僕は最近、「すべてを失うのが必ずしも終わりではない、それが始まりと考える事も出来るのではないか?」とよく思う。
むしろいろんなものをたくさん抱え込んでいる僕等はそれを守る為に必死でいろんなものを我慢して自分を制限してしまっているんではないか?
時には、新たな発見をする為に、何かを失う勇気も必要なんじゃないかと思う。
それに、僕はすべてを失った時にこそ、その人の真価が問われるんじゃないかと思う。
ドキュメント’03という番組で、車の中でシンナーを吸ってるうちに、
車内で引火、爆発し、大やけどを負った少年の話がやっていた。
彼は、全身大やけどを負い、生きる為に手足を失った。

彼は、事故前、親や学校で全く手が付けられない程の悪だったらしい。
窃盗、傷害、暴力団との絡み、覚せい剤等・・・
僕が言える立場じゃないけど、このまま何もなかったら、彼は一生、何も納得出来ないまま生きていったんじゃないかと思う。
僕達は、もし自分が手足を失ったら、これ以上生きる意味がない(すべて終わり)と思うかもしれない。
それは何故だろう?
僕が思いつくところでは、
 ・障害者への偏見が恐いから
 ・自分の力で歩く事が出来ないから
 ・恋愛や結婚が出来ないかもしれないから
他にも限りなくたくさんあると思う。
その人は何度も自殺を考えたと思う。
でも、
 ・障害者の偏見はあるけど、家族(母親、兄)との絆は以前より間違いなく強くなった
 ・歩くことは出来ないけど、ネットワークを通じていろいろな世界を見る事、知る事、考える事、感じる事が出来るようになった
 ・恋愛や結婚が出来ないかもしれないけど、忘れかけてた人との触れ合う楽しさを思い出せた
と、僕は思う
彼の場合、それ以外に、ゆっくりと自分を見直す時間が増えた分、今まで見えなかった自分が見えてきていると思う。
事故がなかったら、きっと死ぬまで自分に触れる事ってなかったんじゃないかと思う。
自分が見えてこれれば、ハンデはあるけど、自分の可能性を最大限に活かせるようになると思う。
惰性で生きがちな僕達より、彼の方が絶対に意味のある生き方が出来ると思う。
じゃぁ、手足を失ってみろと言われても、僕はそんな事をする気はない。
でも、もし手足を失った時や、今大事に抱えている何かを失った時に、彼のように前向きに生きる強さを身につけたいと思う。
2003/11/10 13:15:01