うんだけど、外からはそうは見えないのかな。33になって彼女さえいなくて、留学生活で貯金は底をつき、社会的責任という面では、むしろ振り出し以前に戻ってからの再出発で、実は不安や心配は尽きないのに。

今日は、先月若くして母親を亡くし、彼氏との関係に深く悩んでいるSGIのメンバーとお昼を食べてきた。僕だけに向けたものじゃなかったけど、とても放っておけないような助けを求めるメッセージを受け取った。大して言葉では励ませなかったけど、苦悩を共有し、同苦しようとする意思は伝わったと思う。

自分のことでそれどころじゃないのに、他人のことまで気にかけ励ますのを損としかとらない人がいる。うちの親がそう。常に言うのは、「他人のことより自分のことを心配しろ」と。確かに、ただの現実逃避になる場合もあるけど、そればかりではないと思う。

自分が苦しい時こそ、同じように苦しんでいる人たちを励ます。それは自分を励ますことでもあり、気にかける対象を自分を超えて大きく持つことにより、自分の問題ごときではへこたれない生命状態に行き着くことができる。結果的に、気にかける対象を広げれば広げるほど、自分の力を引き出せる。

自分の問題だけで悩んでしまうと、その限られた範囲内でしか力が引き出せない。例えば、自分の問題の範囲で70%など。だけど、悩む対象をさらに広げると、その範囲で70%の力を発揮出来る可能性がある。それを自分の問題の方の基準に合わせると、実は150%の力が引き出せたことになってたり。

これは、5年以上前の、「知り合いに対する激励が及ぼした自分への精神的な作用」に関する体験談です。『「激励」が及ぼす精神的な作用」 bokudeki.me/essay/mainessay/653/

他人が力を発揮するための助けになること

昨晩のうちのアパートで行われたビデオゲームナイトの写真(ゲームだけでなく、タレントショウやチェスなども行われた)

タレント•ショウは最高だった。意外とみんなそれぞれ何かしらタレントを持ってるもんなんだよね。そういうのを知らずに人の可能性を過小評価しがちだけど、人のタレントを引き出さずに眠らせておいては損だ!

積極的な人はどんどん自分のタレントを示していける。場合によっては、あまりにも図太く、機会を独占してしまうかもしれない。そんな中で、どうやって消極的な人からタレントを引き出すかなんだ。政治の分野でも同じで、声がやたらでかい人が政治を牛耳っている中で、消極的な人の声をどう引き出すか。

日本人だからってのもあるけど、僕はタレントはあるけど積極的には示さない。大抵のアメリカ人は主張が強く一方的に言いたいことを言うので、これまで僕のタレントを引き出せた人は少ない。そんな中で、僕は、自分の主張は押さえて、消極的なアメリカ人のタレントを引き出すことに挑戦している。

「アメリカでは主張がなきゃ生き残れない」ってよく聞くけど、現時点では確かに事実だと思う。だけど、これからの時代、消極的な人に主張の機会を作り激励していかなければ、アメリカ自体が生き残っていけないと思う。

自分が力を発揮するより、他人に力を発揮させる助けになる方がずっと難しい。それが出来る人が、これから最も求められるのではないだろうか。

わがままで独り占めしない

昔、ヨーロッパのどこかの国で、便器のシートを持ち歩いて、公共のトイレで取り替えて使うというニュースを見た。今でもそうなのか分からないけど、さすがにそれはやりすぎだろと思ったのを覚えている。 

他人が使ったものを使用するのは確かに衛生上の問題が発生する場合がある。その程度を3段階に分けてみた。実質的には汚くないのに、他人が使ったというイメージで汚いと思ってしまう程度のもの。次は、汚いは汚ないけど、気にしすぎでむしろ体の抵抗力を弱めてしう程度の汚さ。で、実際に体に有害な汚さ。 

実質的には汚くないのに、他人が使ったというイメージで汚いと感じ、自分専用のモノを持つようになることもあると思う。それって、人間の傲慢さとわがままさを物語っていると思う。塵も積もれば山となる。閉鎖系の地球において開放系の思考で持続不可能な生活をするということ。 

