2006年10月15日(日)の未明、

今まで飼っていたうちの犬が、

実家にて、静かに息を引き取った。

奇しくも、この日は、

国連の”STAND UP”キャンペーンで、

家族5人全員が集い、

みんなで写真撮影をした日だった。

※”STAND UP”キャンペーンについては下記リンクをご覧下さい。

■ほっとけない 世界のまずしさ “STAND UP” サイト
http://hottokenai.jp/stand_up/index.html

その翌朝、僕は、下宿先で目覚めた。

良く晴れた清々しい朝だったが、

それ以外は、特にいつもと変わらない朝に思えた。

「うちの犬が死んだ」という知らせ以外は。

いつものように、僕は、

ご本尊と向き合い、

唱題し始めた。

間もなく、僕の心が、何かに触れた。

その瞬間、止め処なく涙が溢れてきた。

その時、僕は、完全に泣き崩れてしまい、

暫く、顔を上げることすら出来なかった。

「悲しいから???」

元々、僕は、そんなに感情豊かな人間ではなかった。

現に、うちの犬の死の知らせを聞いた時、

特に、何の感情も沸いてこなかった。

悲しくもなかったし、同情する気も起きなかった。

「数年前から病気で苦しそうだったから仕方ないね。」

以前の僕だったら、それだけで

済ませてしまっていたかもしれない。

うちでペットを飼うということに

僕は、ずっと反対だった。

動物にも「命」がある。

うちの家族が、果たして、

その「命」に対して、

最後まで責任を負えるかどうか

疑わしかったから。

僕は、ほとんど犬の世話をしなかった。

家族から一歩引いて、

その責任を放棄していたのだ。

そして、僕の家族は、最後まで、

その「命」を大切にした。

ひどい病気も患っていたので、

物凄くお金もかかったと思う。

でも、それ以上に、

その尊い「命」を愛していた。

僕は、そのことに、ずっと

気付くことが出来なかった。

そして、うちの犬は永遠の眠りについた。

ご本尊に向かって

心の眼を開いたとき、

初めてこの一連の出来事の

意味を知った。

その時の僕の涙は、

「悲しみ」というより

「感謝」からくるものだった

と、今は思える。

ペットは

人間の為の道具ではない。

でも、それぞれに役割があり、

それを果たす為に生まれてくる。

うちの犬は、

バラバラになりかけていた

家族の絆を

寸でのところで、

繋ぎとめてくれていた。

僕はそう思う。

そして、家族の中で、

孤立していた僕が、

家族を意識し、

積極的に働きかけを行って、

家族が一つになり始めた時、

うちの犬は、まるで、

自分の役割を果たしたかのように

静かに息を引き取ったのだ。

ご本尊は、僕の心を

素っ裸にしてくれる。

僕には

この一連の出来事が、

偶然起こったことだとは

やっぱり思えない。

もちろん、この話を

ただの偶然と見るか、

それとも必然と見るか、

それは個人の自由だ。

だけど、僕は、

これを必然と見ることで、

一生、家族を大事に

出来そうな気がする。

本当は、この先にもいろいろ書いてあったけど、事実と、僕の感じたことを書くに止めようと思う。

P.S.この出来事の翌月に、第1回 栗田家・家族夕食会(仮)が実現しました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=266234245&owner_id=2247284