曲を作るのって実は簡単。ミスチルやサザン、その他、有名なアーティストは、僕等にとっては雲の上の存在に映りがちだけど、実はそんなに遠い存在ではないと思う。

多分、作曲者と聴衆とでは、完成した曲へのアプローチの仕方にギャップがありすぎるんだと思う。

たとえば、僕らが、ミスチルの既に完成している曲を聴いて、どうすればこんな曲を作れるのかを想像するのは難しい。 どんなシチュエーションで、どんな感情で、どんな事を想って作ったのかとか、その完成系にアプローチするには、長い道のりを要すると思う。

その道のりは果てしなさ過ぎて、僕らは途中で諦めてしまう。 それが、憧れとか遠い存在とか思ってしまう状態なんじゃないかと思う。

だけど、作曲者としては、自分の知っている音を、自分の思い通りに組み立てて、既に自分で用意してあるシナリオどおりに作るだけで良い。 ある意味、これは単純作業だ。

逆に、僕等が、試しに彼らと同じ事をしてみたらどうか? (僕等、個々に持っている材料(音)を、自分なりに組み立てて、自分のシナリオ通りに作って行くという事)

そうやって出来た曲をミスチルやサザンのメンバーが聴いたとしたら、僕等が彼らに対して持ってるギャップを、彼らが同じように僕等に対して持つかもしれない。(曲の良し悪しやギャップの大小は別として) 何故なら、たとえ彼らであっても、僕達個々で完成させた曲のすべてを完全に理解するのは果てしなく困難な事だと思うから。

それだけ、僕達個々が持っている本来のオリジナリティって深いものなんだと思う。 それは音楽に限らず、作家や、映画の監督、画家なんかにも同じ事が言えるかもしれない。

「プロだから」とか「才能があるから」とかより、「やる」か「やらない」かの方がよっぽど重要だと思う。 僕は、音楽に関して言えば、プロフェッショナルではないし、間違いなく特別な「才能」はない。

でも、僕は、曲が良いか悪いかは別として、オリジナルの曲を作れるようになれた。 振り返ってみると、僕がそうなれた一番大きな要因は、自然に「やりたい」って思って、実際に「やってみた」事だと思う。

もちろん、僕にも、プロのアーティストの才能を崇拝したり、雲の上の存在のように感じてた時期もあったけど、そういうのを乗り越えてから、僕のオリジナルの作曲活動が始まったように思える。

その人は「実際にやった」からそれが出来るようになった。 それは同じ人間である僕たちにも間違いなく出来る。

もしそうだとしたら、単純に僕たちが「やる」か「やらない」かの問題なんじゃないだろうか。