ポートランドでこれだけOccupyムーブメントの占拠活動が盛んなのは、「汚ない」とか「野蛮」という意識のレベルが違うからかもしれない。元々、街中には、日本人の感覚では、ホームレスに見えるような汚くて野蛮そうな人ばかり。だから、抗議活動にも、変な抵抗が無いんだと思う。 

抗議活動も立派な社会変革への手段。社会が崩壊の危機に瀕しているときに、「抗議活動は野蛮な行為」だとか言って何も行動しない人こそ野蛮な人なんだと思う。他に方法が思いつかないなら、汚くても野蛮なに思えても、やるっきゃないんだ。 

人口問題から派生する諸問題を解決するには、人間を大量虐殺するか、活かし切るかしか選択肢が無いのかもしれない。「人間を大量虐殺」なんて発想が出来ること自体が野蛮に感じるかもしれないけど、僕たちは「無関心」という手段により既に大量虐殺を行っている可能性がある。 

映画「ブラッドダイヤモンド」で、アフリカの都市で、プライバシーがほとんど無い環境で「死」も「性」もむき出しな「野蛮」だと思わせる場面が出てくる。でも、良く考えてみれば、資源もスペースも独り占めしてプライバシーを最大限に満喫している僕らの方が野蛮だと感じることがある。 

虫を極端に嫌う人が多いけど、虫がいない環境って、むしろ野蛮である証明ではないだろうか…昔、そこに何があったのかを想像してみれば、そう思えるかもしれない。 

コンポスト作りを体験してみると、いかに自然の法則を無視した日常を送っているのかに気づく。汚いもの、都合の悪いものをただ見えないところに押しやるのは野蛮な行為だと思う。ブログ記事「ロンドン帝国の残した負の遺産」https://bokudeki.me/essay/mainessay/306/