これは、以前、町田の町田屋というラーメン屋に初めて行った時に、感じた事だ。
店に入って空いてる席に座ろうとすると、まず、食券を買うように言われた。
その後、食券をカウンターの上に置いたら「そこじゃない」と言われ、更には「お好み(面の硬さ、油の濃さ etc…)は?」と聞かれて「お好みって何ですか?」って聞き返したら、今まで注意された事も手伝ってか、結果的に答えてくれたけど、どこかあきれた感じで面倒臭そうに答えてる雰囲気があった。
かなり小さいことに愚痴ってるけど、この時思ったのが、その常識は、その店の常識でしかなくて、それが当たり前と思ってるその時の店員は、すっごいちっちゃい人間だって事。
こういうのが当たり前で、最低限の常識で、もっといってしまえば知ってるのがかっこよいとか、思わせる側も、思ってしまう側も僕は好きじゃない。

ラーメン屋の事に限らず、よく、「そんなの当たり前じゃん」って当然のように言う人がいるけど、その根拠はどこから来るのか?っていつも疑問に思う。
常識だから?
じゃぁ、その常識はどこから来るのんだろう?
僕は、常識を偉そうに語る人間がいると、常識なんてくそ食らえと思う事が良くある。
常識なんて、時代によっても変わってくるし、場所にも左右されるし、必ずしも絶対じゃないと思う。
そんな常識に支配されてる人は、その常識の範囲内でしか物事を語れないし、その範囲内で狭い生き方しか出来ないと思う。
そういう意味では、常識と流行って似てると思う。
ファッションとか音楽には、特に流行の影響が色濃く表れていて、めまぐるしくその形が変化する。
その度に、昔のファッションとか音楽をしていた時の自分を恥じる傾向がある気がする。
一概には言えないけど、そういうのに流されない人はそんなに過去を後悔する人はあんまりいないと思う。
こういう事が本当にあるとしたら、今の流行は絶対じゃないって事だ。
僕は、人の勝手だとも思うけど、みんなが同じような格好をして、みんなが同じような音楽を聞いたりプレイしたりして、アメリカ人はジムでムキムキになる人が多くて、みんなニュースで話されているような事をそのまま語って、みんな同じようなものを持って、みんなが同じような事を感じて、・・・ってのが疑問に思う。
ワイルド・スワンの著者のユン・チアンさんは、毛沢東の文化大革命時代を生き、理不尽な弾圧や、捻じ曲げられた教えの中で、常に疑問を抱き、真実に目を向けていた。
僕が偉そうな事を言える立場じゃないけど、人間って本来はそういうものだと思う。
人と違った事をやるのが大事というわけでは全くないけど、常識なんかにとらわれず、常に心を開いて、常識とか世間体とか関係なく、まず本当の自分の感じ方を素直に受け止める事が大事だと思う。