大分前だけど「世界の中心で、愛を叫ぶ」という映画を観た。
僕は、たまたま友達に原作の本を借りたのがきっかけなんだけど、本も映画もすごく面白かった。
ストーリーは、簡単に言うと、高校で付き合っていた女の子が白血病になって亡くなってしまい、十数年(?)経ってもその事実が自分の中で解決出来ずにいて、どこか心のある部分がぽっかり空いてしまったような感じで生活していたけど、ちょっとしたきっかけから彼女の死に真正面から向き合った時にやっと新しい一歩が踏み出せたというものだ。
これだけじゃ、かなり味気ないものに思えるけど、実際はかなりドラマチックで、すごく登場人物の心境の変化とかを繊細に表現出来ていた。

こういった映画を観て、僕達は、どういった事を思うだろうか?
同じようなドラマティックな事が起こる事を期待したりすると思う。
でも、映画の世界と比べて自分の世界は何て醜いんだとか感じたりすると思う。
実際、僕も、例外じゃなくそういうセンチメンタルな感情になったりする。
でも、同じようなドラマティックな事が起こるのを待っていても起こるはずはないし、映画の世界と自分を比べてるだけじゃ、どんどん自分が惨めになっていくだけだと思う。
僕達は、表面的な部分にばかり目が行ってしまっているんじゃないかな。
ドラマや映画に出ている役者と同じようなルックスや境遇を相手に求めるのと同時に自分にも求めているんじゃないかと思う。
ドラマや映画や小説は、その作者の想像上の物語だったり、その人だけの体験に過ぎない。
ドラマや映画は、その物語を出来る限りのキャストで固めて、更にドラマチック度を増した形で消費者に提供している。
僕も、現実逃避する事もあって、すごくそういうルックスや境遇を含めた物語に憧れる。
でも、同じ事を追い求めるのが、自分が満足する物語への近道って訳ではないと思う。
僕達には、一人ずつにオリジナルな物語を創造する力が備わっていると思う。
それは、千差万別で、人の数だけの物語が存在する。
それぞれひどく未完成で、ドラマや映画の物語や、周りの人と比べたら不公平に感じるかもしれない。
でも、人には、人の数だけ物語があるのと同時に、人の数だけ幸せの感じ方があると思う。
それは、人にどうこう言われるものではないし、人が何と言おうが気にする事ないと思う。
一般的に言われる自己中とは違うのか分らないけど、人それぞれが主役なんだと思う。
周りの人や物や事象は、自分に対して用意された幸せの布石だったり試練だったり、超えるべき障害だ。
それらはすべて自分という主役の為に自分で用意したものだ。
生まれ付きのものも含めて自分で用意したものだと思う。
それらをどう組み立ててドラマを作っていって楽しんでいくかは自分次第だ。
それは誰かに作ってもらうものじゃない。
「今」はその過程に過ぎないし、それはすべて自分が作り上げてきた結果だ。
人が用意してくれた隙のない完璧に近い物語をそのまま演じるのと、自分で未完成な物語をその場その場で作って行くのとどっちが良いのだろうか?
僕は思う。
前者だと、きっと一時的な満足感しか得られないで、結局残るものって少ないって。
また、後者なら、どんなにちっちゃな物語だとしても、後で残るものって絶対あると思う。
どんな生きたかをするのかを決めるのはあくまで自分だし、例え失敗しても後悔しない生きたかが出来るかは、それが、どれだけ自分で創造してこれた生き方なのかにかかっていると思う。