「心の豊かさ」って何だろう?

まず、「心の動き」について考えてみた。

僕は、昨年末にmixiを始めて、いろんな人の日記を見てみて、今になって、本当にいろんな人がいるんだなぁととってもびっくりしている。

日記を見ているだけで、その人の人柄や、性格が何となく見えてくるのも面白い。
よく人間観察が趣味だという人がいるけど、外見で判断するより、日記を見て判断した方が、断然その人の事が分かるような気がする。

ほんといろんな形の日記があるけど、僕は、その中でも、自分の「心」を表現している人の日記が好きだ。

そういう人の日記は、海外旅行など「物理的な動き」のある体験より、物理的な動きはそれほどないけど、その人の心の中の葛藤や、感情、温もり、感謝など、精神的な動きが強調される傾向がある。

精神的な「心」の動きは、物理的な動きの激しさより、断然激しく、ダイナミックなものに僕は感じる。

僕が、初めてそう思ったのは、「自閉症だったわたしへ」という本に出会った時だ。

この本には、自閉症だった著者のドナ・ウィリアムズさんの心の世界がそのまま綴られている。
僕がこの本で一番印象付けられたのは、物理的な動きっていうものがほとんどないのに、何でこんなにも激しく、ダイナミックに感じるんだろう?って思った事だった。

彼女は、自分の趣味やほとんどの行動・仕草を、子供の頃から無意識のうちに他人からコピーして真似ていた。
好きな食べ物も、住みたい家も、言動や口調も、やりたい事も、ほとんど全部。

自分の意思とは無関係に・・・
それも、周りからは全く気づかれないほどに巧妙に・・・

だから、彼女が、勇気を振り絞って自閉症に向き合い、自分の意思で行動しようして、ここからあそこ(50mくらい?)へ歩いて行こうとした時、それだけの事を、自分なりにどうやってやったら良いか分からない事に気づいた・・・

僕等が50メートル先に行くのなんて特に何も考えずに出来てしまうけど、この何でもない行動の中に、僕は、彼女の心の中の葛藤や迷いなど、そのダイナミズムを垣間見る事が出来た。

何でもない行動の中にも、心の動きってきっとあるんだなと思った。

次に、「心の貧しさ」について考えてみた。

例えば、僕は、「東京」についてすごく思う事がある。
東京って、すべてがあるようで、無いものって沢山あると思う。

遊ぶ場所、買い物する場所、ライブする場所・・・
とにかく、モノで溢れていて、物質的な観点では考えられない程豊かだ。
人間が考え得る超高度なサービスも充実している。

それらのほとんどすべては、人によって、人の使いやすい(頭を使わなくても使える)ように作りあげられている。
僕達ユーザーは、その豊富な選択肢から、モノやサービスを選択して、お金を払ってそれを買っている。

僕等は、一見華やかで豊かに見えるこの大都会「東京」に憧れる傾向があるけど、僕は、ここに巨大な落とし穴がある気がしている・・・

これは、Kontonさんのブログの「幸せ。ひとはなにを求めて生きるのか。[2]」という記事が物語っていると思う。
http://blog.livedoor.jp/konton_1937/archives/50540218.html

東京って、特に、頭を使わなくても楽しめてしまう装置で溢れている。
あるから使ってしまい、それに依存するようになってしまう。

だけど、そこで用意されている選択肢って、豊富なようで、実は限られている。
何でもあるようで、実は、無いものって沢山ある。
一見、自由なようで、自由になりきれないと思う。
クリエイティブな雰囲気なようで、なかなか殻を敗れない世界だと思う。

『赤毛のアン』風に言うと、東京には、想像の余地がほとんど残されていないから。。。

こんな環境では、心は育たないと思う。
自分の心の貧しさにさえ気付けなくなってしまうかもしれない・・・

そうして悪循環スパイラルから抜け出せなくなってしまう可能性も高いのだ・・・

では、「心の豊かさ」って何だろう?

それって、例えば、友達のちっちゃな「変化」や「成長」、家族の何気ない「気持ち」や「愛情」、他人のささやかな「心遣い」や「親切」に気づいてあげられるような『心の余裕』なんだと思う。

心が開いていないと、気づいてあげられない。
心が閉じたままだと、どんどん取りこぼしていってしまう。

だけど、もし、心を開いて、その一つ一つをキャッチ出来るようになれれば、不思議と「感謝」の気持ちがおきてくるんだ。

この「感謝」の数が多ければ多いほど、心は豊かになっていくものだと思う。

すると、「心が豊かな人」ってどんな人だろう?

きっと、他人の為にしてあげた行為に対して、直接的な見返りを求めない人だと思う。

心の豊かな人は、仮に、その行為を相手に気づいてもらえなかったとしても、気にせずにそれをし続けられる。
何故かと言うと、その恩恵が、いつか何らかの形で自分に返って来るという事を知っているから。

とんでもないところから返ってきても、豊かな心を持った人なら、それを確実にキャッチする事が出来る。

すると、また一つ「感謝」が生まれる。

嬉しくなって、「思いやり」という名の「感謝への布石」を、誰かに投げ返してあげる。

その思いやりを受け取った人にも、一つ「感謝」が生まれる。

その人も、その感謝を自分なりの「思いやり」の形にして、誰かに投げ返してあげる。

・・・

そうやって、不特定多数の人の間で、「感謝」と「思いやり」のキャッチボールをしながら、人は、人の心を刺激し合い、育んでいくものだと思う。

僕は、こうやって、それぞれが自分の心に豊かさを見出す事が出来れば、たとえ自分の欲求を満たしてくれる装置がなかったとしても、助け合いながら、支え合いながら、豊かに暮らしていけると思うんだ。