人は悲しみが多いほど、人にはやさしく出来るのだから。
海援隊の「贈る言葉」の歌の一部です。
僕は、このフレーズが大好きです。
このフレーズを聞くたびに、この言葉が心に沁みて胸がいっぱいになります。
この言葉が歌のメロディーと合わさった時に、揺ぎ無い説得力を感じるのは僕だけでしょうか?
(個人的な見解ですが、Flowがこの曲をカバーしたとき、彼らはこの曲の本当の良さを理解していないんじゃないかと思いましたが・・・)
自分の”痛い”を出す、それが歌うこと。 ひとつ”痛い”を出せば、ひとつ”やさしい”になる。
昔、CoccoのTVの特集で出てきたCoccoの言葉です。
この言葉が物語っている通り、Coccoの曲には、「痛い」曲と、「やさしい」曲が混在している。
苦しくて辛くて理不尽な状況で、押しつぶされそうな「痛み」を背負ってきたからこそ、人は真のやさしさを持てるのかもしれない。

「悲しい」も「暗い」も「苦しい」も「恐い」も「辛い」も「嫌い」も「痛い」も「死にたい」も必ずしもただネガティブなだけの感情ではないと思う。
その感情は一時的なものに過ぎないかもしれない。
もちろん、それらの感情を避けて通る選択肢もある。
でも、その感情の先にあるものを考えてみて。
例えば、「悲しい」という気持ちを乗り越えたあたなは、「悲しい」という気持ちがどういうものなのか理解している。
やがて、それは「経験」としてしっかりと心に刻まれる事になるでしょう。
経験した「悲しみ」の深さに比例して、心に刻まれる「悲しみ」も深くなるはず。
「悲しさ」の意味を心で理解しているあなたは、同じように「悲しい」気持ちを感じている人に出会ったらどのように感じるでしょうか?
きっと胸が痛むでしょう。
その時、あなたは、その人の「悲しみ」を共有する事が出来る
しかも、それを治療する処方箋も持っています。
それが「やさしさ」だと思います。
その「やさしさ」の形は、「厳しさ」だったり、ただ「見守る」だけだったり、人それぞれ違うでしょう。
でも、あなたのその「やさしさ」は、必ず、その人の「悲しみ」を和らげてあげられます。
 「悲しみ」と「やさしさ」
 「苦しい」と「心地よい」
 「嫌い」と「好き」
 「死にたい」と「生きたい」
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は、すべて表裏一体で、どちらかを知らなければ、もう片方を知る事もない。
だから、「悲しみ」や「苦しみ」を、「嫌い」という気持ちや「死にたい」という感情を恐れないで。
やがてそれらの感情は「過去」のものになり、その先にあなたの輝ける「未来」が必ず開けるから。