「恩恵」タグアーカイブ

恩恵を受け続けるだけじゃ、それが当たり前で感謝出来なくなってしまう。

SGIのうちの支部の御書講義に参加してきた。普通のおばちゃんたちなのに、話の内容がかなりハイレベルで改めてびっくり。メンバーのお宅で笑いの絶えない朗らかな雰囲気なのに。まぁ、話の内容がハイレベルだと思っているのは僕の個人的な価値観に過ぎないかもしれないけど。 

あるSGIの婦人の息子さんはSGIの庭で育ったけど、SGIに対して感謝することが出来なかった。そんな息子さんが大学で教授と議論を交わすようになり、結論的な部分を聞き出せた時はいつも、その答えに親しみを感じたという。実は、それは仏法者である母親が何度も言い聞かせてきたことだった。 

大学の教授が一概に立派とは言えないけど、仏法者ではないとはいえ、真剣に生き、自他共に様々な経験をしている人は、自ずと仏法的な結論に行き着くのだと思う。そういった結論的なものを直で学べるとしたら、それ以上に貴重な機会はないかもしれない。 

創価学会の庭で育つと、いろいろと恩恵があるのに、それが当たり前のように感じるようになってしまいがちかもしれない。でも、おばちゃんでも、実はもの凄いことを言っていたりする。僕は、創価学会の庭で育ってきた訳ではないので、そのすごさやありがたみが直で分かる。

「議論」の要点を自分なりにまとめてみました。

議論において「手の内を見せない」ということは戦略の一つだと思うけど、それは何のためなのだろう?議論に勝つ為という目的があると思うけど、それ以外何がメリットで、結果的に誰が恩恵を受けるのだろうか?

ソーシャルブックマークサイトを運営する「はてな」は、重要な会議の内容をオンライン上に流すなど露出狂なほどオープンな組織だと聞いたことがある。それだけ自分たちの可能性に自信があるということ。僕も、ビジネスのアイデアから何から手の内をすべて見せるようにしている。

それは議論においても同じ。例え議論で不利になったとしても、手の内をすべて見せる(それさえも理不尽な手段で妨害される場合もあるけど…)。それは、議論に負ける事を必ずしも恐れていないから。

手の内を全て見せて相手がさらに優れた論理を展開すれば、自分も新たなレベルのチャレンジが持てる。そして、結果的に相手が一歩も二歩も優れた結論を持っていても、それが社会で具体的に役に立てば、結果的に自分の恩恵にもなる。

このように、負けることを恐れず、むしろ「負けても嬉しい」議論こそがウィンウィンの議論だと思う。それには、1.「自分の手の内をすべて見せる」、2.「自分だけでなく相手の精神状態を最高の状態に保つ」、3.「潔く負けを認める」の3つが最低限必要だと思う。

そして、何よりも大事なのは、議論をする「動機」だと思う。動機が「議論に勝つため」というのもありだけど、それではウィンウィンな議論は出来ないと思う。元からそういう目的でなければいいのかもしれないけど、勝ちに拘る以上、ベストな結論は導きだせないはず。

ベストな結論を導き出すには、牽制し合うより協力・信頼関係を築くこと。その為には、動機を「ベストな結論を導き出すため」として共有し団結すること。その為には喜んで議論に負けられる体制をお互いに持つことだと思う。

巨人「マクドナルド」とポートランドの「フードカート」

「マクドナルド」とポートランドの「フードカート(屋台)」を対比してみる。前者は、ビジネスの効率性と、ある一定の「品質」と「安心感」がある。だけど、果たして僕たち消費者はそれでどれだけ得しているのだろうか?僕が一番注目する点は、「従業員の可能性がどれだけ活かされているか」だ。

一軒一軒のフードカートは、いろんな面でマクドナルドには勝てないかもしれないけど、それぞれのカートは自由に想像力を発揮させて独自の料理を提供出来る。(可能性を引き出しやすい)無数のエンパワーされた多様なカートが集まれば、全体としての価値は、マクドナルド一辺倒よりは数段高くなるに違いないと思う。

マクドナルドのようなチェーンビジネスで一番問題になり易いのは、利益追求の為に従業員をパーツのように扱い、その創造性や可能性を著しく制限する形でビジネスが行われることだと思う。(それがクリアされれば、チェーンビジネスでも問題ないのかもしれないけど)

ビジネスが巨大だとそれだけ大きなアウトプットや恩恵があると錯覚しがちだけど、たかがビジネスの為に貴重な従業員(人間)の可能性が台無しにされるのは、社会全体において極めて大きな損失だと思う。