次に、汚いは汚ないけど、気にしすぎでむしろ体の抵抗力を弱めてしまう場合。日本のように、世界一級の衛生システムを持つ国で生活する人が発展途上国にいくと、ちょっとしたことで腹を壊すことがある。現地の人は大丈夫だとしたら、あまりにも気にし過ぎている為に体の質が落ちているということ。 

体に有害なほどの汚さの場合は、もちろんしかるべき対策が必要。 

以上の3つの切り分けを適切にし、本当に必要な場面でだけ、個人が専用のモノを持てるようにしないと、とても地球って持続可能にならないと思う。現に、資源は枯渇し、まだ地球の多くの人に行き渡っていないのだから。

僕達はみな同じフィールドで戦う同志

例えば、お祭りをつくる側として高みの見物をするのではなく、一参加者として、まずはみんなとの和を通して、体を使ってお祭の醍醐味を体感すること。

例えば、責任逃れの為に支持する対象を曖昧にするのではなく、民主主義国家で投票権を持つ一人として、支持する対象を明確にし、主体的に良くしていく責任を担うということ。

例えば、環境問題を考える上で、机上で政治や経済の議論を進める前に、地球に住む一人の人間として、まずは心で、自然の素晴らしさを心感すること。

例えば、特定の宗教団体に所属していなくても思想レベルでは宗教の影響を受けていない人はいないはずなので、自分が決して蚊帳の外では無いという覚悟で宗教問題と接していくこと。

僕は、地球に住む「ただの一人」という位置づけでいいと思っています。
僕は、他人より優れている訳でも、偉い訳でも、特別な訳でもありません。
どんなに国家レベルとかで特権階級の身分にいても、この「宇宙」というフィールドを超越する存在になることは出来ません。

ただ、自分のことを卑下している訳ではありません。
僕は自分の中の「無限の可能性」を信じています。
自分は他人以上でも以下でも無いということから、他人にも「無限の可能性」を感じずにはいられません。

今はまだ理想論でしかあり得ませんが、世界中のみんながこの視点に立つことが出来れば、地球上に蔓延る「差別」はきれいさっぱり無くなるでしょう。

みんながあらゆる面で同じフィールドに立ち、みんなが共有できるゴールを見いだし、それに向かってみんなで頑張れたら素晴らしいなと思います。

ハウルの動く城 2回目

今日は映画館でファーストデイスペシャルだったので、ハウルの動く城(2回目)を観た。
僕は、この映画を初めてみた時、もっとも大事なテーマを忘れてた気がします。
それは、「家族」です。

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指切った・・・

包丁で指を切ってしまった。料理してる時は気をつけてるから大丈夫だけど、皿洗いをしてる時って結構雑にやるから危ないんだなぁ。久しぶりに自分の血を見た。痛かった。
この前、北野武のBrotherを見たけど、指を詰めるとか切腹とかって考えられないな・・・兄貴の為に死ねるのも・・・あの映画はかなりバイオレンスだ・・・兄弟の契りとか友情とかを引き立たせる為には、過激な演出は必要なのかもしれないけど、それを僕らがどう受け止めるかが問題なんだと思う。フィクションの血を見ただけで、”痛い”と感じるか”痛くない”と感じるかで大分違うと思う。”痛い”と感じれば、他人が傷ついた時に同じように”痛い”と感じられると思うし、その逆だと、他人が傷ついたり傷つけた時に何も感じないんだと思う。
影響を与える側も大変だと思うけど、影響を受ける側もちゃんと責任を持って影響を受けなきゃいけないなと思った。

OSをFedora Core1に移行

CGIがどうしても動かないので、思い切ってRed Hat Linux9⇒Fedora Core1に移行しました。
月曜なのに、会社終わってから実家にバイクで帰ってやってきました・・・
Fedora Coreは、Red Hat Linuxの後継OSと言われてますが、決定的に違うのは、完全にオープンソースコミュニティに開発を委ねているところです。
いわば、ボランティアみたいな非営利グループ”Fedora Project“によって開発が進められます。
なので、きつく言ってしまえば、トラブルが起きた時に、他人を助けてもらえない事も考えられます。
どんどん最新技術を取り入れていくそうなので、そういう技術を試せる半面、セキュリティが手薄になります。
なので、最初はやめようかと思いましたが、コミュニティの情報も豊富そうなので、思い切ってやってみようと思いました。
たまに落ちるかもしれません。。。