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僕たちはアメリカの歪んだレンズでしかものを見れない

ベネズエラで2002年に起きたクーデターで、アメリカ大統領報道官アリ・フライシャーは、「今回の混乱の責任はチャベス政権にあると考える。非武装のデモ隊が銃撃され多数の死傷者が出てしまった。それが引き金となって国民による暫定政権が発足した」と報道したが、これは全くのデマだった。 

アイルランドの番組制作チームが作成したベネズエラの革命に関するドキュメンタリー映画「The Revolution Will Not Be Televised」の内容がこのページで日本語でまとめられてます。「チャベス政権 クーデターの裏側」ow.ly/1A528y 

1998年に大統領として選出され、弱い立場にある人々に爆発的な人気のあるウゴ・チャベス大統領。マイノリティの声を丁寧に聞き、富裕層から富の還元をさせ、何も変わらないと半ば諦めていたマイノリティの人々の政治参加を活気づけた。 

チャベス大統領が、国有の石油会社をコントロールし、貧しい人々へ石油の恩恵を還元しようとした時に、国民が真っ二つに割れ、対立が起きた。貧しく弱い立場にある大統領の支持派と、石油関連で甘い汁を吸ってきた立場にある石油会社に近い経済界のトップの支持派。連日、双方で大規模なデモが起こり、銃撃戦も起きた。 

経済界のトップ率いる反政府派は、メディアで情報操作をし始め、アメリカのチャベス批判も追い風にして、あたかも大統領を悪者に仕立て上げた。両者の対立は深刻さを極め、やがて反政府派が「大統領が辞任しなければ、官邸を爆破する」と脅し始めた。大統領は、市民の犠牲を考え、爆破予告の5分前に現われ、拘束された。 

官邸は反政府勢力に乗っ取られた。唯一、チャベス大統領側だった国営放送も遮断され、反政府勢力に有利な民放が都合の良いように報道した。 

しかし、大統領は辞任しておらず、ただ拘束されていることを知ったチャベス支持派の平和的抗議は勢いを増し、官邸にて新たな政府の擁立を進める会議中も、数えきれないほどの人が官邸を囲み、チャベス大統領の復帰を叫ぶ声は会議の進行を不可能にした。その民衆の行動は歴史を変えた。 

反政府勢力が、あまりにも強大な民衆の声に恐れをなして逃げ出し、新政府の成立を断念したのだ。反政府勢力につき始めていた軍も、失われた国民の信頼を、チャベス大統領の元でもう一度構築し直す決意を語った。チャベス大統領を取り巻いていた議員も官邸に戻ってこれ、安全が確認されたところで、大統領も復帰した。 

例のドキュメンタリーでも証拠を示していたけど、確かに、チャベス支持派と反政府派で銃撃戦は起こったが、アメリカの報道官が言った「非武装のデモ隊が銃撃され多数の死傷者が出た」というのは、反政府派が情報を操作して報道した内容だ。アメリカが、いかに反政府派に肩入れして、邪魔なチャベス大統領をどさくさに紛れて倒そうとしていたのかがわかる。 

「The Revolution Will Not Be Televised」は、「革命はテレビでは報道されない」というような意味。ベネズエラで起こったような本当の革命はテレビでは放送されない。逆に、何度も繰りかえし放送されるのは、無残に民衆に嬲り殺されるリビアのカダフィ大佐の映像のような、先進国にとって都合の良いように仕組まれた偽りの革命。 

僕たち日本人は、きっと、遠い外国で起こっていることを、アメリカの歪んだレンズで見ている。

この事件と自分との関係

家族5人刺した男を逮捕 2人が死亡
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1179832&media_id=88

僕は、こういった事件を見るたびに、こういった事件と自分との関係を考えるようになりました。
自分は、勝手に特別な立場にあってあれこれ評価すればいいだけの立場にいるのだろうか?

この事件が起こったのは、
インターネットを取られたことだけが原因じゃない。
この家族の長男だけの責任じゃない。
だからといって、この家族の責任だけでもない。

僕たちは皆、彼と何らかの形でコミュニティを共有している。
その時点で、彼とは無関係ではないはずなんです。
僕たちがそれぞれ彼に対して出来る事が確実にあったはず。
その時点で、無関係では決していられないはずなんです。

以前、「彼は僕たちのコミュニティの一員です」というタイトルで日記を書きました。
この事件ととても関連するので、一部転載しておきます。

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僕には、彼とはいろんなコミュニティを共有していという意識があります。
だから、この事件の責任の一端は、厳然と僕にもあると思います。

彼の抱えているものを共有できず、彼の能力を活かしきれずに、犯罪者にしてしまった。
実は、これはいくらでも予防できたことだと思うんです。

でも、彼が犯罪者になってしまった時点で、果たして彼の人生は終わりなのか?
それは、これからの僕たちの働きかけにかかっている。

それをしなければ、さらに僕たちは損をし続けることになるでしょう。

実は、これは厳然とした因果の法則であって、人々がその関連性に鈍感になってしまったことから、すべての腐敗が始まっていると思うんです。
どんなに努力したって、この因果の法則から自分を除外することは出来ない。

だから、大事なのは、自分が所属するコミュニティへの意識を正しく持ち、責任を持つこと。
そして、そこに属するメンバーを、仲間外れなくケアし、苦しみや悩みを共有し、共に乗り越えていくという覚悟を持つこと。

