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確かにある未知の能力、持続的にどう引き出す?

LSDなどのサイケデリックのドラッグは、人間の潜在的な能力を引き出すものだとは思う。確かに、サイケデリックを使ってすごいアートや音楽を作る人はいる。だけど、体に不自然な方法で「覚醒」の状態に到達させているだけに副作用がある。効力が切れると憂鬱になって逆にやる気が起きなくなる。 

サイケデリックドラッグが人の潜在的な能力を引き出すことについて、その能力は確かに自分のものだとは思うけど、問題は「持続可能ではない」ということだと思う。アスリートがドーピングをするのと同じで、副作用があり、その効果は持続しないということ。 

サイケデリックドラッグにより、自分の能力や可能性を垣間見るというのは必ずしも悪いことじゃないけど、その手段だけしか自分の能力を引き出せないというのは何とも悲しいこと。自分の潜在能力に気づくのには意味があるかもだけど、将来的にはドラッグに頼るのは得策ではない。 

誰もが眠らせている能力や可能性がある。ドラッグなど持続不可能な手段ではなく、自分の未知の能力や可能性に出会うには、どういう手段があるだろうか?

モチベーションの維持のために…

モチベーションを維持することって、やっぱ難しい… 

モチベーションを維持するには、そのものごとに対していかに当事者性を持つかにかかっているんだと思う。当事者性を持つには、ものごとの間の関連性について、更にはそのものごとと自分との間にある関連性などを見極めることがスタート。 

自分との間にある関連性に気づかない限り、継続的なモチベーションは生まれないと思う。 

地球の他の地域での出来事と自分との関連性。例えば、自分たちの行動により、地球の裏側で気候変動を起こしているかもしれない。例えば、欧州やアメリカの金融危機が自分のうちの家計にも影響するかもしれない。何より、僕らが「変わらない」ことにより、他の地域に負担をかけ続けるかもしれない。 

僕が、国際社会で活動するより、自分の地元に集中して活動しようとするモチベーションは、地元をモデル地域にすることが、どれだけの影響力があり、他の地域の変革につながるかを知っているから。 

「地球規模で考え、足下から行動する」っていう標語の示すところは、「関連性への熟知によるモチベーションの持続」なんじゃないかと思う。

「固定観念」について

「固定観念」についてのツイートを掘り出してきました。 

僕の価値観は絶対では無いけど、そもそも、「中古より新品がいい」とか「プライバシーが守られ、プライベートな空間が多い方が幸せ」とか、「企業に勤めて経済的に自立していれば一人前」という感覚に対して、当たり前すぎて何も疑いがないとしたら、それこそ盲信の可能性がある。 

偏見かもしれないけど、固定観念で嫌いなのものに「ブランドものの新品がいい」ってのがある。個人的に、Goodwillで買ったものは、値札をそのまま貼ってGoodwillブランドとして使っている。Goodwillとは、ゴミ同然の寄付されたものを中古で安く売り出す非営利団体。 

べてるの家の取り組みは、型破りで、かなり捻くれている。あえてそうしているように感じる。必要があって。そう、元々、僕らのいる社会が捻くれているんだと思う。偏って硬直化した固定観念には、それ相応の強烈な表現を突きつけることが必要なのかもしれない。 

例えば、「ん?トラブルメーカーになる?頭がおかしくなったのか?」というような固定観念に挑戦したい。僕のつぶやきや連続ツイートは、そういった目的のものが多いかも。だから、恐らく、耳障りが悪く同意しきれないものが多いと思う。 

映画「吸血少女 対 少女フランケン」を友達に勧められて観た。血みどろグロテスク過ぎるので、胃腸の弱い人は観ない方がいい。明らかに好みの映画ではないけど、観てみていろいろ考えさせられた。この映画や制作者が「悪」だと信じる自分の固定観念について。自分が信じる「正義」とはいったい何? 

都市が持続可能かどうかはともかく、し尿を肥料として使った作物を食べるのが不潔と考えるのが紳士なのか?それとも、持続可能な都市を実現する為に喜んでし尿を肥料として使えるのが紳士なのか?個人的に、すごく論じてみたいテーマです。

わがままで独り占めしない

昔、ヨーロッパのどこかの国で、便器のシートを持ち歩いて、公共のトイレで取り替えて使うというニュースを見た。今でもそうなのか分からないけど、さすがにそれはやりすぎだろと思ったのを覚えている。 

他人が使ったものを使用するのは確かに衛生上の問題が発生する場合がある。その程度を3段階に分けてみた。実質的には汚くないのに、他人が使ったというイメージで汚いと思ってしまう程度のもの。次は、汚いは汚ないけど、気にしすぎでむしろ体の抵抗力を弱めてしう程度の汚さ。で、実際に体に有害な汚さ。 

実質的には汚くないのに、他人が使ったというイメージで汚いと感じ、自分専用のモノを持つようになることもあると思う。それって、人間の傲慢さとわがままさを物語っていると思う。塵も積もれば山となる。閉鎖系の地球において開放系の思考で持続不可能な生活をするということ。 

次に、汚いは汚ないけど、気にしすぎでむしろ体の抵抗力を弱めてしまう場合。日本のように、世界一級の衛生システムを持つ国で生活する人が発展途上国にいくと、ちょっとしたことで腹を壊すことがある。現地の人は大丈夫だとしたら、あまりにも気にし過ぎている為に体の質が落ちているということ。 

体に有害なほどの汚さの場合は、もちろんしかるべき対策が必要。 

以上の3つの切り分けを適切にし、本当に必要な場面でだけ、個人が専用のモノを持てるようにしないと、とても地球って持続可能にならないと思う。現に、資源は枯渇し、まだ地球の多くの人に行き渡っていないのだから。

家族の崩壊…

女性暴行死 逮捕の弟ら、日常的に暴行
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1172098&media_id=88

死ぬまで殴るなんて…それも家族を…
家族の崩壊もここまでひどくなりえるんですね・・・
日本は、この点で、世界一深刻な国かもしれないなと思います。
こんなに豊かな国なのに何故???

緑の福祉国家と言われるスウェーデンでも、家族の崩壊が起こっているということを耳にしました。
優れた政治システムがあっても、不幸な人々が生み出される可能性はあるということです。

そう、持続可能な社会と不幸な人々は両立し得る。。。
政治システムの整備に加えて、他にやらなければならないことが必ずあるということ。

日本は政治から腐りきっている訳ですが、日本も例外でなく、政治システムの改善に加えて確実にやるべきことがあると思います。
こんなにも悲しい事件をこれ以上起さないために、それぞれで、一刻も早く行動を起こさなければならないと思います。