「議論」タグアーカイブ

恩恵を受け続けるだけじゃ、それが当たり前で感謝出来なくなってしまう。

SGIのうちの支部の御書講義に参加してきた。普通のおばちゃんたちなのに、話の内容がかなりハイレベルで改めてびっくり。メンバーのお宅で笑いの絶えない朗らかな雰囲気なのに。まぁ、話の内容がハイレベルだと思っているのは僕の個人的な価値観に過ぎないかもしれないけど。 

あるSGIの婦人の息子さんはSGIの庭で育ったけど、SGIに対して感謝することが出来なかった。そんな息子さんが大学で教授と議論を交わすようになり、結論的な部分を聞き出せた時はいつも、その答えに親しみを感じたという。実は、それは仏法者である母親が何度も言い聞かせてきたことだった。 

大学の教授が一概に立派とは言えないけど、仏法者ではないとはいえ、真剣に生き、自他共に様々な経験をしている人は、自ずと仏法的な結論に行き着くのだと思う。そういった結論的なものを直で学べるとしたら、それ以上に貴重な機会はないかもしれない。 

創価学会の庭で育つと、いろいろと恩恵があるのに、それが当たり前のように感じるようになってしまいがちかもしれない。でも、おばちゃんでも、実はもの凄いことを言っていたりする。僕は、創価学会の庭で育ってきた訳ではないので、そのすごさやありがたみが直で分かる。

グローバル化対策はこれでバッチリ?

TPPに参加しようがしまいが大事なのは、消費者として買い物をするときは自分に近いコミュニティに有利なお店で有利なものを選ぶ。労働者として、自分に近いコミュニティに利益のある仕事をする。ステーク•ホルダーとして、自分に近いコミュニティを強くする為に政治活動に参加し、戦略的に進める。 

TPPに参加しようがしまいが、僕たち国民が、消費者として、労働者として、ステークホルダーとして賢く行動するための議論が最も重要だと思う。国益っていうのも単位がでかすぎて、まずは「家族」や「近隣」というコミュニティに利益のあることを意識して行動していけばいいと思う。 

自治体や国の財政面の改善を目指すには、企業からの法人税をあてにするだけじゃなくて、お金が逃げて行かないように、それぞれの枠内でお金が循環するようにすればいい。一番効果的なのは、人々の地元意識などの自主性や当事者意識を育てることだと思う。

日本がTPPに参加せずに済む条件

欧米の先進国の多国籍企業の強欲は、僕たちの想像を遥かに超えるものなのかもしれない。そんな状況下でのTPPへの参加は、確かに日本にとっては自殺行為 なのかもしれない。だけど、参加を拒否すれば、リビアとは違った形で、結局、殺されるのかも。国際社会自体が狂っている可能性があるから。

「TPPに参加するかどうか」という議論では不十分だと思う。世界が恐慌に突入し、帝国主義化の動きが見られる状況で、僕たちに残されている選択 肢はきっとそんな簡単なものじゃない。どちらを選択するにも過酷な条件がのしかかって来る。それがどんな条件なのかを議論することが必要ではないか?

日本がTPPに参加せずに済む条件って何だろう?そんな議論が必要な気がする。

国民主導の戦略的な外交と、(武装するか)国際社会に浸透するくらいの積極的な非武装平和主義、それに都市部での無数の零細な食料やエネルギーの供給者たち…TPPに反対するのと同時に、進めていかなければならないことが他にも沢山あると思う。

TPPに参加しないなら、参加を拒否した後の、あらゆる嫌がらせやいじめ、攻撃などに対する備えをしなければならないということ。この世界恐慌下 では、強欲な企業を抱える先進諸国は、目的を達成する為には手段を選ばない。武力での対抗は現実的ではないとすると、一体何を準備すればいいのだろう?

逆にTPPに参加したとして、「搾取されない政治」が出来れば、日本は沈没することはない。それと同時に、TPP加盟国やその他の国にも利益を与 えられるなら、誰も文句はない。僕たち国民が賢くなり、そんな経済や外交の在り方を模範として示すことが、最も望まれる手段なのかもしれない。

TPPの議論は、参加するか参加しないかだけの議論では到底済まないと思う。一番必要なことは、どんな選択をしても戦略的に賢く対応していけるように、僕たち国民が当事者性を持って議論を進め、実際に行動していくことではないだろうか?

世界恐慌による帝国主義化の下でのTPPの議論

なるほど、日本がTPPに参加しないなら、相当の覚悟が必要になるのかもしれないな。1929年に始まった世界恐慌のように、グローバル経済の様相が変わって帝国主義化•ブロック経済化すると、今の日本では孤立したままではとても生き残れない。

TPPのようなメジャーな経済ブロックに所属しないということは、ソ連崩壊後のキューバのような状況になるのかもしれない。キューバは、アメリカからは経済制裁されて、ソ連崩壊後はほとんどの輸入品が仕入れられなくなり、経済的に孤立してある意味地獄を味わった。

日本は、TPPなどのブロックに参加するかどうかの選択肢があるだけ恵まれていると言えるかもしれないけど、選択肢があるだけに、一見楽な方向流 れる可能性が高い。でも、地獄を味わう覚悟で経済的孤立の道を歩むなら、今のキューバのように突破口を見つけて、独自の道を歩めるようになると思う。

僕たち日本人にその覚悟があるかどうかなのかもしれない。確かに、軽々しくTPP反対とは言えないと思う。僕は「経済的孤立」という地獄と喜んで戦うけど。むしろ、血が騒ぐよ。

どちらにしても、僕たち国民に必要なのは、自分の所属するコミュニティに対して当事者性を持ち、その中で必要な役割を果たすこと。

「経済的孤立」という地獄を味わった結果の現在のキューバ。もちろん完璧ではないけど、災い転じて福と成した姿と言えると思う。→「キューバの有機革命」ow.ly/1zAkVh

サイクリストとドライバーの間の公正な議論?

