極端に非行に走っていた少年が見事に立ち上がり、素晴らしい行動や運動を起こすことがある。
まず、僕が知っている例を3つほど挙げようと思う。
◇伊藤幸弘
 ・伊藤幸弘教育研究所所長
 ・特定非営利活動法人
 ・青少年問題防止ネットワーク 理事長
 ・子育て協会静岡支部長
 ・静岡県教育協同組合顧問  
 などを兼任

神奈川県平塚市出身で、構成員15,000人の全国組織「相州連合」の2代目総長として非行少年の頂点に君臨していた。
道路交通法違反で1年の実刑判決を受け刑務所で服役後、以前勤めていた自動車修理工場の全従業員の暖かい出迎えに感激の涙を流し、二度と人に迷惑をかけるのはやめる事を決意。
その後、ある母親の「うちの子どもと話してほしい・・・」という依頼から、体当たり子直しをスタート。
結婚して子どもができた後も自宅に少年少女を預かり、食事を提供し、更正指導を続けた。
ここ数年、伊藤の元には相談や講演依頼が後を絶たず、多忙な日々が続き、過労が重なり、年に数回倒れて点滴を受けながら仕事をするという状況にまで追いこまれながらも、自分の信じた道を突き進んでいる。
◇大平光代
#031. だからあなたも生き抜いてで書いた通り、暴力団の組長の妻にもなった少女は、今や弁護士となり、同じにおいのする少年少女の更正の働きかけをしている。
◇ポール・マーティン
マサチューセッツ州ガードナー生まれのアメリカ人。
少年時代は親の手の付けられないほど非行に走っていたが、車の事故で片足を失ったのを機に、信じられない程強靭な精神で立ち直り、義足の鉄人アスリートとして活躍する事になる。
そこには、少年時代にはなかった、父親との信頼関係があった。
それは、ポールにとっては、足を失う事より何十倍も大きな事だった。
彼は、自分に課せられたハンデをものともせず、最も過酷な競技と言われるトライアスロンの数々の大会で完走を果たす。
中には、健常者の中で220人中堂々の総合18位になり、35歳~39歳の部で見事3位入賞を果たしたものもある。
ハードな競技者生活を送る傍ら、講演会で自分の体験や哲学を人々に伝えている。
何事にも熱心に取り組むポールの話に、子供たちは釘付けで、中には、今まで片目が見えなくて、その事実を周りの友達に伝えられなかった子を勇気付け、その子にその後の人生に決定的な影響を与える事になる。
現在、収入の多くはスポンサーからの援助や講演料が主で、決して楽な生活ではないが、ハンデがあるとはいえ、大好きなスポーツで食っていくという強靭なプロフェッショナル精神で、今も後悔とは無縁な生活を送っている。
どうして子供は荒れるのんだろうか?
僕は、子供が持っている疑問に、その親や先生、社会が的確な答えを示せないのが原因なのではないかと思う。
子供は、それこそ好奇心旺盛で、いろんな事に疑問を持つと思う。
そんな時、大人たちはどんな返答をするだろうか?
例えば、
子供:「何で悪いことはしちゃダメなの?」
大人:「ダメなものはダメなの、分った?」
というようなやり取りが行われたら、子供はどう思うか?
僕が思うに、それは全く答えになってないし、そんな返答をしている大人自身がその理由を理解してないんじゃないかと思う。
子供だからって、そんな子供騙しには乗らない。
そんな見下した態度に子供は反発をするんじゃないかと思う。
大人の方が必ずしも物事の本質を理解している訳ではないし、例え子供だからって、大人は、一人の人間として子供と向き合わなければならないと思う。
何故、極端に非行に走った少年は、極端に同じようなにおいのする子供を更正させる行動をする大人になるのか?
極端に非行に走る少年は、実はどこまでも純粋なんじゃないかと思う。
ただ、大人がその純粋な問いかけに答えてくれないだけ。
そんな極端な非行に走っていた少年は、やがて、自分でその答えを見つけ出して、根っからの純粋さで真っ直ぐに生きるようになるのではないかと思う。
そうやって育った人は、どうして少年は非行に走るのか、そのメカニズムを熟知していて、いても立ってもいられなくて、同じにおいのする少年少女の構成の働きかけをするのではないかな。
そのメカニズムって、非行少年をつくるのは、親や学校の先生の教育に問題があり、その教育を指示しているのは、政治や社会だ。
人は、その政治や社会を責めるかもしれない。
でも、その社会や政治をつくっているのは、間接的にとはいえ、僕等一人一人だ。
僕達は、そういった意味では、すべてのトラブルの被害者でもあり加害者だ。
僕達一人一人が変わらなくちゃいけない。
非行から立ち直った人は、それを理解し、自分に出来る事として、一番末端とおもわれがちな子供の育成を最重要項目にしている。
僕は、どちらかというと中途半端な生き方をしてきたと自分で思う。
でも、先人達が残していってくれているものを素直に吸収する事により、誰に何を言われても揺るがない真っ直ぐな生き方をしつつあると思う。