彼は僕たちのコミュニティの一員です
http://bokudeki.org/archives/255

「生命の物質視」という恐ろしい現象…

海岸付近に手足ない女性遺体
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1142723&media_id=2

どうしたら、人を殺した上に、遺体をバラバラに出来るのか…
現代人の「生命の物質視」というのにはいろいろな形があるけど、これもその中の重要な一つだと思う。

あまりにもこういった凶悪犯罪が日常的に起こるようになると、社会というものはそういうモノだと錯覚しがちだけど、それはとんでもないことだ。
一つ一つの事件が確実に深刻な事件で、人間である以上、自分と極めて関連の深いことだと受け止めるべきだと思う。

この事件が自分と関係の深い日本という国で起こったということ。
犯人はまだ誰なのかは分からないけど、その人は僕たちのコミュニティの一員であること。
自分だけを除外することなんて出来ないし、そうすることは無責任でしかない。

これらのことを一人一人が深刻に受け止めるべきだと思う。

彼は僕たちのコミュニティの一員です
http://bokudeki.org/?p=255

鎌倉高校前




例えば、こんな素晴らしい環境でバイトしています。
3箇所を1週間ずつローテーションしているんですが、どこも素晴らしい環境です。

潮のかおり、波の音、そよぐ風・・・、
眼前に広がる海を眺めながら、集札をしています。

集札しながら学生に挨拶をするのがとても心地よいです。
挨拶を返してくれなくても、気にすることなくし続ける。
少しずつ、挨拶を返してくれる学生が増えてきているのが無性に嬉しいです。

僕たちの後の世代を担う大事な大事な学生たち。
そんな彼等に挨拶とともにエールを贈れるのがとても嬉しいです。

考えられないほど贅沢していることを自覚しなきゃいけない・・・

「君は不幸だ。早くから美しいものを見過ぎ、美味しいものを食べ過ぎていると云う事はこんな不幸はない。喜びを喜びとして感じる感受性が薄れて行くと云う事は青年として気の毒な事だ」

文豪・吉川英治の言葉だそうです。

ずっと同じ事を思っていました。

また、この言葉を見てはっとしました。

僕たちは、日本人の間だけで、裕福か貧乏かを判断してないか???

僕は日本人の中でも結構裕福な家庭に生まれたけど、そんな僕の境遇を羨ましいと思う人もいるかもしれない。

でも、良く考えてみると、裕福だろうが貧乏だろうが関係なく、僕たちが日本人である以上、飢餓や水不足に喘ぐ極貧の国の人々から見れば考えられない程贅沢をしているんではないかな???

外因性の要素に頼っている限り、僕等の満足が持続する事はない・・・

人間の欲望は際限がないから・・・

これに関しては、絶対にグローバルな視点が必要だと思いました。

そうしないと、感受性が薄れるというより、感覚が麻痺してしまう・・・汗

母が僕の母でなかったら、僕もとっくに感覚が麻痺していたかもしれません・・・

でも、何とかこのことに気付くことが出来ました。

目的はどうであれ、母がケチであったことに、今は心から感謝出来ます。。。

連帯責任

26日の記事だけど、ヨミウリオンラインでとてもショッキングな事故の記事を読みました。

ナイジェリアで石油パイプライン爆発、数百人死亡か
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061226i417.htm

アフリカ有数の産油国のナイジェリアで、石油パイプラインが爆発し、付近住民数百人が死亡したという事故だ。

死者数は500人にのぼると見られ、事故直後の現場には黒焦げになった遺体が散乱していたという・・・

事故の直接の原因は、何者かが石油を盗むためパイプラインに穴を開け、付近の住民らがプラスチック容器で燃料をくもうと集まったところ、爆発が起きたとのことだ。

この事実だけ見ると、僕たちは、この現場で起こったに過ぎないという認識で、むしろ、盗むやつが悪いんだってだけで終わりにしちゃうかもしれない。

だけど、これは、石油ビジネスで潤っている人と、貧しい付近住民との富の分極化がひき起こした事故なんだと僕は思う。

もっと言ってしまえば、世界的に起こっている極端な富の分極化がひき起こした事故だと言っても全く言いすぎじゃないと思う。

だから、今も世界中で起こってしまっている悲しい現実は、僕たちとは切り離すことは決して出来なくて、一つ一つが世界規模での『連帯責任』なんだと思う。

僕たち日本人は特に、知らず知らずのうちに富を独り占めし、こういう事故をひき起こし得る環境を世界のあちこちに作ってしまっているのかもしれない。

世界に厳然と存在する悲惨な現実を「知らない」ことも悪だと思うし、無関心を装って見てみぬ振りをするのは、究極的に「残酷」なことだと思います。

今すぐ生活を変えることなんて出来ないと思うから、まずは、一人一人がこの責任を自覚することが大事だと思います。

それぞれが、この世界で起こってしまっている悲しい現実が連帯責任だったんだと自覚することが出来れば、いくらでもそこから連帯した行動が起こり得るんじゃないかと思います。

僕もまだ自覚が足りません。

まずは自分がその責任を自覚すること。

そして、地道に、根気良く、人に語っていくことをしていかなくちゃと思いました。