日本で自転車に乗ってた時、全然スピードが出せない歩道を走るしかなくて、かなり屈辱的でストレスになった。サイクリストが歩道から追い出されるのは当 然。だけど、これからは、車道で権利を主張していこう。限られた既存の車道を、ドライバーとサイクリストで公平に割り当てるんだ。

サイクリストのマナーが悪くなるのは、歩道からも車道からも煙たがれて、居場所がなくてふて腐れた結果という部分もあるはず。公平に扱われていると言える環境を実現してみないと、本当にサイクリストのマナーの問題だけなのかは見えてこない。

自転車レーンがつけられない場合や車道を自転車専用道路に出来ない場合は、別のルートでサイクリストがメジャーな目的地に到達出来るように、自転車優先道路を決めて、街中に張り巡らせればいいと思う。そこではドライバーにでかい顔はさせない。

まだ偏ってそうですか?

「議論」の要点を自分なりにまとめてみました。

議論において「手の内を見せない」ということは戦略の一つだと思うけど、それは何のためなのだろう?議論に勝つ為という目的があると思うけど、それ以外何がメリットで、結果的に誰が恩恵を受けるのだろうか?

ソーシャルブックマークサイトを運営する「はてな」は、重要な会議の内容をオンライン上に流すなど露出狂なほどオープンな組織だと聞いたことがある。それだけ自分たちの可能性に自信があるということ。僕も、ビジネスのアイデアから何から手の内をすべて見せるようにしている。

それは議論においても同じ。例え議論で不利になったとしても、手の内をすべて見せる(それさえも理不尽な手段で妨害される場合もあるけど…)。それは、議論に負ける事を必ずしも恐れていないから。

手の内を全て見せて相手がさらに優れた論理を展開すれば、自分も新たなレベルのチャレンジが持てる。そして、結果的に相手が一歩も二歩も優れた結論を持っていても、それが社会で具体的に役に立てば、結果的に自分の恩恵にもなる。

このように、負けることを恐れず、むしろ「負けても嬉しい」議論こそがウィンウィンの議論だと思う。それには、1.「自分の手の内をすべて見せる」、2.「自分だけでなく相手の精神状態を最高の状態に保つ」、3.「潔く負けを認める」の3つが最低限必要だと思う。

そして、何よりも大事なのは、議論をする「動機」だと思う。動機が「議論に勝つため」というのもありだけど、それではウィンウィンな議論は出来ないと思う。元からそういう目的でなければいいのかもしれないけど、勝ちに拘る以上、ベストな結論は導きだせないはず。

ベストな結論を導き出すには、牽制し合うより協力・信頼関係を築くこと。その為には、動機を「ベストな結論を導き出すため」として共有し団結すること。その為には喜んで議論に負けられる体制をお互いに持つことだと思う。

ネット上の揚げ足を取るような議論の対処法として…

お互いのスタンスを示し合うことなしに議論が成立するってことはあるのだろうか?卑怯な人は、自分のスタンスをはっきり示さずに揚げ足を取るだけになりやすくなる。自分のスタンスをはっきり表明することは、相手と同等の責任を持つということで、それで初めてフェアな議論になるんじゃないか?

実はすごい事に気づいたかもしれません。ソーシャルメディアなどネット上の揚げ足を取るような議論で、話が広がり過ぎて収拾がつかなくなる場合の対処法として、「焦点となっているそれぞれの議題についてみんなのスタンスをYes or Noでしっかり示し合う」こと。

卑怯で相手の事を絶対に認めたくない人は、自分のスタンスを示さず、自分のスタンスに矛盾が出ようが何でも反論してしてきます。そういう人は、何だかんだ言って自分のスタンスを示さないかもしれませんが、そういう人とはネット上では議論しても時間の無駄なので、そこでやめる。

ネット上の議論で、卑怯で相手の事を絶対に認めたくない人は、自分のスタンスをはっきり示さず、つまらないことで揚げ足を取るか話題をずらして反論とも言えない反論をしてきます。また、徒党を組んでとにかく相手をバカにし、内容はともかく議論に優勢であるかのように繕おうとします。

さらに、明らかに自分たちの方が言葉が悪いのに、「言葉が悪い」だの「上から目線」だの言い、徐々に本題から遠ざかっていき、あからさまに人格否定や中傷をし始めます。この時点で、もう論理では勝てないと判断したか、誤りを認めない為に事実をあえて知ろうとしないかのどちらかだと思います。

「無知は、知の怠慢ではなく、知ることを拒絶する膨大なエネルギーの結果」フロイト

BBS設置

CGI第一弾です。
掲示板の名前は”いずれ議論の場になる事を願って“です。
このWEBサイトのタイトルといい、意外と何も考えずにつけてるんで、恥ずかしい事かもしれませんね。
でも僕は、この何も考えずに周りを気にせずにっていう気持ちを大切にしていきたいです。