依存について…Tweetまとめ

依存には2種類あって、一つはお馴染みの「個人的な欲求を満たす為の依存」で、もう一つは「個人を超えたより大きなコ ミュニティの健全な発展の為に進んでする依存」。

コミュニティの事を学んでいくうちに、僕はいろんな人と関わり巻き込むようになった。間違いなくみんなの必要性を感じ依存している。でもそれはみんなも同 じこと。「相互依存」という相当パワフルなもので、個人的な欲求を満たす為の依存とは分けて考える必要がある。

うちの大学の教授は、明らかに自分の利益になるように授業を構成している。生徒を利用して情報やより多くの視点を効率的に集めたり…生徒からすれば、お金 を払っているのに納得いかないかもしれない。でも、もしその教授が後の生徒の為に尽くせれば、社会全体の恩恵となり巡り巡って自分にも返って来る。

だから僕は全力でクラスを受ける。生徒が教授を必要とするのは当たり前だが、実は教授も生徒を必要としている。この相互依存関係はかなり重要だと思う。人 々がこういった相互依存関係を理解し率先して行動するようになった時の社会へのインパクトは計り知れない。

人々がテクノロジーに依存するのは何故なのか?個人レベルで欲求を満たすため?それとも、個人を超えたより大きなコミュニティの繁栄に必要なため?テクノ ロジーを作る人も使う人も、どちらを選択するかで結果が全く違うものになる。Twitterも例外ではない。

続きを読む…http://bokudeki.org/?p=1841

ニート米!!!

ニートが作ったお米が販売開始! その名も『ニート米』だ!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1021130&media_id=85

このムーブメントはとっても共感出来ます!
というか、僕が将来やりたいことと方向性が似ています。

もちろん、いずれこれはビジネスとしても成り立つと思うし、もっといってしまえば、単純に、人での足りない農家を手伝って、その対価として収穫された食料をもらうだけでもいいと思うんです。
さらにいってしまえば、ホームレスの方だったら、農家の家に下宿して農業を手伝うとか。

ダンボール・コンポストだって立派なビジネスになると思います。
コンポストをふんだんに使った栄養価たっぷりの野菜を地域のレストランに高く買ってもらって、逆にそのレストランで出る生ごみでまたコンポストを作って利益を生み出すことも可能だと思います。
これを個人でやり遂げるのは難しいかもしれないけど、コミュニティとしてやれば可能だと思います。

さらに、Community Supported Agriculture(CSA)も、地域の潜在的な労働力を有効に使って、食物の自給率を上げる有力な方法ですね。
この日記を書いた時は、CSAについて知らなかったのですが、ほとんど同じような考え方に行き着いていたようです。

ムカついたので、農業始めました 2008年06月22日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=846056123&owner_id=2247284

これらすべて、社会的、政治的、経済的な理由で能力を発揮できない人たちが、労働力として力を発揮でき、しかも生活に密着した直接の恩恵を受けられる有力な手段の一つだと思います。
このニート米というのは、こういったムーブメントが起こる第一歩なのかもしれません!

ヒントは『江戸』にあり!

例の環境シンポジウムに行って、見知らぬ人と熱い話をしたところ、を実現する上で、どうやら、ヒントは『江戸』にありそうだと思いました。

まぁ、侍と自称している割には江戸の世界を細かく知らない訳ですが、何しろ、幕末に欧米人が押し寄せてきたときに、欧米人達はみな、江戸の美しい環境に衝撃を受けたそうです。
田舎と都市が見事に同居しているって言うのかな?

当時、欧米は、近代化や産業革命の恩恵を受けるのと引き換えに、環境は破壊されて行ったのだと思います。

汚物は垂れ流され、空気は汚れ、街からは自然が消えて行ったのだと思います。(ちょっとこの辺りは推測で語ってますが・・・)

そんな欧米人たちが感動した江戸の環境とは、

ずばり、どんな環境なのか?
 どんな利点があるのか?
  どんな工夫がなされているのか?
   そこに住む人々にはどんな精神が宿っていたのか?

江戸について、みんなで調べて研究して行きませんか!?

ということで、への軌跡コミュにて、トピックを作成しました!

ヒントは『江戸』にあり!
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12631491&comment_count=5&comm_id=1483379

細々と存続していますので、よろしければご参加下さい!

あと、余談ですが、こんな本もあるようです。

「環境先進国・江戸」(鬼頭 宏 著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569621473

こんな興味深い本が出てしまうくらいなので、研究する価値は十分あると思います!