107人の死者と460人のけが人を出した兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故から1週間が過ぎたけど、未だにこの衝撃は僕の中で色褪せてはいない。
ニュースでは、1分半の遅れを取り戻すために、100キロ以上の速度で問題の急カーブに差し掛かり、そのスピードと急ブレーキブレーキのアンバランスさで片輪走行して、線路のサイドにある電柱を破壊しながら脱線・横転してビルに突入したという報道がされていた。
すっごく冷たい言い方だけど、これじゃ、日本の鉄道の安全神話なんて全くの幻想に過ぎなかったのかなと正直思う。

以前、箱根に向かう山道の途中、物凄く飛ばしているトラックがあった。
飛ばしているというレベルではなく、血走っているというニュアンスを付け加えた方が適当かもしれない。
前を車で走っていた僕はいつ衝突されてもおかしくないくらいに煽られ、ライトをピカピカされ、猛スピードで追い越された。
その追い越した瞬間に対向車があったら確実に大事故になっていたし、その後もさらに加速していったので、いつでも事故は起せる状況にあったと思う。
すごく、今回の脱線事故と似てるなと個人的に思った。
以前、ドキュメント’04でトラック運送業の現状が特集されていた。
規制緩和によって過酷な競争を強いられているトラック配送業界の中、その負担はその運転手に集中しているらしい。
トラック業界にとっては、納品期日を守ることは、その納品先の会社との契約の生命線という事だ。
新たな契約を交わす時にももちろん必要だけど、継続して契約をしてもらうには、他社より良い条件で、契約料なり納品可能期日などを設定しなければならない。
平成2年12月1日に施行された規制緩和により、新規参入が相次いだ事により、一時期は凄まじい価格競争でまさに戦場のような状態になってたらしい。(今では撤退する業者も増えてきているらしいが)
それぞれの業者で儲けが維持できないと、その業者自体ももちろん厳しいが、本当の過酷さやプレッシャーは、その末端の運転手に押し付けられる事になる。
時には、箱根の山で僕が味わったような、納品期日を守るために、運転手は、大事故をも恐れない運転をしてしまうかもしれない。
それだけ想像を絶するほどの過酷な状況を、今も、トラック運転手は経験している。
で、今回のJR西日本の事故に当てはめてみると、僕が知らなかっただけで、すっごく似たような状況になっていた事が明らかになった。
経営者の勝手な意向で、どこか安全性は置き去りにされ、結局は会社の存続(儲け)の為に、無茶な設定で人々に自分たちの許容範囲を超えたサービスをアピールし、その無茶な設定を正確に遂行させる為に、過酷な状況やプレッシャーを「責任」という形でその運転士に押し付ける。
そんな状況下で、事故により家族を奪われた遺族はJR西日本を一方的に責めると思う。
もちろん、一番明確で分かりやすい責任の押し付け先として、その運転士や、JR西日本を選ぶのは簡単だ。
でも、中には、単にJR西日本を責めるのではなくて、もっと奥にある問題の根源を「社会の緩み」という表現を使い、その根源を作り出している原因の一つに自分もあるかもしれないと語る遺族の方もいた。
僕も、すごくその見方に共感を持っていて、遺族の方に、ただ目の前にある対象を責めて、ただ悲しむんではなくて、もっと前向きに考えてくれるように願っている。
ただその対象を責めるだけじゃ、例えその対象が変わったとしても、その根本にある問題は解決しない。
この社会を作っているのは僕達一人一人だ。
でも、そこには、何でも人任せにし合っている風潮がある。
そうして、だんだん、あえて自分で責任を負うという事が馬鹿らしくなり、責任を放棄したり、ただ無責任になったり、責任を他人に押し付けたりする。
誰かが責任を放棄すると、必ず、その責任を誰かが被る事になる。
巡り巡って回ってきた責任の塊を負わされた末端の人たちが事故を起した場合は、その末端の部分だけがクローズアップされるだけだ。
目に見え難いだけに見逃しがちだけど、一見、全く無関係のようで、これは相当の因果関係を持っている。
つまり、僕達が放棄した責任の欠片が、様々な事象に影響を与えている可能性があるという事だ。
例えば、2chを取り上げると、匿名性を利用した結果を全く考えない無責任な発言から、同調者を生み、やがて無責任な発言がネット上を横行するようになり、それがあたかも普通になってしまった現状がある。
個人的には、2chって日本の立派な文化だと思うけど、それを良い文化にするか悪い文化にするかは、その利用者の責任感にかかってくると思う。
で、僕は既に取り返しの付かないくらいの悪い文化になっている気がしている・・・
2chって、日本の国民性が凄く良く出ていると思ってて、偏見かもしれないけど、ここまで無責任な発言に同調して群れを成せるのは、今中国で起こっている常軌を逸した反日感情と似てるなと思う。
確かに、人が多く集まれば集まるほど、成せる事も多くなると思うんだけど、それが、結果を全く考えない行動であるとしたら、規模によっては、世界の危機に発展するかもしれない。
そういった責任を放棄した発言や行動から発生する影響は計り知れない。
良く考えてみれば、その放棄した責任の影響が、既に自分に降りかかってきている事に気付くはず。
僕も痛いほど感じている。
だって、僕が、脱線事故を起した車両に乗っていた可能性、酔っ払い運転の車に撥ねられる可能性、夜道で刺される可能性、その他、人為的に僕の生命が脅かされる可能性も厳然とあるし、何しろ、こんなに自分の居場所を作り難い社会が形成されてしまっている事自体、僕達、それぞれが放棄した責任の欠片の集大成が引き起こした結果だと思う。
みんながみんな、最低限の責任を持って生活したとしても、そういった可能性はもちろん残ると思う。
でも、僕達が、安心できて、もしも事故が起こったとしても、特定の対象を一方的に責める状況を作らないようにする為には、やはり、一人一人が自分にある責任をしっかり全うする事が絶対不可欠だ。
社会に何の影響も与えてなさそうな僕達個人個人でも、個人の発言や行動から、別の個人の同調を生み、そこから大きな影響に発展する事はいくらでもあるって事を、もう一度、個人レベルで見つめなおす必要があるのではないかと強く思う。