「親孝行」について

よく、親より早く子が死ぬことが最大の親不孝だということを聞く。親は子どもが生きているだけで幸せかもしれない。だけど、子どもが生き残る中で、子どもがどう親と接していくかで親孝行の度合いが変わってくる。 

親孝行とは、親の言うことに従うこと?必ずしもそうではないと思う。僕は、20代の前半まで、親の引いたレールの上をほとんど疑問も持たずに歩いてきた。親からは、言うことを良く聞くいい子と思われてたかもしれない。だけど、それで、どれだけ本当の意味での親孝行が出来ただろうか? 

親が僕に求めてたのは、社会や常識の中で、はみ出さずに迷惑をかけずに、就職して安定した会社に勤め、経済的に自立して生きること。その道は、僕にとってはあまりにも窮屈で、本来の持ち味をほとんど出せない生き方だった。 

うちの家族としては経済的な問題があった訳ではなく、僕が力を出し切れないからといって、表面的には問題は見えなかったかもしれない。だけど、それで僕がしてあげられた「親孝行の度合い」はどの程度だったのだろうか? 

親孝行とは「親が求めていることをやること」だとは思う。だけど、「親が子に、本当に求めているものを自分で知っているか?」は大問題のはず。「顕在意識」からと「潜在意識」から求めるのとでは内容が変わる。だから、親がどれだけ潜在意識を引き出せているかを見極める必要がある。 

だから、親が言うことに限らず、たとえ一時的に親の意思を踏みにじるようなことになるとしても、自分が正しいと信じたことを貫くべきだと思う。それが本当に正しければ、いつか必ず親は納得する。 

それで納得するどころか、親は「それこそが実は自分が求めていたことだった」ということに気づき、言うことを聞いてくれる以上に親孝行を感じる結果になるかもしれない。 

本物の親孝行とは「親の潜在的な要求を引き出し、それを実現してあげること」なんだと思う。その過程では、親に従わないことがあるのもやむを得ない。本当の親孝行とは、その先にしかない。信頼を失いながらも、20年、30年というスパンで、気長で地道に取り組んでいくものだと思う。